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理詰めで誰でも面白いストーリーが作れる 1 センス不要のストーリー理論

ストーリーを作るという作業は、かつてはごく一部の人々にしか縁の無いものだった。
ごく一部の人々とは例えば、プロの小説家・脚本家・漫画家・絵本作家等である。
それらを除く大多数の人々には、ストーリーを作る機会はほとんど無かっただろう。

しかしある時期から、サブカル界隈においては、二次創作という文化が盛んになった。
同人誌即売会も開かれるようになって、プロでない人々にとっても、ストーリーを作るという作業が身近なものになり始めた。

さらにその流れに拍車をかけたのが、インターネットの普及であり、とりわけSNSの普及は決定的だった。
インターネット上には今や、二次創作・オリジナル作品を問わず、プロでない人々によって作られたストーリーが溢れている。
不特定多数の人々に向けた発表の場が用意されたことで、プロでない人々がストーリーを作る機会が、大幅に増えたのである。
ストーリー作りはいまだかつてないほど、多くの人にとって身近なものとなっている。

ストーリーを作っている人、及び作ろうとしている人の多くは、次のような思いを抱いていることだろう。
「どうせ作るならつまらないストーリーより、面白いストーリーの方がいい」

そして次のような願望を抱いていることだろう。
「面白いストーリーの作り方が知りたい」

そのような人々のために、このテキストでは、これ以後数回に分けて、面白いストーリーの作り方について述べていきたい。

今回はその第一歩として、ストーリー作りにおけるセンスと理論の関係について述べる。


センスは必要不可欠か?

面白いストーリーは誰でも作れる――
この言葉をただちにすんなりと受け容れられる人は、どちらかと言えば少数派かも知れない。
おそらく多くの人はまず、以下のような反論が脳裏に浮かぶのではないか。
「ストーリー作りはセンスで決まる。面白いストーリーを作れるのはセンスがあるやつだけで、センスの無いやつはどう足掻いても無理」

ストーリー作りは「少数の選ばれし者」・「天賦の才に恵まれた者」にのみ許された特権であり、凡人がそれに挑戦しても、つまらないストーリーしか作れない――
そのような思い込みは割と一般的であり、とりわけストーリー作りの経験が無い人や少ない人ほど、そのような思い込みを抱く傾向にあるように思える。

しかし断言しておくが、その思い込みは完全なる間違いである。
ストーリー作りは「少数の選ばれし者」・「天賦の才に恵まれた者」にのみ許された特権などではないし、
センスは、面白いストーリーを作るために必要不可欠なものではない。

センスという言葉の二つの意味

まず確認しておきたいのは、センスという言葉の意味である。
一般にセンスという言葉は、主に二つの意味で使用されている。
一つは「天賦の才能」という意味、
もう一つは「感性」という意味である。
「センスが有る」とか「センスが無い」とか言うときは主に前者の意味、
「センスを磨く」とか「独特のセンス」とか言うときは主に後者の意味で使用されている。

ストーリー作りに関する感性とは、あるストーリーが面白いか否かを判断する力である。

この感性が鋭い人は例えば、
大多数の人が名作と評するストーリーについても、いくらでもダメ出しができたり、
大多数の人が駄作と評するストーリーについても、いくらでも良い所を発見できたりする。

この感性が鈍い人は例えば、
大多数の人が駄作と評するストーリーについても、一つのダメ出しもできなかったり、
大多数の人が名作と評するストーリーについても、一つも良い所を発見できなかったりする。

「天賦の才能」としてのセンスは先天的な要素だが、
「感性」としてのセンスは後天的な要素である。
後天的な要素たる感性は、努力次第でいくらでも磨くことができる

面白いストーリーを作るにあたって、天賦の才能は有るに越したことはないが、どうしても無ければならないというわけでは断じてない。
努力して磨き研ぎ澄まされた感性をもってすれば、天賦の才能を持つ者に勝つことは充分可能だ。

天賦の才能、感性、理論

そしてここからが重要なのだが、
「感性」としてのセンスもまた、有るに越したことはないが、どうしても無ければならないというわけでもないのだ。
たとえ天賦の才能に恵まれず、感性を磨く努力も不充分であったとしても、
充分な量と質の理論を理解し身に着け、それを活かしきることさえできれば、
天賦の才能を持つ者や、感性を磨いた者に勝つことは、充分に可能なのである。

