「女は評論家になれない」を読んで自分のことを振り返った

「女は音楽ライター・評論家になれない」という記事がツイッターで流れてきた。
 私自身、「音楽好きで、フェミニスト!」という自負があるから、KPOPの歌詞から女性をエンパワメントする熱さを感じてぐっときたり、MVのクィア・スタディーズしてる記事を読んで(なるほど~)となったり、ジェンダーを意識して音楽を鑑賞することはある。しかし、音楽批評とジェンダーについては今まで考えたことがなかったと思う。

 記事は、音楽評論家の男女比において圧倒的に男性が多いことを指摘し、そんな男性主観で作られたランキングやレビューで回ってる音楽業界ってどうなんだという内容だ。詳しくは読んでみてくだせぇ。

 記事中にHARD OFF BEATSのくだりについて言及があった。改めて見たら分かるんだけど、ミソジニー的な場面なんだよねほんとに。(グラビアの子にレコード選ばせてみたらおもしろそうなど)私もこのシリーズのファンだから、もちろん言及あった場面も見た。
 その時何か心に引っかかるものがあったはずだった。違和感。でも、私はその違和感を上手く言語化することはできなかった。のか、しなかったのか。

 話は変わって、私は幼稚園の時から「男の子の集団に憧れる」ところがある。「男子間でしか通じないテクストに私も混ざりたい」っていう願望が強い。その節が音楽語るとき、聴くときにもすごく出ているんだろうなと思う。好きなジャンルだからこそ、そちら側(作者・批評者ともに男子の割合が多い)に混ざりたくなる。コミュニティとか特有のテクストへの憧れ。だから、HOBのあの場面も違和感を感じながらもスルーしてしまった。なんならへらへら笑いながら見ていたかもしれない。

 これはお笑いを見てるときも強く感じる。お笑いこそホモソーシャルな世界。「いじり」として差別的なボケが「笑い」とされることも多い。本当に恥ずかしいけど「分かってる顔」がしたくてそのボケやエピソードを笑ってしまうことがある。

 私、こういうことが数えきれないくらいあるな。

 今回ブログを読んで、私のこういう経験って、製作者側のジェンダー不平等も関係するんだなと改めて納得した。(もちろん、当時の私の意識の低さもある。)
 知らぬ間にミソジニー的視点に毒されていることがある。私の持つ「男の子側になりたい」っていう気持ちが自分を差別の加害者にしてしまうことがある。そういうことずっと意識してエンタメを摂取していきたいな。

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