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母と暮らす

私は寝たきりの母と暮らしている
きっかけは誤嚥性肺炎での入院だった

母は持病のために
一日の中で嚥下機能がうまく働かない時間があった

そういう時間は口に入れてもそこから進まない

調子が良くなると急いで食べようとして咽せる

また、薬を飲んだあとは調子がいいので
なんとしても薬を飲ませようと、
呑み込めないのに無理に水で流し込もうとした

今思えばそんなことから誤嚥性肺炎を招いたのだろう

入院後は口からの摂取は禁止、
投薬しながら点滴での栄養注入が始まった

入院から2週間が経った頃、
医師から今後の栄養摂取の仕方について説明があり、
決断を求められた

とにかく体力回復が大前提、
胃瘻からの栄養摂取を決断した

胃瘻増設をして1週間様子を見て退院

ケアマネジャーからの勧めもあって、
一旦転院させ、その間に自宅介護の準備を整えた

転院先はリハビリ専門の病院でとてもいい環境だったが、
そこでの2ヶ月間で母は立てなくなってしまった

入院直後は手を引けば立つことも
2、3歩歩くこともできたのに、

骨折の危険を避けたのだろう、
その後のリハビリが甘かったせいなのか
右足は拘縮してしまい、
ミトンをしていた左手は握ったまま開かなくなってしまった

ちょうどコロナ禍で
面会がオンラインでしかできず、
直接会って様子を見ることもできなかった

時期が悪かった

転院先で2ヶ月を過ごした後、自宅介護となり、

昼、夕方の訪問看護とその間に訪問リハビリ、
夜は8〜9時頃にオムツ交換で
ヘルパーさんに入ってもらい、

夜間〜翌午前中は私がおむつ替え、痰の吸引、
栄養注入を行う日々が始まった

入院前は、自力歩行はできないが、
手引き歩行でトイレに行くこともできたし、
自分でお箸で食事もできていた

朝昼晩の食事のことや、
日中に限らず夜中にも2、3度トイレに
連れて行っていた頃と比べると、

私にとっては楽にはなったが、
自分で何もできなくなった母にとっては
無念でしょうがない、辛い毎日なのだろう

高齢なのでときどきわからないことはあるが、
認知症はなく、頭ははっきりしているので
周りが話すことは理解して反応する

だから毎日、私は母に
「リハビリして早く元気になってね」
と話しかけている

胃瘻を増設したのも、早く体力回復して、
元のような生活をさせてあげたいと思ったから

気の持ちようで、きっと変われる!
そう信じている

まずは座れるようになることから、
きっとまた立てるようになると信じて

時間がある限り手足を動かしたり
声をかけて口を動かす練習をさせたりを
日々続けている

「早く元気になって一緒にお出かけしようよー」
なんて言いながら

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