感性の磨き方については別のテキスト(いずれ投稿する予定)に譲るとして、
数回に分けて投稿されるこのテキストでは、それ単体で面白いストーリーを作るために充分なだけの、量と質の理論を提示する。
天賦の才能を持たず、感性を磨く努力もしたくないという人であっても、この連投テキストを全て最後まで読んで理解し、身に着けて実践しさえすれば、面白いストーリーを作ることができるようになる。

面白いストーリーを作る力は、天賦の才能、感性、理論の総和で決まるが、それらのどれかが必要不可欠ということはなく、どれか一つでも突出して優れていれば、面白いストーリーは作れるのだ。

以下の図をご覧いただきたい。

グラフの縦軸は、ストーリーの面白さを1から100までの数値として表したものであり、60未満はつまらないストーリー、60以上は面白いストーリー、80以上はとても面白いストーリーだとする。
そして三本の棒グラフは、ここまで述べてきたことを、やや極端に表現したものである。
天賦の才能に恵まれたA氏は、感性を磨く努力も理論を身に着ける努力もほとんどせずとも、面白いストーリーが作れている。
B氏は、天賦の才能が全く無いが、感性を磨く努力に専念した結果、面白いストーリーが作れるようになった。
C氏は、天賦の才能が全く無いが、理論を身に着ける努力に専念した結果、面白いストーリーが作れるようになった。

この連投テキストを完全に体得すれば、たとえ天賦の才能が無くても、ストーリーの感性が鈍くても、誰でもC氏と同様に、面白いストーリーが作れるようになる。
ただし気を付けていただきたいのは、私が保証できるのは、あくまで面白いストーリーを作れるようになることであって、プロレベルへの到達とかプロデビューとかではないということだ。

プロとアマチュア

この連投テキストの内容を全て完全にマスターすることで得られる、面白いストーリーを作る力は、せいぜい60くらいが限度だ。
仮に80以上がプロレベルであるとするなら、この連投テキストの理論のみでは、充分ではないということだ。
天賦の才能がある方はさておき、そうでない方については、不足分は感性を磨くことによって補うしかない。

とはいえ、たとえ80には届かなくとも、60を超えれば充分に面白いストーリーである。
趣味として楽しむには充分過ぎるレベルであり、それなりの数の読者や観客を心の底から満足させることもできるだろう。

それにそもそも、全てのプロが全てのアマチュアよりも面白いストーリーを作れるわけではない。

以下の図をご覧いただきたい。

D氏のように、プロ顔負けのとても面白いストーリーを作るアマチュアもいるし、
E氏のように、つまらないストーリーを作ってしまうプロもいるのだ。
(いずれも架空の存在であり、実在の人物を想定したものではない)

もし全てのプロがプロレベルに達しているとしたら、プロの作ったストーリー(商業作品)は全てとても面白いストーリーであり、つまらないストーリーは一つも無いということになる。
が、現実がそうでないことは、誰もが知っていることだろう。

つまり、プロであるかアマチュアであるかということは、面白いストーリーを作る力を示す上での、絶対的な指標とは言えないのである。

まずは60以上の面白いストーリーを作ることを目標にして、その後のことはまた後で考える方が、精神衛生上も得策である。

もしどうしても80以上を目指したいという方には、この連投テキストとは別に用意する、感性の磨き方についての連投テキストを、ぜひ参考にしていただきたい。

まとめ

面白いストーリーを作る力は、天賦の才能、感性、理論の総和で決まるが、その三つのうちのいずれも、必要不可欠ではない。
つまり三つのうちのどれか一つでも突出して優れていれば、面白いストーリーを作ることができる。
この連投テキストを全て最後まで読んで理解し、体得して実践に活かしきることができれば、
たとえ天賦の才能と感性が全くのゼロでも、面白いストーリーを作ることができる。

今回のテキストは以上である。
最後まで読んでくださったそこのあなた、本当にありがとうございましたm(__)m

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