いつもずっと逃げてきた

本気で失敗したこともなければ本気で向き合うこともなかった。それを入試歴から思い出してみる。

初めての受験に当たる高校入試は推薦であったが内申点が酷くて先生からは「受けるのはいいけど受けるだけになりそう」ということを言われたものの、田舎で倍率が低いということもあり合格した。

大学入試は自分で口に出してた大学ではなく、センター試験後の時点でA判定だった大学の二次試験を受け合格した(The口だけ野郎)。大学院で好きなとこいけばええやとその頃から言ってた、別に行動に移すわけでもなく有限不実行マンである。

大学院入試(修士課程)は研究者目指すならよそ行った方がいいと言われたこともあり、ここで研究環境のいいとこ行きたいという元々の欲もあり、希望する分野の中で先生に勧めていただいた所に合格した。いわゆる研究室レベルの「これがやりたい!!」といった強いものはなく「ざっくりとこの分野でさらに数学の深みを知りたい」だった。

大学院入試(博士課程)はそのまま内部ということもあり、筆記や面接の主観としてはヒヤヒヤだったものの結果合格した。

別に努力せずにここまできたわけではない。その度その度ごとに自分なりに努力し、その結果を受け入れてきた。言い換えれば良くない結果に対しては自分はそんなもん、しょうがない、と逃げの姿勢を見せてきたし、本気を出したときは望む結果を手に入れてきた。そういう意味で本気で失敗した経験(記憶)がない気がする。

先延ばし+ギリギリでの着火により成功体験を得てきた。「本気を出せば俺はやれる、だからまだ本気を出さない」という捻じれた発想である。「まだ本気を出すときじゃない」と。

これは日常でも非常にテンプレ化してる。何をやるにせよぼーーーーーからのシュパッ!という。まあここら辺はWAISの凹凸見りゃ、自分に合った生存戦略を取ってきたということになる。

自己管理が下手で苦手で、誰かのコントロール下にいないとずーーーーっと怠惰を選ぶという。でも誰かのコントロール下にいたいわけでもないんだよな。好き勝手にやりたいという気持ちも強い。ここで指導教官や研究科の方針もあり投げ出された。修士の頃からその傾向はあるが特に博士課程は学生証を持ってるものの、あくまで先生は先輩研究者であり自分は新米研究者という立ち位置である。

そのため研究をするも論文を書くも発表をするもゼミを行うもゼミを指導するも雑務をこなすのも心身の体調管理をするのもスケジュール管理をするのも全て一任される。もちろん相談には乗ってもらえるしアドバイスはもらえるし困ったことがあれば頼ってきなさい、という感じではあるが、一方で相談しなければ、アドバイスを求めなければ、頼らなければ、何も進まない。やりたいようにやりなさい、やりたいように決めなさい。研究集会があればこれに出席するように、発表するように、とは言われるもののそれまでの期間の過ごし方はフリーである。

さて好きなようにしろと言われて自分は何を選んだか、怠惰に過ごすである。今までの人生で怒られや失敗を回避するためにやってきたところがあるから、怒られが発生しないと途端にダラーーンてなる。まあもはや怒られたり叱られたところでどうにもならない問題(英語とか英語とか英語とか)もあったし、それに耐えうる心は無くなっていただろうが。

回避を大きな目的として動いてきたから、回避するものがないと途端にえ...わしどうしたらええん?となる。ゴール設定を自ら課してもそれを怠惰心が上回る。

回避欲求・承認欲求・数学の面白さ、この3本柱を軸として小学生の頃から動いてきた気がする。親は「あんたは色々あったしストレートできたからそんな時期もあってええんちゃう?(でも身が入らんなら就職考ええよ、こっち戻ってきいよ)」て感じ。

いつも通りまとまんなくなってきた。人に頼りだし、就活に一歩踏み出し、論文作業も再度取り組み始めたこの先に待っているものは何か。

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