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自然はいつも人間に警告してくれている⚠️𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧


2024.5.28 note初投稿日
からスキ、フォローをして下さった方、興味を持ってくださった方々誠にありがとうござます!また、多くの反響を頂けたことに感謝申し上げます🙇‍♀️
noteを初めてそうそう、
多くの反響こそ発信活動をするモチベーションになるんだろうなとしみじみ感じました😭
まだnoteを始めたばかりですが、これからも末永くよろしくお願い致します🙇‍♀️



さて、皆様は最近どうお過ごしでしょうか?
最近京都では大雨が降ったり暑い日が続いたりと天気が活発です☀️☁️☔
地球温暖化による気候変動が酷い昨今ですが、朝の澄んだ空気を吸うと、体が欲していた感覚になります🍀☘️
今日は自然について私が思ったことを書いてみました。普段は花や自然の写真をちょっとした文章を添えて投稿するアカウントになってますが、時々このように問題提起したり、長々と書くこともありますが読んでいただければ幸いです。



それではテーマの"自然はいつも人間に警告してくれている⚠️"について話していきます𓃒𓃘𓃹𓃱𓃰𓃟
皆様は自然に対して畏れ多い、怖いと感じたことはありますか?
私は自然に対して怖い😱という感情を持つことはとても大事だと思います。しかしただ畏れ多いものと感じるのではなく、なぜ畏れ多いものなのか知ることが最も大事です!以下に自然を畏れ多いものと見ることがなぜ大切なのか何に繋がるか私の意見を書きました。
自然は普段は私たちの味方ですが、時に人間の脅威になります。古代の日本では、自然が猛威を振るい人間の力ではどうしようも無いことが起きた時、自分たちの行いを振り返るきっかけになっていました。例えば、平安時代では雷が家に落ちることはその家を誰かが呪っていると解釈されたり、洪水さえも誰かの祟りとされた時代でした。
- ̗̀⚠︎ ̖́-祟りは生きている人間が怨みを買うようなことをした自覚があるから起こる考え方。
祟りだの呪いだの、なんて嘘くさい考え方!と思った方もいらっしゃると思うが、この考え方はとても合理的な考え方だと私は感銘しました。理由は祟りや生霊を恐れる人はそれ相応のことをした人であり、悪いことが起こればそれは自らの行いが悪かったと反省し、振り替えざるを得ない状況になるからです。

これらのことから分かるように、人間の力ではどうしようもないこと(天気が大荒れして稲作が育たなく生命が危うくなる、普段起こらないような猛威を自然が振るう)が起きると、人間は真剣に祈祷し、自分の行いを反省しどうか神様が私たちを見捨てませんように🙏と祈ります。それが科学技術も何も証明されていなかった時代のあり方です。しかし今は呪いも信じられていなければ(人による)、科学技術が発達し天気の仕組みまで分かっています。要するに自然が畏れ多いものと感じる機会は昔に比べて確実に減っています。自然を畏れ多いものと感じなければ、人間無敵………な状態になるのではないかと思います。だって、自然が猛威を振るっても自分達の行い(地球温暖化問題、海面上昇、食糧不足など言い出したらキリがない)を顧みることはないでしょう。これらどの問題も人間自ら種を撒いて、人間自ら苦しむ結果になっているのに…













ここまで私の"自然はいつも人間に警告してくれている⚠️"というお話を聞いて下さりありがとうございました。
これを見たキッカケに自然のこと少し学ぼうかなとか、自然のためになることを少しでもしよう!と感じてくれたらこの上なく嬉しいです。自然は時々脅威を振るうもので、いつもは私たち味方というのが本来の自然のあり方だと思います。今は自然が猛威を振り続けていますね。ちなみに自然が私たちの味方というのは、日常では私たちのためになってくれているという言い換えです。私は直接自然のためになってる活動はしていませんが、自然に関して発信するという活動も巡り巡って自然に貢献できると信じています。

ここまで長い文章を読んでくださった皆様、誠にありがとうございます。
皆様にとって意義があったと思ってもらえれば幸いです🙏✨

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