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アイドルと日々


走る車の窓に広げはためくTシャツよ


テレビから聴こえてきたフレーズに、いつかの誰かを思い出した。
その歌のようにTシャツをはためかせて、ふざけてみせたその人のことを、今思えば、私は全然好きじゃなかったな。
とても若くて、男の子の助手席で、海に遊びに行って、そんなことに酔っていただけなんだろう。


昨日の私は、彼が楽しかったと言った2019年をとても良い年だったと思った。
実際にはそうでなかったかもしれなくても、そんなことはすべてどうでもいいことで、大好きな人が幸せだと笑えるのなら、それだけでこの世界はとてもとても輝いている。
日が昇る前に起きなくちゃいけない時には、とても損をした気分で、まだ暗い空を憎らしく感じるのに、カーテンを開いて見えた薄暗い朝焼けを、とてもとても美しいと思った。
外の冷たい風も、私が動き出したというのにしんと静まり返ったままの街も、すべてがとても美しい世界だ。
きっと彼が幸せな気持ちで迎える朝なら、それだけで、そこには何にも変えられない価値がある。
私を永遠に海に誘ってはくれなくても、私だけの為にバカみたいにはしゃいで見せてくれなくても、どれだけ滑稽な感情だろうと、ただ幸せでいてくれたら良いと願う時、私の中にあるのは愛という感情なんじゃないだろうか?


ふと気づけば、忙しくて自分に余裕がなくなるとき手当たり次第に当たり散らしたくなるこの私が、ここ数日の忙しさの中で、それなりに楽しく過ごしているのはどういう現象だろうか?
きっと周囲が変わったのではない。誰かのミスに目くじらを立てないし、よく分からない人にも親切と笑顔をあげられるのは、私自身が変わったからだ。
人はコントロールできないけれど、私の気持ち次第で世界は変わる。
きっと私が知らないままでも、今日もこの世界のどこかで愛する人が充実した日々を駆け抜けている。愛する人が幸せな世界なら、この世はとてつもなくすばらしい世界だ。


しかしながら、彼にとって今日もきっと良い日だったはず…と安心していられるのは、とてもとても特別なことでもある。
悲しいけれど、この世界に幸せな人はとても少ないのかもしれない。自分の望む自分になれなくて苦しんだり、必死で追いかけた夢に泥を塗られたり、自分の力ではどうにもならないことに飲み込まれたり、この世界には恐ろしいことが山のようにあるから、私がいなくたってどこかで勝手に元気でやっているだろうと、お互いの幸せを願いながら、それぞれの日々に打ち込めるという状態は、とてもとてもかけがえのない奇跡だ。

振り返れば彼は2019年のはじまりに、こんな話をしてくれた。
「僕たちに無限の愛をくださろうとがんばりすぎず、お互いにどうか幸せな一年になれば良いと思う」

私は彼の投げたボールを無様にも追っているだけなのかもしれない。
だけどこうしていられる日々は、とてもとても特別な毎日だと、今は思う。


もしもいつか大好きなあの笑顔が曇る日がくるのなら、
私はバカみたいに愛を伝えたい。
あなたが幸せだと笑うだけで、私がどれほどのうれしさを噛み締めるのか。
あなたがどれほどすばらしいのか、どれだけ特別にかっこよく生きてきたのか。
疲れた体に染み渡るあなたの声がどれだけやさしく温かいのか…
たとえあなたがあなた自身を嫌おうと、
私は君のすべてをとてもとても大好きなのだと。

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