おしゃれになりたい人ほどおしゃれになれない?

 多くの人が自分の服装などに気を使い始めた時に、まずGoogleやyoutubeで検索すると思う。そこでは色んな人が色んなことを言っていて、余計に分からなくなってしまう。

 僕もその多くの人の一人で、僕の場合、「人におすすめのブランドを聞いている内はおしゃれになれない」だとか、「自分のスタイルを見つけてはじめておしゃれになれる」みたいな言葉に、特に悩まされた。

 何故僕がその言葉に悩まされたのかと考えた時、その時の僕がおしゃれは全て外見だと思っていたからだと思う。勧められたブランドを着ればカッコよくなれるじゃないかと。考えてみればブランド物に包まれたチンピラをおしゃれとは言えないし、何を着ても良く見える人もいるのに。

 それなら、「人におすすめのブランドを聞いている内はおしゃれになれない」、「自分のスタイルを見つけてはじめておしゃれになれる」といった言葉は外見には当てはまらず、内面のおしゃれについて言及していることになる。詳しくは何を意味しているのか。

 それは、“余裕”がおしゃれには必要ということではないだろうか。余裕や、立ち振る舞いのような、内面のおしゃれ。切羽詰まっている人はかっこいいかもしれないけど、おしゃれとは言えない。クヨクヨしたおしゃれな人や、不器用でおしゃれな人を僕は見たことがない。

 つまり、おしゃれになろうと必死になって周りの目を気にしたり、余裕を失っている内は他人からおしゃれに見られないかもしれないということ。とても難しい。怖い。

 結局、どうすればおしゃれになれるか分からいままだし嫌なことにも気づいてしまった。周りのおしゃれな人はどうやっておゃれになったんだろう。自分なりのおしゃれ論がある人はぜひ教えてください。 

 関係ないけど、普通に外見でもオーバーサイズの余裕あるファッションが流行ってるの面白いですね。

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