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「リスク」とは何か。

谷口朋
東京大学 薬学部 薬科学科


はじめに

 本アカデミーを立ち上げ、我々にこのような形で「投資」をしてくださった森山さんをはじめとする理事の皆様に感謝いたします。

IAと出会う前の自分

 私は性来、自分はもしかしたら誰かに対して何かプラスになることができるのではないかという傲慢な欲がある、平たい言い方をするならばお節介な人間である。

 小中の経験からなんとなく、頑張ろうと思える環境にいることは幸せなんだなと感じていた。この社会には最大限能力を発揮できる環境にある人とそうでない人がいる。その環境にありながらどう振る舞うかは個人次第であるが、努力するしないの前段階として生まれ育つ環境というのは大きな偶然性をもった要素である。
 人には自分が生きていくために最低限必要なタスクと適切な意思決定の必要性があるが、それを全て自分で抱え込まなければいけないというだけで圧倒的にリソースの分配が変わってしまう。経済力があり、より「豊か」なところへ住んでいれば、自動的にまたは意図的に失敗しにくい意思決定や自分を守る術を「外注」できるようになる。
 例えば、日本で生まれているというだけで病気になった時の医療保険や高齢になった時の年金の制度があり、世に溢れるさまざまなサービスにお金を出せば自分がやりたいことに割く時間を生み出せる。環境は選べたものではなくてただの偶然であったのに。

 そんなことを考えていた私の今後の道筋を大きく決定することになったのは、高校生の時に見た大村先生のニュースであった。大村先生は顧みられない熱帯病と呼ばれる創薬インセンティブが働きにくい病気に対する画期的な成分を発見され、ノーベル医学生理学賞を受賞された。
 そのニュースに端を発して、健康というものが諸活動の源泉であるのに「リターン」が大きいものにリソースが集中する構造の中では、経済力と健康に資するサービスの提供に負のループがあることを知った。簡単に言い換えるなら、お金になる薬、つまり患者がお金持ちである病気は研究開発が大きく進むが、その逆もまた然りである。そのような状況が「顧みられない(neglected)」と言われている。
 私はそこから医療を作り出す領域を志し、東京大学薬学部に進学をした。

 医療を創り出したいと言っても方向性が研究に大きく偏っていたわけではなく、もっと大きな視点で人的知的経済的資本のアンバランスさに起因する課題に取り組みたいと考えていた。
 大学一年生の時には実際に2ヶ月ほど東アフリカのウガンダに単身渡航したり、複数のNGOでのインターンをしたり、難民問題に取り組んだり、社会起業と呼ばれるものを実践してみたり、「どうしたら自分が偶然に与えられてきたものを偶然そうでなかった人々に還元できるのか」、ということを模索していた。経済合理性のメリットは肯定するが、追い求めるものに盲目になりすぎる社会構造や私が享受している恩恵のトレードオフについて自分なりにずっと考えを巡らせていた。

 IAに参加することとなったのは、院試も終わり研究室で研究に励んでいた大学4年生の後半だった。

IAとの出会い

 私がIAを知ったきっかけ、それは人違いからでだった。

 2期生として参加していた大学同期から急にトークルームに招待され、
「皆さん、明日のIdentity Academyの団体説明セミナーに申し込みありがとうございます!Zoomのリンクを共有するために知り合いの人を集めてトークルーム作りました。」という連絡がきた。

 全く心当たりがなかった。

 その彼とは新歓期に知り合い認知はしていたが、特にその後接点があったわけではなく久しぶりの連絡だった。
 とりあえず、どこかで寝ぼけて申し込んだ可能性も否定できないためグーグルフォームの送信履歴がないかメールボックスを調べる。

 ない。

 次に「Identity Academy」なるものを調べる。淡いゴールドをアクセントカラーに白黒を基調としたホームページがヒットした。
 マネー、リスク、などの文字も相まって怪しさはあったが、ちょうど”社会の構造”に興味を持っていた時期であり、社会の血流であるお金を動かしている人たちから学べることに対して直感的に面白そうだと思った。経済合理性の世界を見てみたいと思っていた。
 過去の参加者に友人がいたのですぐ連絡を取って色々聞いてみた。

