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太宰治『葉桜と魔笛』

「桜が散って、このように葉桜のころになれば、私は、きっと思い出します」
主人公の老婦人はそう語る。
三十五年前、二十歳の主人公は、病弱な十八歳の妹と、厳格な父の三人で暮らしていた。妹は腎臓結核を患っていて、医者からも「百日以内」と言われていた。
ある日、主人公が妹の箪笥を整理していると、
M.Tという男からの30通ほどの手紙を見つけた。差出人には色々な女性の、それも妹の友人の名前が書かれていたため、妹が男と文通していたことに、主人公も父親も気づかなかったのだ。
最初は楽しい気持ちで手紙を読んでいた主人公だったが、妹が醜くすすんだ恋愛をしていたことを知り、手紙を一枚残らず焼いてしまう。
自分さえ黙っていれば、妹はきれいな少女として死ねる。そう思った主人公は、まるで自分のことのように苦しむ。
病気を期に男に捨てられた妹を不憫に思った主人公は、M.Tのふりをして彼女に手紙を書いた。
しかし妹は「なんのことやら、あたしには、ちっともわからない」と言う。
あの30通ほどの手紙は、自由恋愛に憧れた妹が、自らを慰めるために書かれたものだったのだ。
つまりM.Tという人物は存在せず、「醜くすすんだ恋愛」も彼女の妄想だった。
その時、主人公が手紙に書いた「六時に庭の外で口笛を吹く」ということが、実際に起こったのだ
二人は恐怖を感じながらも、その不思議な口笛に耳をすます。それから三日後、妹は死んだ。
あの口笛は、神さまのおぼしめしだったのか、
偶然その場に居合わせた父親の仕業だったのか、
今となってはもう、確かめようがない。
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『葉桜と魔笛』は、口笛の正体をめぐって様々な考察があります。
もし父親が口笛の正体なら、すごく美しい家族愛だなと思います。ただ、個人的にはどうしても父親の仕業とは思えないのです。大正の堅物親父がこんな粋なことできますかね…?
また、「あれは神さまの口笛だった」という説も、私は違和感を感じます。妹の魂を浄化させたであろう神聖な口笛を、「魔笛」と表現するのは、ちょっとおかしい気がして。

よってあの口笛は、M.Tが吹いたのものだと考察します。M.Tは実在しており、姉に自分の不純異性交友がバレた事を危惧した妹が、「あれは自作自演だ」と嘘をついたのではないでしょうか。
妹を捨てたM.Tだけど、やっぱり気がかりになって家を訪ねようとしたところ、偶然二人の会話が聞こえてきて、口笛を吹いた。
みたいな、、、
「あたしのからだを、しっかり抱いてもらいたかった。姉さん、あたしは今までいちども、恋人どころか、よその男のかたと話してみたこともなかった。姉さんだって、そうなのね。姉さん、あたしたち間違ってた。お利口すぎた」
という妹の発言が印象に残っています。
これは、「青春を犠牲にせずに、恋愛を謳歌してほしい」という姉へのメッセージなのではないでしょうか。



何はともあれ、
主人公がM.Tのふりをして手紙を書いたことも、
真意は分かりませんが妹の言動も、
そして誰かが吹いた口笛も、
すべて愛の行為です。

悲しい物語ですが、太宰治の人間への愛情を
感じられる、素敵な作品です。

『葉桜と魔笛』、皆さんも一読してみては
いかがでしょうか。



青空文庫https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/42376_15545.html

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