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Aという私の意見と、Bという他人の意見が出会い、Cを見つけるために人間は生きていると思うんです 〜林千晶さんインタビュー〜

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【飛騨の森でクマは踊る】
森の価値×伝統技術

ロフトワークの創業者の一人であり、会長という役職だけれど、人懐っこい笑顔でまわりを明るくしてくれる林千晶さん。グッドデザイン賞の審査以来親しくさせてもらっていました。4月1日からの新体制に伴い、退任し独立することになるというニュースを聞き、これはお話をうかがわなくてはと、レストランでランチをしながらのインタビューにこぎつけました。でも、始まってみると「なんで水口さんは一人でHotchkissをやることになったの?」「なんでこのプロジェクトをやってるの?」など林さんからの質問攻撃で、どちらがインタビュアーなのかわからなくなるくらい(笑)。さて、これからの林さんはどんな道を歩んでいくのか、乞うご期待です。

——ロフトワークはクリエイティブの会社を標榜しています。創業当初からそうだったんですか?

林千晶さん(以下、林) ロフトワークとプロジェクトをやると誰もがクリエイティブになる。それはロフトワークのメンバーはみんな実感しています。人はみなクリエイティブだし、クリエイティブになれる。その考えは創業時から。元々はクリエイターのためのポートフォリオサイトをつくる会社を立ち上げようとしていたんだけど、当時投資してくれそうな人から「日本にクリエイターって何人いると考えていますか?」って質問されたんです。それに対してのわたしたちの答えは「まだ生まれたての赤ちゃんともう死が近い人以外は全員クリエイター」だった。盛り過ぎだし、ターゲットが明確じゃないって結局は出資してくれなかったんだけど、ベースにはそういう考えがあります。

——その根拠は?

林 小学校で文化系の部活、例えば合唱部とか、美術部に入った人はみんなクリエイターだし、自治体が提供している文化プログラムで活動してる人なんかもそう。料理をつくるお母さんもすっごいクリエイティブ。そう考えるとほとんどの人が含まれちゃうなと。

——ほう。そういうオープンな考え方って元々持っていたんですか?

林 自分ではオープンなのかどうかも認識したことないので、わからないかな。

——林さんにとっては普通のこと?

林 普通だと思う。だって、他人がいないと張り合いがないし、生きていくこともできない。なんのために人は生まれてくるのかってことにもつながるんだけれど、私はアウフヘーベンなんだなって思うんです。例えば、私がこれを三角形といい、水口さんが丸だという。それは私が横からみてるから三角で、水口さんは上からみてるから丸。ふたりの視点を合わせてみると、三角錐という立体が立ち上がってくる。自分が知らなかった世界を持ってきてくれるのは常に他人なんです。自分においしいものを食べさせるためにおいしいレストランに行くことはなく、今日も、水口さんとだからおいしい。自分一人で食べるとしたら、なんでもよくなっちゃう。知らないことをどんどん教えてくれる他人って、素敵だし、私が気づいてないことを教えてくれるのも他人。それに対して「ありがとう」って思うし、私も人が喜んでくれることのために何かをやりたい。極論を言うと、私ひとりだけだったら、死んでもいい。Aという私の意見と、Bという他人の意見が出会い、Cを見つけるために人間は生きていると思うんです。

——それが林さんが考えるクリエイティブ?

林 そうそう。だから個人のBという考えがあったら、それを「ほんとはどう思っているのか」と深堀りすることで「実はこういうふうに思っている」ってその人のもっともクリエイティブな部分が表出してくる。それは会社が考えるAという考え方と実はそんなに違わないし、Cという考えに昇華していくかもしれない。ロフトワークではそうやってプロジェクトにしていくんです。

——どんなクライアントともそうやって合致できるんですか?

