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内観冥想とは何か?

如何にして自分と向き合うか?

一般的には、自分の気持ちを詳しく知る事や、普段は心の奥底に押し込めている自己の本音や本心を解放する事を自分と向き合うと言います。確かに本音や本心を解放するとカタルシスを得られて気分がスッキリしますし、人生が前に進む実感のようなものも得られます。

また、自己と向き合えば、自分の得手不得手を理解する事も出来ますし、そうなれば自己の扱い方も上手くなります。それは詳細な自己のトリセツを作るのと同じですし、自分の心理が分かれば他人の心理も分かるようになります。何故なら人類の精神構造は、皆が大体同じ作りになっているからです。

人間心理のロジックを解き明かしたものが心理学であり、心理学を学ぶ事で人間への理解が深まり、人類全体が向かうべき方向も分かるようになります。そしてそれは自分で納得のいく人生を送る為に、必要不可欠とさえ言えるものです。


自分と向き合う最も手軽な方法は、日記を書く事です。現代ではペンで字を書く事よりも、キーボードで文字を入力する事の方が多くなってきたので、字を読む事が出来ても書けなくなった人も多いと思います。でも、日記をつければ字を書く練習になりますし、続ければ文章力も上がります。

最近「書く冥想」として有名になってきたジャーナリングも良いものです。日記とは違って誤字脱字を気にせず、15~30分ほど思い浮かんだ事をひたすらノートに書いたり、テーマを決めて同じ事をするだけの簡単なメソッドですが、自分では思ってもみなかった言葉が溢れる瞬間もあるようです。

ジャーナリングはストレスの軽減や集中力を高めるなど、マインドフルネス冥想に近い効果が期待出来ますし、上手くいけば本音や本心を解放するカタルシスを得られるかも知れません。


本格的に自己と向き合い始めるとうと始めると精神的な苦痛を伴うので、実際にキチンと自己と向き合えている人は少ないものです。何故、精神的な苦痛を伴うのかと言いますと、本当にキチンと自己と向き合えば、自分の良い面だけでなく、欠点や弱さや醜悪さなどの負の側面とも向き合う事になるからです。

自分に自信がある人は、自己の良い面と悪い面を素直に受け入れられますが、自分を良く見せる事ばかり考えてきた見栄っ張りな人は、自己の「負の側面」を知った途端に自信を喪失したり、意気消沈してしまいます。このメンタル萎えが怖いからこそ、自分自身の真実から目を逸らしているのです。

見栄っ張りな人は、他人と張り合う事でしか生きていけないし、負けたら生きていけなくなると思っています。何故なら、見栄っ張りな人の周りには、他人を蹴落として嘲笑うような人しか居ないからです。こういった理由から、見栄っ張りな人は自己とは向き合えません。


また、性格が素直でも、自信の無い人は自己と向き合えません。何故なら、自信の無い人が負の側面と向き合うと、罪悪感や自己嫌悪に苛まされて、自分の存在が許せなくなるからです。メリットよりもデメリットの方が大きいのでは、自己と向き合う意味がありません。

自己と向き合うには、自分に自信を持ち、善悪に囚われない寛大な精神を養う必要があります。しかし、これは成熟した人間にしか出来ない事ですし、そもそもこの領域まで成熟するのが難しいという問題もあります。



成熟の為の方法論

また、人として成熟する為の具体的な方法論が無い事も、問題を難しくしています。本来、人間の精神は無償の愛と、甘えの許可と、守ってもらえる安心感という「心の三大栄養素」を無条件に味わい尽せば、次のステップに移行するように出来ています。

しかし、幼い頃に育った環境に問題があって、心の三大栄養素を満足するまで摂取する事が出来ないと、猛烈な欲求不満によって精神の成長が止まってしまうのです。一旦、心の栄養失調に陥ると自力での回復は無理なので、誰かから栄養を与えてもらわなければなりません。

