私とマラソン

 1,初マラソン前にして
 初めてのフルマラソン挑戦は大学1年生の時、大会は茨城県で開催される「勝田マラソン」だった。
 地元の大会ということもあり、陸上部の長距離ブロックに所属していた私は、ほぼ強制的に参加することになった。
 当時怖いもの知らずの19歳である。マラソンなんて楽勝でしょ〜と正直舐めていたことを今でも覚えている。
 練習は20キロジョグが最長で、あとは、「普段走っているから・・・」と根拠のない自信とアシックスのソーティージャパンの薄底シューズがなんとかしてくれると極寒の勝田に挑んだ。

 2,マラソンの洗礼
 
目標はキロ4でさくっと流して2時間48分(当時サブエガなる言葉はなかった)最低でも3時間は余裕で切れると思っていた。
 結果は3時間35分見事に大撃沈である。ハーフくらいまでは、キロ4ペースで順調に距離を刻んだが、30キロから足が止まり、35キロ以降では、頭にハチマキを巻いたベテランランナーや今にも倒れそうなフォームの主婦ランナーなど普段から練習を積んでいる市民ランナーに次々と抜かれた。
 力を使い切ってしまった自分としてはなすすべなく、沿道の温かい激励もあったが、それ以上に心無い野次を1時間以上浴び続けていた。(大学の名前入りのユニフォームを着ていたため)
 「二度とマラソンなんか走るもんか」
 そう心に決め、屈辱のゴールテープを切った。

 3,マラソン封印と再開
 何が悔しかったか、沿道の野次などではなく、自分の目標記録に届かなかったことや一番は普段馬鹿にしているような市民ランナーにあっさりと負けたこと、思い通りにいかない現実やフルマラソンの厳しさを突きつけられ、フルマラソンが嫌いな気持ちだけが残った。
 フルマラソン再開のきっかけは、「東京マラソン2009」である。冷やかしで応募したところ見事当選し、走ることになった。
 記録は3時間30分前後だったが、42キロ途切れない応援、豪華なエイド、今まで経験したことのない盛り上がり。初めて歩かずフルマラソンを走りきれた。そしてゴールの時に涙がこぼれた。
 人間は4時間近く前向きな言葉をかけ続けられると涙がこぼれるものである、陳腐な表現なのだが、本当に感動した。
 「マラソンっていいな」と心の底から思えたフルマラソンだった。
 そこからである。マラソンに真摯に向き合い始めたのは。

 4、現在東京マラソン2025に向けて
 
感動の東京マラソンから16年がたった。東京ビックサイトで流した涙は昨日のように覚えている。
 実は、今まで東京マラソンは4回走っている。色々な都知事がスターターを努めてくれた。
 どの大会も素晴らしく、走れて幸せだったなって思っている。今回も半年後挑戦できる自分が幸せな男だと本当に感謝している。
 コースレコードは新コースになってから3時間00分50秒くらいである。できれば、今回一番速く東京を駆け抜けたいと思っている。
 19歳の自分に43歳の自分が勝てるよう1日1日を使っていければと思う。

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