 まあどこかで過去の自分が何かで申し込みしたのだろうなどと思って、そんなこんなで参加の意思を固めて応募をした。

 私をトークルームに招待をしてくれた方の弟さんが同じ3期として参加しており、初めて自己紹介をしたときに「あ、兄が間違えた谷口さんですね」と言われて、間違われていたことを知った。

 ちなみに、元々説明会に招待される予定だったもう一人の谷口さんも晴れて同じ3期になった。

IAでの学び

 そんなご縁で参加したIdentity Academyであったが、期待以上の場であった。
 駆け出しトレーダー用の研修のような講義(本当の場よりもだいぶ優しく噛み砕いて教えていただいたのではないかと思う)と、実際に運用する機会、また教科書的なものとは違う人の温度感をたっぷり感じる実際のケーススタディ、企業や金融などでトップを走っておられる方々とお話をできる場、そして実際に自分達が思考を巡らせ事業を作り出す経験、などなど盛りだくさんで濃密な時間だった。

 金融を軸にしつつも、運用や事業、そしてときには人生を題材とした「意思決定」を学ぶ場だったと思っている。
 ここで学ぶ意思決定は、多くの選択肢から安牌なものを選び取るということではない。
 アカデミーで教えられる「リスク」とは「不確実性」のことであり、その性質は「予測可能」かつ「非対称」である、ということである。

 日本の教育を受けてきたものとして、リスクという言葉は「危険」を意味していると思っていた。リスクは避けるものであり、マイナスのイメージであった。
 でもそうではなくリスクというのは「どうふれるかわからない範囲」であると金融のボラティリティの概念などを交えて学んだ。
 リターンというのはリスクのうち正にふれたものであり、リスクに内包されるものである。
 不確実性は正にふれるものと負にふれるものが等価ではなく、さらに不確実であるということはそれを予測できないということではない。

 つまり、冷たい頭と熱い心でやらないことを決めて選択肢を研ぎ澄ませ、無難に落ち着くのではなく野心を持って選び取っていけ、私はそういうメッセージと受け取った。
 10を目指すときに、確実に8に到達できるかもしれない選択ではなく、正しい方向へ向かえば12にも15にもなるような、そんなリスクをとっていきたいと私は思う。

 また、講師の方々の生き様や考え方から学ぶことが多かった。
 講師の方々を通して謙虚であること、オープンマインドであること、しなやかでありながらハングリーである、という共通点があると感じた。これは言葉で書くと陳腐かもしれないが、実際に対面もしくは画面越しで感じる「かっこよさ」はアカデミー生の特権である。
 結果を出して社会に価値を還元し高い評価を受けておられる方々の言葉の端々から、そうたらしめたであろう人格や心持ちの部分を感じ取ることができた。

IAを経たこれから

 自分がどうなりたいのか、についてはこのアカデミーを経て収束するより発散した。
 ただ、その発散の仕方はとてもポジティブである。
 経済合理性についてネガティブであったわけではないが、それを加速させる場所に自分が身を置くことはあまり考えていなかった。
 ただ、このアカデミーを通して金融という手段に明るい気持ちを持つことができ、この仕組み自体をどう使うかもう少し自分で考えてみたいと思う。

 また、先述のしなやかさについて、枝を持ちながらも外部の強い風を受けても上手くしなって決して枝は折れない、それが強さなのかなと思った。曲がらないことではなく曲がったとしても折れないような受容と耐性を兼ね備えた大人になりたい。

 しばらくは研究に自分のリソースを注ぎ込むことになるが、サイエンスとしての面白さを追求するのみならずそれをどう社会につなげていけるのか、という視点を持って研究に勤しみたい。
 このアカデミーで得た社会を動かす根本の仕組みについての学び、そして人とのつながりは、自分のサイエンスと社会の橋渡しの際に大きな力になるに違いないと思っている。

 お世話になった講師の方々に直接返すにはあまりある御恩を、今後の行動と社会還元で返していき、またご挨拶しに行こうと思う。

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