友人全てから逃げたら楽になった。

 人付き合いが苦手だ。
 苦手どころではない。少しも好きになれない。

 他人の考えや意見を知るのは楽しい。もっと知りたいとも思うし、可能なら意見交換など行ったらきっと楽しいだろう。が、あらゆる魅力を私の目の前に並べたところで、私が嫌でも負う「人付き合いで消耗するエネルギーと精神的負担」に比べたら全てが霞む。
 素晴らしいこととわかっていても、私がすり減ってよい理由にはならない。

 数年前の私には、なんとも幸運なことに非常に心優しい友人が片手分とすこしいた。悩みを言い合い、互いに幸も不幸も分かち合い、研鑽するような、本当に良い関係だった。旅行したり、徹夜で語り合った。
 彼らとは一生関わり続けていくだろう。良い友人でいられるだろう。当時の私は大真面目に信じた。

 だがうつが治るにつれ冷静な思考を取り戻し始めた私は、途中で気付いた。
 私という人間の、おそろしいほどの不誠実さに。幼稚な言い掛かり、あてつけ、嫌味、自己中心的意見で押し通すわがままさ、今思い出すだけでも恥ずかしさで死にたくなる。
 そんな私と付き合っていてくれたのだから、あの友人たちは本当に良い人だった。
 だからこそ、私は彼らとの関わりを全て断った。
 要するに逃げた。己への羞恥と嫌悪、彼らへの一方的な罪悪感、劣等感。そういった都合の悪いものから逃げた。

 現在、私には一人も友人らしき友人はいない。
 冒頭にて「人付き合いで消耗するエネルギーと精神的負担」などと書いたが、これらの要因は未熟で無知な己を発見したときのストレスだ。
 決して誰かのせいではない。

 ここで友人たちの必死の説得や説教や喧嘩なんかがあれば、エンターテイメント性があっただろう。無いあたりが現実味に溢れている。
 いやむしろコメディっぽくて、めちゃくちゃ愉快だと私は思った。

 友人全てから逃げて交友関係のない人間になったわけだが、これが全然つらくない。逃げた初期は「やっぱり連絡を取ろうか」「謝って話しを聞いてもらおうか」と考えたが、それも二週間経てば思わなくなった。
 友人がいないことで、私は私を苦しめる対人ストレスからほとんど解放された。遊びの予定もないが、都合が悪くなったときの罪悪感もない。なんならひとりで遊ぶのが私は嫌いじゃない。意図の読めない発言に苦しむことも、理解されずに悲しむことも無くなった。交流から生まれるインスピレーションや意欲向上も無くなったが、構わない。

 人と関わることは多くの人々にとって善だ。
 けれど、私には善ではなかった。全てから逃げても、大して苦しまない。うつが治り、友人を切り、今はとても平穏な毎日で、今が私の人生において一番まともな気がする。