林 そうですね。そのためにデザイン・リサーチがとても大切なんです。クライアントが「IoTの電子レンジをつくりたい」と言ってきたら、わかりましたつくりましょうとはならない。「なんでそれをつくる必要があるのか、原体験を教えてください」って戻すところから始めます。そうやって深堀りしていくと、だったら電子レンジじゃなくてこういう製品が必要なんじゃないかっていう風につながっていく。デザイン・リサーチはクライアントから提示された初期設定の言葉を、ユーザーの言葉に変換していくことだともいえます。

——そのアウフヘーベンな考えって、頭ではわかっていてもなかなか実践できてる人はいないと思います。ロフトワークでは200人いる社員にもそれを理解させ、行動させられていたんでしょうか。

林 もちろん!一回、腹に落ちると簡単なんですよ。それに、これからはロフトワークを辞めて新しいテーマで動こうと思っているんだけど、一方であと一年は何らかの形でロフトワークに貢献したいと思っている。社長の諏訪は経営者としては優秀だし、社員がモチベーションを持てるようなインセンティブの仕組みをつくりあげたのは彼だし、すごい。でも、文化的な側面をつくってきたのは私。文化的な部分と経営の部分の両方を私と諏訪がふたりで担ってきたんです。

ロフトワークを辞めてもヒダクマの事業には関わっていく

——具現化していくのは諏訪さんで、理想をつくるのが林さんで、その両軸が必要ですよね。林さんが抜けたロフトワークは大丈夫なのかって思います。

林 そのためにエグゼクティブの3つのポジションをつくりました。ひとりは文化担当。会社における文化ってすごく大切だし、多くの企業で文化担当のエグゼクティブがどうしていないのかって不思議なくらい。それほど、これからは文化が大切になってくると思ってる。あとの2つはサステナビリティ担当とクリエイティブ担当。ロフトワークっていうカルチャーはどういう風に進んでいくのか、サステナビリティにどう向き合うのか、そしてロフトワークのクリエイティブはどう進化していくのか。私のやり方とは違う形で、3人が自由に社内外に発信していくのがこの制度です。このメンタリングは、当面私がやっていきます。

——その3つの視点がロフトワークにとってもっとも大切なことなんですね。

林 今はそう。また必要な視点が出てきたらそのポジションをつくればいいと思っています。

——自分がやりたいことがあるから辞める。それと、自分は引くべきだから辞めるという2つの気持ちがあると思いますが、割合としてはどうですか?

林 引くべきであるという気持ちが9割以上ありました。今は次の会社のことを考えなきゃいけないから、半々くらい。でもこの質問を1年後にされたら、新しい会社って言ってると思う(笑)。私の息子が生まれたのがロフトワークを設立した1年後。その子が去年成人しました。あんなに子どもだったのが大きくなったなあって。彼が小学校5年生の時に離婚しちゃったんだけれど、そんな状況でもグレずに立派に育ってくれて本当によかったなあって思うし、一方でもう息子から子離れしなきゃなって。だとしたら、同じころにつくった会社だっておんなじだって思ったんです。成長してないっていうのは親の思い込みで、実はちゃんと育ってるって。

——子離れするわけですね。

林 はい。そりゃ、若い人たちだからいろいろ悩みがあるかもしれない。それに関してはいくらでも相談に乗る。でももう主体ではない。私が主体のロフトワークは終わったんです。

——そして、子離れした後は?

林 より人の気持ちに寄り添う活動をしていきたいな。東京にいるとなかなか聞こえてこない声に耳を傾けたい。痛みを感じとり過ぎて、聞きたくなかったっていうようなこともあるけれど(笑)。それがどこかって端的に言うと東北、あるいは山陰地方。そういうところの声は中央にいると聞こえてこない。国の事業に関わって全国の中小企業向けに応援するから手を上げてくださいって募集をかけたことがあったんです。でも、そういうところはそもそも手をあげてこない。ロフトワークが東北とつながりが弱いっていうのもあるけど、そもそもイノベーションに対して関心がある企業も少ないと思う。でも、ぐぐぐって近寄って目を凝らしてみるとおもしろい活動がいくつも沸き起こっている。その人たちを何らかの形で支援したいんだけれど、まだそのやり方が見つからない。だから、実際に出向いてどういう支援がうれしいのか話し合っていきたいなと思って。秋田にいる人たちがこうやって支援してくれたらいいのにと思ってる、一方で、私はこうやったらいいんじゃないかと思っている。AかBかじゃなくて、AとBを出した上で、その背景にあるCにしよう!っていうものを見つけたい。アウフヘーベン!早速GW後半、秋田に行ってきます。

——どうやってつながりを見つけたんですか?

