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昔の日本人は政界もユーモアで溢れていた?

きまぐれ博物誌、笑顔とうやむや(星新一)より

吉田茂がユーモラスな人物だったことは、死去の際の特集記事で、いまや世に広く知られている。「動物園へイカなくてもサルは国会でたくさん見ることができる。」などとの、ぬけぬけした発言があった。自分も議員であり、しかもその党首なのだから、あきらかにユーモアでありウィットである。
だが、この発言をした当時の新聞報道を私は覚えている。けっしてユーモアと扱っていなかった。不祥事扱いの記事で、野党幹部の反論がのっていた。おそらく記者が「首相が議員はサルだと言っています。ご感想は」と持ちかけたにちがいない。その反論の方は少しも覚えていない。面白くもおかしくもない公式的なものだったからだ。
(中略)
大臣だろうが都知事だろうが、だれも顔はこぼれんばかりにこにこ、発言は神経質なほど用心ぶかい。かかるスタイルが完成した。私はこんな異様でユーモラスなものはないと思うのだが、どうでしょう。

きまぐれ博物誌

ユーモアとは、受け取る側の問題もある。ユーモアなど受け取る側が曲解しようとすれば、どうとでもできる。尊大な態度は気に食わないが、ユーモアを許容しようという雰囲気もない。これで政治家に自分以上の何かを期待しようだなんて無理である。このままでは国会はおそらく国民の総反省会のような場にしかならないだろう。こんなことに精神を疲労させていて、新しい時代に対応できるような政策がはたして生まれるのだろうか。