見出し画像

調子の悪さのパラメーター

ストレスがかかったとき、希死念慮や積極的な自殺願望に支配されたとき、食事がとれなくなる人がうらやましくなる。

どんなに悲しくてもお腹が減り、食べ物の味を普通に感じ、するすると食べてしまうことが悲しい。
お前は正常だと、まだ限界ではないと突きつけられている。
私は私の体にすら私の辛さを認めてもらえない。
私は私の体にすら私の死にたさを軽視されている。

もちろん食べなければいい話なんだけども、それが成功したことはあまりない。
心配された瞬間口に詰め込んでしまい、味を普通に感じて、残すことを嫌がられたら全部食べきるからだ。私は心配してもらえるだけありがたいと思う必要がある。行動の目的が、昔のように怒鳴られるのを回避することだとしても。

でも叶うなら、思う存分セルフネグレクトをしたい。餓死しそうになったら、こんな私でも命の大切さやご飯が食べられるということ自体の幸福に目覚めるかもしれない。

私は辛いときやつれていかない。
過眠と過食と過剰なインターネットでしかストレスを紛らわせられない。
顔色は普通に良い。体重はそこそこ増える。疲れ目は目に見えない。

そもそも熱があると他人に気づかれたことが一度もないから、私がいくらやつれたって気づかれないかもしれない。
でも、本当に辛いという根拠にはなる。
根拠がなければ責められるだけだ。それはもう、実習中の看護学生みたいに。
そしてなにもかも普通にできると思われる。私は全く元気ではないのに。

そして、実際なにも食べない選択ができる日でも、私は多分食べてしまうんだろう。食欲を抑えられないクズだからだ。食欲を抑えられるほどの死にたさを持ってないからだ。

いつか私がなにも食べられなくなることを夢見ている。
平気で何食か抜いてみたりして、他人の体型に口出ししていいと思っているひとに「痩せたよね!」と褒められたりしながら。私の意思にちゃんと体もついてきてくれることのうれしさを感じながら。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?