自分であることのデメリット
私は自分という生き物について、よく考える。
よく考えすぎて、他人のことをあまり考えないし、他人の問題を自分に当てはめて考えてたりもするので、おおむね思考は自分が中心となっている。
「男性の有害性」という言葉を見かけた。へえ、と思いながらいくつか記事を読んだ。例によって私は私の問題として考えていた。
私は女なので、「女の有害性」について考えた。
この場合、できる限り以下のことを考慮しないよう試みる。
・一般的な女性の社会的地位
・制度的問題
・男尊女卑思考
(この場合の”一般”は私基準とし、”制度”は私が知る限りとする)
要するに女の気質による有害性だ。社会や環境に左右されて損している!という話しではない。だが現代社会に生きている人間なので、どうしてもそういうものに左右される点もある。できる限り、なのであっても「できなかったんだな」と考えてほしい。私はやろうとしてやれないことがたびたびあるので。
また、当然ながらこの記事を書いているのは私であり、私は私の感覚を重視しているのでここで言う”有害性”は私がそうと判断したものである。
【感情的になることが多い】【話題が別のものに逸れる】
感情的になることは別に悪いことではないが、それが「話題が逸れる」と組合わさって、討論ができないことが非常に多い。女性相手に話しを深めようとすると、感情が高ぶった女性はたびたび話題がすり替わっている。私もそういうことがあるので気をつけようとは考えているのだが、コントロールがきかないことも多くある。
【生殖機能と生理】
生理に関する問題は私が今更言うことでもないので当然として入れたのだが、……ここからは”感情的でやや話題が逸れる”がご容赦願いたい。
子どもを作りたくない私としては「生理」というものが非常に厄介である。生殖機能を無くしたいと切実に考えることもある。しかし、妊娠が生き物のメリットとして数えられる女性である以上、これを誰かに言ったらやめるよう説得されるだろうと安易に予想がつく。
この点も有害だと私は考える。
【男性に恐怖している部分がある】
これは野良猫が人間に近寄られて逃走姿勢を取ったり威嚇するのと似たようなものだ。自分よりも純粋な強者に害されるのではと怯えてしまう。
私に限った話しで言えば、たとえその対象がどのような人物であれ、「男性である」というだけで「この生き物に害されたとき私は抵抗できないだろう」という危機感が少なからずある。実害があるとかないとか、問題点はそこではないのだ。私の周囲にも一定数、こういう女性はいた。
【男性ではない】
人間という同じカテゴリに入っていて体の構造も似ているが、男と女は別の種類だ。
ここから下に書く考えは私の感情的な面が非常に多く、女性の社会的地位に関係するので、上記で挙げた前提は忘れてほしい。
また、私と同じように悔しいと考える女性が存在することを願う。
私は男性の友人を作るとき、「女であるデメリット」をいつも背負う。同年代の友人でも、自分よりも年上の友人でも、私が「女である」だけで「あの人とは付き合わないの?」と言われることがある。
そして特に年上男性の友人がいると話すとき「それはあまり人に言わないほうがいい」「変な目で見られていないか」「狙われているのでは」と言われる。要は私が不倫相手や援助交際に手を出さないよう暗に言っているのだ。
これは私にも友人にも失礼極まりない発言なのだが、残念ながら言われることはどちらかと言えば多い。ひどいときは「媚を売っておきなよ」とも。
だがここで最も憂慮すべきは、男性友人側にも言われているのではという危機感だ。私のせいで、素晴らしい友人が年下女性に手を出すと言われるのではと思うと、悔しくてたまらない気持ちになる。
あらゆる考えやあり方が示されている現在でも、私は「男性と友人になる」ことは困難だと考えているし、私と男性の友人がまったく隔たりのない状態でいられることは無理だと感じる。
思ったよりも長くなってしまった。
私はあまり深く考えずにこの記事を書き始めたのだが、私はおそらく最後に書いた、年上男性の友人を貶められたことが悔しくてそれを訴えたかったのだろうと思った。
だって、両性もしくは無性であれば、もっと言えば男性であれば、なんの心配もなく友人として堂々と過ごせたのにな、と私はよく考えるのだ。