アナと雪の女王2、エルサの生き様と批判点

昨年冬公開のアナと雪の女王2が、既にDisney+で配信されている。これをきっかけに観た方も多いだろう。
私はアナと雪の女王が大好きだ。特にエルサが好きだ。ディズニーキャラの中でもトップレベルに好きだ。
自分の力をコントロールできず、妹を傷つけてしまい、文字通り扉の中で囚われて生きたエルサ。私なんか、と卑下しつつも自分の力を解放し let it go した時の華々しさと痛々しさが素晴らしかった。そして、"愛"を知ることで自分の力をコントロールできるようになる。幼少期から変わらぬアナへの愛、アナからの愛がエルサを支える。エルサの人間らしさとアレンデール姉妹の愛がとても好きだ。


今までお姫様(アナ雪でいうアナ)を救う愛は王子様からの愛ばかり描いていたディズニーにとって、ハンスという王子様を否定し姉妹愛を提示したアナ雪1は画期的な作品だった。
(※これ以前に親子愛を提示したマレフィセント1も革新的で素晴らしいが、これはまたの機会に)

しかし、女王の責務はエルサらしい生き方なのだろうか。国王不在で、成人した長女だから。エルサはアレンデール王国のために女王にならなければならない。これはエルサが心から望んだことなのだろうか。

本作は前作のこの疑問、批判に答える形で展開されていく。
『なぜ、エルサに力を与えられたのかー』

エルサの生き方と批判点について考える。
以下、アナ雪2のネタバレ有。



エルサは自分を呼ぶ声に悩まされている。

Into the Unkwon ではエルサが戸惑いながらも自分にしか聞こえない声に惹かれる心情が歌われる。今の生活を大切にしたい、でもこの声は無視できない。"あなた"に着いて行きたい。女王という職務は、エルサの本来の力を縛り付ける。そして、大切な家族(アナ、オラフ、クリストフ、スヴェン)を失いたくない。この時のエルサにとって、自分の内なる声に従うことは他の全てを捨ててしまうことと同義だった。

しかし、王国に危機が訪れていることを知る。エルサは一人で声を追いかけようとするが、アナはそれを許さない。
エルサが精霊たちの力に惹かれて表情が綻ぶ時、アナはいつも不安な顔をしている。この姉妹の対比はラストまで続く。エルサは自分と似ている力を持ち同じ声を聞くことができる精霊たちを知り、ノーサルドラ達との対話を通じて自分の本来の居場所について考える。

中盤、エルサとアナは両親の難破船を見つける。両親はエルサの力の源を知るために旅に出ていたことを知る。この時エルサは自分のせいで親が死んだと落ち込んでしまう。だが、やはりこのエルサを救い上げるのはアナだった。エルサの能力は両親の愛に対する精霊への贈り物なのだとアナは伝える。
ところで、アナ雪1公開時にエルサの能力は現実社会における障がいを比喩しているという考え方が散見された。
アナがエルサにかける言葉はこれに呼応する。
『You are gift.』
Gifted 発達障がいを持つ方を指す言葉でもある。神からの贈り物なのだ。

エルサはアナとオラフの手を放す。ここからは自分だけで自分の力と向き合う決意の表れだ。

気性の荒いノックを制御し、アートラハンへ向かうエルサ。
Show your selfでは変化したエルサの内面がよく表現されている。
Into the Unkwonではfollw youと受け身だったのがShow your selfと能動的に。UnkwonがFamiliarに。
『いつも自分はみんなと違うと思っていた』
『普通なんていうルールが合わなかった』
エルサは自らの力を開花させていき、遂にあの声の主が母イドゥナだと知る。そして力の源は両親の愛の形だったと確信し、自分の力を改めて肯定的に受け入れる。この自己肯定はアナの言葉だけでなく、自分自身で手に入れることが必要だった。だから、エルサは全てを手放し身一つでアートラハンに来る必要があったのだ。

しかし、エルサはアレンデールの暗い過去に触れて凍ってしまう。この困難は一人の力では乗り切れない。エルサが最後に呼んだのはアナの名前だった。
わかりやすい対比だ。アナ雪1ではアナが凍り、アナ雪2ではエルサが凍る。
そしてこの凍結を溶かすのはやはり姉妹の愛であり、アナ雪2での融解は姉妹の今後の関係性を示唆する。
側にいなくともアナの行動によってエルサは元の姿に戻る。姉妹はたとえ一緒にいなくても愛は通じ合うのだ。
この経験があったからこそエルサは自分らしく居られる場所に身を置く決心がついたのだろう。

アナは女王として
エルサは精霊として
2人はアレンデールとノーサルドラの架け橋としてこの旅以前と全く立場を変える。
しかし、Something never change のメロディーが2人を包むように、姉妹の愛は例え何があろうとも変わらない。
アナもエルサも自らの力を発揮できる居場所を見つけることができたのだった。


批判点
アレンデール姉妹の愛をこれでもかと浴びることができた本作は、私にとってディズニー作品の中で大好きな作品だ。
だが、気になる点が二つある。
一つはエルサの居場所をアレンデール国外に設定したことだ。
エルサが現実社会におけるgiftedをあらわすということは先ほど提示したが、加えてasexuallity(無性愛者)の可能性も本作冒頭に説明される。アナとエルサが遊ぶ幼少期のシーンだ。
このように、エルサはいわゆるマイノリティを代表するキャラクターでもある。だからエルサが自分の力を肯定して自分の居場所を見つける姿は心を打つ。
だが、私が懸念するのはこの"自分の居場所"をアレンデール国外に設定したことだ。
もちろんストーリーの丁寧に追っていけばその理由はわかる。だが現実社会に置き換えた場合、いわゆるマイノリティは社会と外れた場所に居場所がある…と捉えられてしまってもおかしくない帰結だ。
現実では、様々な価値観の人がすぐ隣にいる。自分が周りと違うかも、と感じる人も同じ社会の中でこのままでいいんだと自分を肯定できるのが、現代社会のあるべき姿なのではなかろうか。
また、二つ目の懸念点はアナが女王になった理由だ。アナは本心で女王になりたかったのだろうか。エルサに頼まれたから…というのが主な理由だったとしたら、アナらしい生き方とは何なのだろう。もちろん、アナが王国を心から愛していて適性があるのも丁寧に描写されているから納得はできる。だが、このラストだと、エルサの自由の為にアナが犠牲になっている構図と捉えられかねない。アナが心から女王になりたがってる描写に欠けていたと思う。というか、アナの掘り下げがイマイチ足りていない気がする。両親からアナへの愛・信頼を表すシーンはカットされ未公開シーンになってしまっている。これはカットするべきでなかったと思う。アレンデール姉妹を主人公に据えるのなら、アナのことももう少し考えて欲しかった。

アナ雪2ではもう一歩踏み込んだラストを提示して欲しかった。

異性愛至上主義を貫きマイノリティを排除してきたディズニーの罪は、このラストではまだ償いきれていない。逃げている印象すら受けた。
今後、現代社会における多種多様な価値観の在り方についてのディズニーの答えが、きちんと表明される作品が生まれることを切に願う。



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