紙の上の自由連想 5/31

パステルカラーの砂嵐がヴェールみたいにかかったと思うと、もう立っていられなくって、そのまま床に倒れて、水浸しの裸のまま一時間くらい動けなくなってしまった。

文学フリマから帰ってきてから、身体の中に熱がこもっているような感覚が酷くて、これは熱が出るかと思ったんだけど。月曜日はだるくて一日中寝てしまった。汗がでてて心身ともに調子が悪かった。

なんか自分にだけ時間が少ないような感覚があったけど寝込んだり、ぶっ倒れたりするのに時間を費やしてるのかもしれない。
なんだか毎日とっても疲れている。何もしてないのにね。

今までに物語を本気で楽しめたかというとそんなことはなくて、いつもよくわかっていなかった。小説とかドラマとか映画とか、そういうの、やっぱりよくわかっていなかった。詩とか短歌とか俳句とかも多分、わかっていない。行間が読めない。読めなくてわからない。だからいっつも笑って誤魔化している。そういえば小学生のころから真実らしさばっかり重視して、考えてほしいところを考えてなかった。

変に真面目で変に不真面目なので。何が冗談かわかっていない。勘違いしたくないから、笑って全てをなきものにしちゃうところ、それを自覚している苦しさ。自覚してなければよかったのか。


観測してしまえばそこで終わってしまうから、観測しないままにしておいた。封をしたまま遠くから眺めていた。大切なものほど使いたくない。グレーなものはグレーなままで大切にしたい。白か黒かわかってしまえばそこでもう興味がなくなっちゃいそう。興味の持続しなさは異常で、映画やドラマや本や…そういうもの、途中ですぐに飽きてしまう。何かに熱中できない。でも何かに熱中できないから哲学を学ぼうと思えるのかもしれない、わからないけど。

人の語りを一生懸命聞いて、そのことに裏があるなんて思わなかった。裏があるとか思えないことを、危ないってことだけは理解していたから、全てを信じつつ信じないようなそういう見方がみについてしまったかもしれない。今思えば、こういう冗談の通じなさに周りの人たちはイライラして、嫌がらせをしていたのかもなって。

冗談の通じなさの解決方法が、おどけることしかなかった。笑い その一点に全てを抽象化して、放った。真剣になるべきところとならなくてよいところがわからないので、その区別をするのも疲れてしまう。ヘラヘラしていたらもう、それが本当になっていった、全部がどうでもいい。


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