林 不思議なことに本当に見つけようと思ったら見つかるんです。AIUって秋田の国際教養大学の卒業生たちを中心に映像製作をてがけているグループや、にかほでゲストハウスをつくろうとしているグループ、他にも568km離れている東京と秋田を物流でつなげようとしている女性、畜産農家など、若くてやる気に満ちている若者8人くらいが集まってて。そういう、今までロフトワークではつかまえきれなかった人たちを支援したい。それはベンチャーキャピタルのようにお金を出しますっていうのじゃなく、かといってノウハウだけでもない。それを見つけるために本気で議論させてもらおうと思っています。

——今後はそこに焦点を絞る?

林 うーん、そうでもないかもしれない。たとえばもう1ヶ所フォーカスしたいのが富山。ヒダクマをつくった時にわかったのは、岐阜県って南北に長くて、南部は名古屋文化圏だけど、飛騨のある北部は富山の文化圏。東京からのアプローチは東海道新幹線で名古屋経由でワイドビューひだで北上ってパターンと、北陸新幹線で富山経由で南下するパターンがあるけれど、断然富山経由がいい。食もいいし、文化も好き。それで富山っていいなって思っていたら、富山で若手支援のプログラムを始めたいって構想があって、そのメンバーになってくれないかってロフトワークの社員から2週間前に相談されて。その瞬間に「あ、富山だ」って(笑)。

——富山はいいと思います。金沢という隣の街から見てても、あきらかに拓けてるし、外とつながりたいって意識がすごくある。話は変わりますが、脳の状態は元に戻りつつあるのですか?

林 脳梗塞になってから約3年。だいぶ元に戻ってきたけれど、概念と言葉をつなげるのにまだ時間がかかる。右脳で伝えたいイメージがあって、それを左脳が言葉に変換してるんだけど、それがほぼ自然に行えるようになった。普段は意識してないけれど、こうやって病気のこと聞かれたりとか、講演しなきゃってなると急に私病気だったんだって意識しちゃう。今日のインタビューでもまだ言語化されていない新しい会社の話をしなきゃならなかったから、言葉を吐き出すのに時間がかかる。とはいえ、ロフトワークですらどういう会社かを言語化するのに22年かかった。「Creativity wihtin all」って。だから私にとって、病気は関係なく、言葉にするのはかなり難しいことなんです。

——今日お話を聞いていても、言葉にできないことがまだまだ右脳にたくさんあるんだろうなと思っていました。元々そんなに得意ではなかった?

林 そうだと思います。でも、脳梗塞になる前は人がどういう言葉や概念を求めているかを察知して、耳障りのよい言葉を瞬間瞬間に反射神経で吐き出していたかもしれない。だから病気になった今のほうが、丁寧に選択している分、言葉にブレがないかもしれない。病気になって左脳ってこんなに言葉を選ぶのにがんばっていたんだって気づかされましたね。

——会社のマネージメントをやっているとどうしてもルーティーンにならざるを得ないこともある。今後はそれから解放されて、新しい刺激にどんどん出会っていけるから、脳のためにもいいかもしれないですね。

林 そういうところは水口さんと似てるかもしれない。これまでは社員に任せてたことを改めて自分でやる、取り戻す。私も同じように第一歩を踏み出すんだなって思う。

——新しい道へ一歩を踏み出す林さんを応援します。ぜひ、富山でなにか一緒にやりましょう。今日はありがとうございました。

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