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アイドルと日々(修飾語のない私たち)


2019年1月6日。私のかわいいアイドルたちは今日も元気に華やかにカッコよく、ステージを彩っていた。

2019 GDAで大賞を受賞したのはもちろん私の大好きなBTSだ。
リーダーのナムくんは大賞を受賞した際のスピーチでこんなことを話した。

BTSや防弾少年団という名前の前に様々な光栄で過分な修飾語をつけてもらったこと。昨年はその修飾語にプレッシャーや重たさを感じ苦しい思いをすることもあったそうだ。
“僕たちの野望や僕たちの器以上に盛られているのではないか。これが本当に僕たちの望んでいたことなのか”
考えてみると、名前と修飾語は、人それぞれの使い方次第だと言っていた。
今となってはとても自然な防弾少年団、バンタン、BTSという名前も、初めは多くの人を驚かせたものだった。だから、僕たちを苦しめた色々な修飾語たちも、僕たちがこの修飾語にふさわしい人になれるよう、がんばって努力してかっこよくなったら、いつかは防弾少年団という名前のように、自然に溶けて似合うようになるのだと……。

MAMAで流した涙からも伺えるように、きっと私たちの知らない、たくさんの苦悩と努力の日々があったのだろう。彼らは過分だと言ったけれど、年末のステージに立つ私たちの少年団は、大賞にふさわしい王者の貫禄と輝きを、しっかりと、他の誰よりも放っていたと思う。

人それぞれの使い方次第だと話していたように、望み以上に膨らんだ、重くのしかかる修飾語さえ、彼らはきっとこのまま、自然に溶けてよく似合う名前へと変えてしまうのだろう。


ふと私は思った。
私の修飾語ってなんだろう?
あの壇上に乗れなかったアイドルたちは、彼らの話をどんな気持ちで聞いていたのだろう。他のアーティストのパフォーマンス中でさえ、どのチームよりもとても楽しそうに色々な遊びを生み出しては、ファンの視線を奪っていく彼らを、ステージにさえ立てなかったアイドルたちはどんな気持ちで観ていたのだろう。
重くのしかかる修飾語が欲しい。走るしかない野望が欲しい。
それを持たない私たちは、何をがんばり、何を努力すればいいのだろう?


“あなたの名前はなんですか?あなたの話を聞かせてください。”という国連のスピーチでの問いかけも、
“あなたの銀河の色はどんな色をしていますか?”という質問も、心のどこかで感動を覚えながらも、何を言い出したんだろう?と少し気恥ずかしいような思いも感じていたけれど、私の名前も私の銀河のことも、よく知っているようで何も分かっていないのかもしれない。


人に誇れる名前のない私たちは、何を道標にどこへ向かえばいいのだろう。


新年が明けてまた忙しい毎日が始まった。
音楽を聴きながら窓の向こうを見ると海がキラキラ光っていて、片耳だけイヤホンを外したら、波の音が聴こえた。私はそんな小さなことで、今日も良い日だなと思った。

休憩中に立ち寄ったコンビニで遭遇した見たことのない店員のおばさんは、若い時はデパートで働いていたんじゃないかと感じさせる上品できれいな声色で、スーパープロフェッショナルな接客をしていた。飲み物を買っただけの私に、“過分な修飾語”のない彼女は、とびきりスペシャルな笑顔をくれた。
コンビニを出ると沈んでいく太陽の日差しがきれいで、私はまたそんな小さなことで、今日はめっちゃついてるなと思った。

今日の私はどうだっただろうか。
接する人を良い気持ちにさせてあげられただろうか。
つられてしまうような笑顔と気の利いた冗談を、誰かにあげることは出来ただろうか。


BTSの「楽園」という歌がある。
“夢がなくてもいい つかの間の幸せを感じられる君の瞬間があるのなら”
この歌によると、そんな瞬間があるのなら息をしているだけでここは楽園なのだそうだ。

波の音や沈む日の光がきれいで、誰かが発明した機械で作られた甘くておいしいコーヒーを飲んで、知らない人と微笑みあえる世界は“楽園”なのだ。
私たちの多くは、彼らのように自分を大きくさせてくれる名札がないけれど、私が私でいられる今日はそんなに悪くはないのかもしれない。


“遠い未来に、君は今の自分を絶対に忘れるな”

ここ数日、私の頭の中でリフレインする愛しい人の作ったこの「TOMORROW」の歌詞のように、遠い未来、今の自分をふり返った時、私は修飾語を持っているだろうか。
その時には、眩しすぎる彼らを目の前にしたとしても、胸を張って自分の名前を言えるようになっていたい。
そして私の銀河の色を、恥ずかしがらずに見せることができたらいい。



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