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役者初めて3本目【永遠の鎮魂歌〜Ever Last Requiem】についてのお話『後編』

お待たせしました。
えばれくが終演してもう一週間が経ったんですね。
あっという間なのかめちゃくちゃ長かったような、いつまでも余韻が抜けきらない今日この頃。

さて、前回はエシュバラの役作りについてのお話を少し触れましたね。
それじゃあ後編ではアクションのことやみなさん気になっている裏設定について、あとはまあ赤裸々な感想とか書いていこうかな。
多分結構長くなります。
もしまだ『前編』を読んでいない方がいらしゃったら是非読んでみてください。

初めてのアクションでございました

僕は木刀握って半月で今回の公演のオーディションを受けたので、アクションについて右も左もわからないわけでございます。
それはもう苦戦しました。

僕は空手だったり野球だったりと学生時代はかなり体を動かしていたので、体力的な面ではあまり問題はなかったのですが、『安全面』と『アクションに芝居をつける』この二つですね。
要は絶対に怪我をさせちゃいけないけどボコボコにしている(されている)ように見せるということですから。動き方や位置の取り方、距離の測り方、全部始めての考え方です。自分のことだけじゃなく相手のことまで考えないといけない、つまり振りを頭に入れた段階ではお話にならないわけです。
さらに、一個の一個のリアクションでお芝居をするわけですね。役者として当たり前のことではあるんですけど、武器の構え方や振り方に個性を出したり、相手のキャラと武器に斬られたらどんな斬られたリアクションが正解か、と『正しくカッコよく嘘をつく方法』についてめちゃくちゃ頭を回していました。

僕の背丈は低い上に体格もかなりの細身です。そんな自分の体でどうやって強い悪役を演じるか、めちゃくちゃ研究しました。
ひとえに『強さ』や『かっこよさ』といってもいろんな種類があります。
ブン太みたいに大きな武器を派手に振り回す力強さ
アレスみたいに暴力的で無慈悲な純粋な強さ
ヒノ隊長みたいに鋭く芯のある太刀筋を宿した達人のような強さ
サクラみたいに崩れる牡丹のように大胆ながらも可憐な強さ
他のキャラの魅力を上げていけばキリがありません。
彼らに並ぶにはどうすればいいか、自分がその場所にいる意味をどうやって作るのか。
実際に武器を持ちながらお芝居をしてても「弱そうに見える」ことがずっと課題でした。
そこで改めて僕は自分の作った役と向き合いました。

エシュバラ
残虐非道
奏でる旋律で味方を指揮する能力

当時知っていた情報は本当にこれだけです。
ここから指揮者という一つのモチーフを作り、そこからフェンシングや社交ダンスなど複数の要素を足し引きして自分のキャラを作っていきました。
多分そこからは早かったんじゃないかな。
紳士然とした立ち方、左手の構え方、武器の構え方、武器の持ち替え方、そして特徴的な表情の作り方。
ホムンクルスチームの出番は多いですけど直接的な戦闘シーンやセリフは少ない方です。だからこそ、休み時間ずっと鏡と向き合い『ただそこにいる』芝居について研究していました。

これは余談なのですが、僕がアクション舞台を受けるきっかけをくれた人がいるのですが、その人も実は物語の中では重要人物なのですがセリフや戦闘シーンは少ないんです。なのに立ち方ひとつで存在感を放っていたんです。
最初のきっかけの時点で僕はエシュバラと出会うためのヒントをもらっていたんだと思います。


合言葉は『やりすぎない』

稽古序盤はセリフが少ないことをいいことに好き勝手やらせてもらいました。
ええ、それはもう生き生きと、ゲラゲラギャハギャハウワンウワンと、情緒不安定なエシュバラを全力でやってました。
やっぱり全力の芝居はウォーミングアップが大事ですからね、自分のシーンが来る前に腿上げを20回くらいやって息切らしながら稽古に励んでいました。ただ、その動画を見返してみると……

