見出し画像

アイドルと日々 181009(運命のひと)


もしも大好きなアイドルが職場の同僚だったら、もしも友人の友人として飲み会の席に現れたら、私たちはきっと恋に落ちると思う。私のことを知れば知るほど好きになるに決まってる。

私は彼の趣味に理解をしてあげられるし、ミルクシェイクも好きだし、シュリンプも大好きだし、ドアをバタンと閉めたりしないし物もそっと置くし、整理整頓も得意だ。でもきれいずきだけど、きれいすぎる事もなくて、使用済みのコットンをそのまま投げてても文句を言わないし、出かける時の服は大切にしまうけど、部屋着は脱いだままポイっと投げていたりもするし、どう考えても一緒に暮らせるので、彼の家での様子を知るたびに、とてもちょうどよくて驚くばかりだ。

私は束縛をしない。自分のことを誰かに決められるのが嫌だから相手にもしないけど、ときどきはとってもさみしくて、朝何時に起きて何時に出かけて誰とどこにいたのか、こと細かに聞きたくてしょうがなくなるところもきっと、とてもとてもちょうどいい。

……だけど、残念ながら今私が話したことと同じことを世界中の彼を愛する同志たちが思っているはずだ。ライバルは多い。

きっと私たちは自分に少し似た人を好きになるように出来ている。ぜんぜん似ていないようで、どこか似ている雰囲気に惹かれて恋をする。中には自分にない部分にあこがれて誰かを好きになる人もいるかも知れない。だけどあこがれは、いつか自分がそうなりたい姿だから、やっぱり全く違うことにはならないんじゃないかと思う。


“似てないようで似てる 二人は気付いてた”
スピッツの「スーパーノヴァ」という歌に出てくるフレーズだ。
“どうでもいい季節に 革命を夢見てた”二人はどこか自分と似た相手との快楽の中で、汚しあい、燃え尽きることを祈りながら革命を夢見る。
えっちな情景をとても詩的に描いた曲の中で、“似ていないようで似ている”という恋人たちの悲しさはとてもロマティックだ。


先日、フードエッセイストの平野紗季子ちゃんが結婚したらしい。
おいしいごはんの味を、朗らかでキュートでどこか温かい言葉で紡ぐ、彼女の雑誌の連載やInstagramの投稿が大好きなのだけど、インスタで見かけたそのかわいい花嫁の隣で笑う、彼女ととてもよく似合ったおしゃれな雰囲気の男の人のアカウントに飛ぶと、写真家であるその人のページには、彼女の文章とよく似て、とても温かみがあってちょっと懐かしい匂いのする写真がたくさん並んでいた。

この世界にはしっくりくる組み合わせというものがある。
すてきなパートナーを見つけた友人の相手はみんなどこかしら纏う雰囲気が似ていて、とてもしっくりくる。
趣味や好きなものが同じっていうのだけじゃダメだ。それは少し厄介で、ついつい運命の人なんじゃないかと勘違いしてときめいてしまうけど、蓋を開けてみると女々しいカスみたいな男だったりして、ぜんぜんしっくりこないというパターンを私は知っている。それだけじゃなくて、言葉にするのがむずかしい、纏う空気感みたいなものが大事なんじゃないだろうか。


私はよく独身の友達と遊んでいる時、結婚なんかしたくないねという話をする。
でもそれってひとりが楽だからというのもあるけど、一生ひとりでいたい訳じゃない。
みんながそうじゃないけど、女性は出産したら変わる。
優しい顔になってスリムになってとってもきれいになった友達もいる。その子の旦那さんはその子ととてもよく似合っていて優しくて理解があってすてきな人だ。だけどみんながそうなれるわけじゃない。あいつのせいで。この子がいなかったら、自分の時間が持てるのに。そんなことを言ってしまう人を何人も知っているから、私たちは、結婚なんかしたくないって思うのだろう。

本当に心から愛しているなら、自分の時間なんて犠牲にするのはたやすいことなのではないだろうか。なんだかんだグチをこぼしたり、憎まれ口を叩きあうことはあっても、結局は大切な人のために働いたり、家事をこなし生活をする。それが家庭を築くってことなんじゃないかと思う。
こんなはずじゃなかったと後悔しながら枯れていくのは悲しい。幸せにしてもらうことだけを期待した先に本当の幸せはあるんだろうか。だから、私は、自分が幸せにしたいと思える人に出会いたい。私の大切なものを犠牲にしても、その人の笑顔のために、日々をがんばりたくなるような、そんな人に会いたい。


大好きな推しに抱く感情ってこれと似ている。
地球の反対側でがんばる彼が、おいしいごはんを食べて、温かい布団で眠れることを、そして眠りにおちるその前に、あぁ今日も楽しかった!と思える日々を祈る。
これと似た感情を抱けるような、私にとって特別な誰かがどこかにいるんだろうか。こんなことを考えている、妙齢ももう過ぎてしまいそうなヘビー級の重い女に需要があるのかはとっても疑問だけど、この世界のどこかに私にしっくりくる人がきっといるはずなのだ。


いつか出会うその人は、どこかの誰かみたいに、ミルクシェイクとシュリンプが好きで、おしゃれで、つまらないハードボイルドな映画をバイブルだとか言ったりして、DIYも料理も上手で、ドアをバタンと閉めないで物もそっと置いてくれるけど、ズボンは脱いだままの形で置きっぱなしにしたりして、ペット用のシャンプーと人間用のシャンプーを間違えそうになって、たまに少し抜けている、お肉博士かもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?