将来の夢は「家に金を入れること」でした

 将来の夢はなんだった? という話題が嫌いだ。
 なぜなら私には将来の夢などなかった。
 三十歳過ぎてじっくり思い返すが、私は「なりたいもの」なんて考えたこともなかった。どうやって今までの進路を決めたのかと言うと、我が家は貧困層だったので「金のかからない進路」だけが指針だった。

 中学時代、受験先をどうするのかと聞いてきた担任にとりあえず知っている高校名を言ったらあなたでは無理だと言われて、友人が行くという高校名を出したら行けるんじゃないかと言われたのでそこにした。自分で高校を調べようとは思わなかった。間違いなく入学できる公立であるのならなんでもよかったのだ。
 大学に行くつもりはなかった。無論、金が無いからである。幼少期から外食に行くと、言われてもいないのに値段を気にして注文していたので、わずかにでも金のかかることをしたくなかった。
 私は他人の苦しみを勝手に想像し、それを私のものと錯覚するきらいがあり、たびたび勘違いを起こす。当時も親の苦しみを金が無いこと、金がかかることだと想像し、自らの苦しみとしていたので、小学校時代からすでに大学に行くという選択肢は考えなかった。働いて家にお金を入れて、親の苦しみを取り除かなくてはと私はずっと考えていた。
 すると、私は高校卒業後はすぐに働くことになる。
 高卒でやれる仕事はなんだろうと考えても、私は何も職業が思い浮かばない。とりあえず金を稼ぎ、親に負担がなければいいだろう。学生時代の私はずっとそう考えていた。

 一度だけ、やりたいことがあり教師へ言ったことがあるが、「今からでは無理」とすげなく言われ、あっという間に諦めた。ちょうどその頃いろいろな要因でうつ気味だったのだが、その教師の「あなたには無理だ」という発言がギリギリだった私の決定打になり、打ちのめされてうつを発症させた。
 私が金を入れたいと思っていた家も消滅した。踏んだり蹴ったりである。
 それから十年間付き合うことになるうつ症状に陥り、結局私は高校卒業後の就職に失敗し、今も適当にふらふらとしている。

(教師が原因のような書き方になってしまったが、それも一因であるというだけで、教師に全ての悪があるわけではない。交流の浅かった教師に真っ向から自分を否定されたのは許しがたいけど)

 そういうわけで、幼い頃の将来の夢なんて、私にはなかった。
 正確に言えば「高校卒業後に家に金を入れること」だったのかもしれないが、世間で求められる答えはたぶんこれではない。もし私が無理に答えるのであれば「金の稼げる職業」なのかもしれない。アハハなんだそれ~って笑われておしまいだ。はい解散。

 もし今、タイムマシーンで過去に戻って自分に会えるのなら「家族は無くなるから違う進路にしないと進めなくなるよ」って言ってあげたい。