「なんだこいつ、やべぇえな」

あっす、あっす、あっす……
やりすぎました。いや、やりすぎたというか全力出すことに夢中になると役にのまれるというかいつの間にか制御が効かなくなるんですね。
確か映画でジョーカーの役を演じた役者さんは精神が不安定になるとかならないとかありましたよね。いやぁ怖い怖い。
てことで次に出された課題は「周りを見ながら出力を調整する」でございます。どこまでがやりすぎでどこから薄味になるのか、その加減を見極めながら殺陣やら芝居をしていくと……
ここら辺で脳のリソース足りなくなってきましたね。あはははは。

でもあのまま行っていたら正直、本当に作品のバランスを崩しかねなかったので、踏みとどまれて良かった。
ほんと皆さん、ご迷惑おかけしました……

話は少し変わりますが、エシュバラといえば狂気的な『笑顔』ですよね。
あれ、エシュバラにとっては『虚勢』として演技を構築しているんです。
だから彼の笑顔のほとんどは『嘘』なんです。でも、稽古の段階では作る表情が『嘘っぽすぎる』ということで、すごい苦労しました。
嘘ではあるが嘘に見えないように嘘をつく……あれ?頭こんがらがってきたな。演技ってようは嘘をつくということだけど、僕が初めて外部の公演に出たときに「ハル、お前は嘘をつくな。自分の中にあるものを出せばいい」と言われ続けてきました。
そういう意味で言えば今回はたくさんの嘘が詰まっている舞台なわけですが、でもどれひとつ自分の中では嘘にしないようにする。
自分の成長に必要なことがたくさん詰まっていたと思います。


最終稽古の写真

それはそれは濃密な……

えばれくはチームごとで結構話す時間が多かった気がします。
我々ホムンクルスチームも稽古外で集まって色んなことを話していました。
芝居のこと、アクションのことももちろんなんですけど、一番話し合ったのは……

「ぶっちゃけ、ホムンクルスってなんなんだろうね……」

いやぁ、悩んだ悩んだ。
一応作中でも正体については触れられてはいるけどそれだけじゃ演じるには足りない足りない。
そのため各々で設定を持ち寄っては辻褄を合わせていく作業にとても時間がかかりました。作中でその情報が開示されることはないのですが、やっぱりそこが決まる前と後では芝居が劇的に変わりましたね。
因みに我々ホムンクルスには人間だった頃の記憶が全員設定されています。
他のホムンクルスの内容はあまり言えないのですが、内容的にはエシュバラとアレスがダントツで重いです。
エシュバラは生前は劣悪な環境の孤児院出身で10歳頃(正確な年齢は把握できていない)身売りされてホムンクルスの素材になります。
体も弱く、不器用なため職員からも子供達からも虐められていますし、なんならホムンクルスになってもいじめは受けてます。最後に一緒に戦う一般ホムンクルスたちは操ってるとかじゃなく、同じ最悪な環境を生き抜いた仲間なので、ヘルメスたちとは別の絆で結ばれています。
もし環境が違えばショウマみたいに真っ直ぐで純粋な少年に育ってたと思います。

あとホムンクルスはそれ用の施設があって、人間に実験だったり奴隷みたく扱われていて、エシュバラは色んな薬をぶち込まれてます。
前回言った『後遺症』はそういう意味です。
なので常に倦怠感や寒気、発汗に吐き気が付きまとうし、肌も内臓もクズクズです。
多分エシュバラは太陽の下では生きられないんじゃないかな。

そんな中で施設ごとルシファーがぶっ壊して脱出した上に対等に扱ってくれるもんですから、そりゃあもう崇拝ものですよ。

せっかくだからお話しすると、エシュバラは自分がめちゃくちゃ弱いと思ってます。(本当の実力は測定できないけど)
弱いと思ってるからこそ不安で、虚勢を張って、味方であるヘルメスたちの前でも道化は崩しません。だって、いつ自分が見限られるか不安で仕方ないから。
ただまあ、施設時代身を寄せ合っていじめに耐え抜いた一般ホムンクルスたちの前ではずっと無表情でいられるはず。

とまあ、そんな感じの背景をね、全員ごろごろ出していくものですから、スピンオフできちゃうんじゃねーのってくらいホムンクルスチームのエピソードは濃いです。鬼チームとのすり合わせ大変でした!!!
ただ、いや、だからこそたくさんの愛が詰まった作品になったんだと思います。
ここまで綿密に練ったのは初めてなんじゃないかな。
作中描けなくても積み重ねたものがあるからこそ一つ一つのセリフに重みが出るんだと思います。
少しでもみんなの役のそこにかける想いが伝わってくれてたら嬉しいな。


チームホムンクルス

愛しい隣人と手を繋いで

僕は役が憑依する、みたいな感覚があまり掴めません。
役に呑まれる、ということは前述した通りあるんですが、それはつまり冷静さを失っているだけで、憑依とはまた違います。
憑依する、その役の感情を素直に、正直に自分のものとして感じる。それは役者として大きな素質であり、それをできる人はとても貴重なのだと思っていました。でも、えばれくの役者陣にはそれができる人があまりにも多かった。

本当に恐怖を感じた演技
本当に死を体験した演技
自分の無力さに絶望する演技

ああ、どれもなんて素敵な演技なのだろう。
僕は演技の中でちゃんと感情で泣ける人を心から尊敬しています。
なぜなら僕にはできないことだから。
泣こう、と思った時点でそれはもう演技でなくなってしまうから。

役者といえばその役になる、っていうのが一番わかりやすいイメージなのだと思います。現にそれを体現している人をえばれくで何人も見ました。
僕は本当は彼らのようになりたかった。
でもどうやら僕はそういう役者ではないみたいです。
ごめんね、エシュバラ。どうやら僕は君になることはできないみたいだ。
でも君のことをずっと考えていた。
君のことを全て理解できないことを踏まえて、君の悲しみに寄り添ってみた。
苦しかったね、生きたかったね、それと同じくらいずっと死にたかったんだね。でも僕は、僕の信念で君の生き方を肯定してあげられないから、せめて君が僕の隣にいられるように芝居をするよ。

積み重ねて、小屋入りして、舞台に立って、そして最後のシーン。

「守るんだ!今度こそ。俺がみんなを……」

その瞬間やっと僕は
彼と手を繋げた気がしました。
彼の手は小さくて、弱々しいくらい柔らかいのに指の付け根には夥しいマメができていて、ほんのり冷たかった。
よかった……どうやら僕は演技の中では無理でも
彼のために泣ける役者にはなれたみたいです。

いや5体1でよく頑張ったよ

楽しかった、それだけの話

稽古はしんどいです。
頭を使うし、体力も持ってかれるし、それでも足りないことだらけだし。
きっと僕以外の人もそうだったんじゃないでしょうか。
それぞれ胸に抱く思いは違えどその重さは計り知れないものだと思います。
でも、本当に申し訳ないですけどね、僕は、いつも稽古が終わるたび

「あー!!!!今日も楽しかったなー!!!」

そうなんです。
楽しかったって、最後に残るのはそれだけだったんです。
あまりよろしくないかもしれないけど
でも、挑戦するワクワクも
挫折するショックも
次はどうしようかと悩む時も
体ボロボロになる時も
なんかもう全部楽しいんです。
すみませんね、お客様の笑顔のために、の舞台で演者が一番楽しんじゃってねえ。

でも、これまでずっと苦しかったんです。
演劇を続ける理由が見つからなかったとき
自分が演劇をする意味もわからず、何も社会に貢献できないまま自己満足に浸ることが許せなかったんです。
自分が演劇が好きなのかもわからない中でひたすらにがむしゃらにもがいている中で、ある日言ってもらえたんです。

「ハルってさ、演劇すごい好きなんだね」

ああ、そっか。
今苦しんでる時間も僕は楽しんでいたんだ。
僕は、ちゃんと演劇を好きでいられたんだ。
たくさん汗流して、ひたすら『かっこいい』を突き詰めて、そしてたくさんの人に自分と同じだけの楽しいを届ける。
意味とかじゃないんだ、それがどれだけ素敵なことか、もう知っているじゃないか。

えばれくの公演が終わって一週間が経ちました。
けれど、あの日幕裏で高鳴った鼓動を、愛おしい隣人のために流した涙を、
惜しみない拍手の暖かさを僕は生涯忘れることはないと思います。

長くなってしまって申し訳ありません。
もう一度、えばれくに関わっていただいた全ての方に感謝を込めて、
ありがとうございました。
皆さんのこれからの人生に、また素敵な物語が刻まれることを願って。

佐藤ハル









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