村単位や集落単位で子育てをしていた時代は、両親の代わりに近所のオジさんやオバさんが愛情を注いでくれたり、僧侶が親代わりになったりしましたが、現代はプライバシーを重視する核家族化が進んでいる為、親以外に愛情を注いでくれる人が居ません。


精神的に強い人は、愛情飢餓の苦しみに耐えて親友や恋人を作り、その信頼関係の中で癒され、成熟していきます。しかし、こんな真似が出来るのは極一部の人だけで、殆どの人は病的な人間関係しか作れません。

愛情飢餓は心の栄養失調の症状の一つで、愛着障害(アタッチメント障害)とも言います。愛着障害は「障害」と言うだけあって自然治癒する事は無いですし、医学的な治療法もありません。

心療内科や精神科に行けば、医師やカウンセラーが相談相手になってくれますが、基本的に精神科医は薬を投与するのが仕事ですし、カウンセリングも話を聞くだけで、愛着障害の乗り越え方や、自分との向き合い方を教えてくれる訳ではありません。


心理的な問題を解決する為の具体的な方法やアドバイスが欲しいなら、医療機関や福祉施設ではなく、最寄りの民間企業の就労移行支援センターに助力を求めましょう。センターによっては障碍者手帳か医師の意見書が必要になるので、利用する前に電話などで確認してください。

独立起業した心理カウンセラーや、スピリチュアル・カウンセラーのカウンセリングを受ける人も居ますが、一回か二回のカウンセリングでメンタルが改善する事はありませんし、相談料も一時間5000円と高額です。

なので、殆どの人は心理学関連の書籍や、自己啓発系の本を読んで勉強する事になります。個人的には、社会学者の加藤諦三先生と、森田療法の創始者である森田正馬氏の著書をお勧めします。



ブログのススメ

高額なカウンセリングを受けたり、本やネットで勉強するなどの努力をしても、年齢相応の成熟を果たすまでには長い時間がかかります。

因みに、管理人が自身の心理的問題に気付き、それを克服する為に自己と向き合い始めたのは17歳の時ですが、自分でも納得のいくレベルに到達したのは30代の半ばでした。

今にして思えば、色々と間違っていたり、勘違いしていた事もありました。その所為でかなり時間を無駄にしましたが、おかげで正しい努力の方向も見えてきました。


私が出した結論は、自己と向き合う方法としては、ブログを書くのがベストだという事です。


日記を書いたり、モーニングページを始めたり、ジャーナリングをするのも効果的ですが、それぞれの方法に固有の欠点がある為、続けるのが難しいという問題があります。

例えば、いくら書いても日記は日記でしかありませんし、モーニングページは寝起き直後の貴重な時間を使う事になりますし、ジャーナリングは記載された情報が断片的に過ぎます。

また、日記や、モーニングページや、ジャーナリングは、他人に見せるものではありません。その気楽さが良い所ではありますが、反面、緊張感が無い為に記述が適当になってしまい、自己の内面を深堀りするまでには至りません。


意外に思うかも知れませんが、自己と向き合う為のメソッドは、他人に見せる事を前提にしないと単なる自己満足に陥ってしまって、メソッドとしては成立しないのです。

でも、ブログなら匿名で不特定多数の人達に見せる事が出来ますし、上手くいけば副業として収益化する事も出来ます。スマートフォン一つあれば始められる手軽さも武器ですし、アイディアが閃いた時にいつでも記事を書けるのも強みです。

むしろ日記や、モーニングページや、ジャーナリングは、ブログのネタを書き溜める為のものと考えた方が、有効に活用する事が出来ます。


ブログというツールを通じて自己と向き合う事を、私はブログ内観法(ないかんほう)と呼んでいます。

ブログ内観法は、自力で深層意識や無意識の領域に切り込んだり、記憶の奥底に沈めたトラウマ(心理的外傷)を克服する内観独習法の前段階にあたる冥想法です。

内観独習法は比較的難易度の高い冥想法ですが、ブログ内観法なら出来ない人の方が少ないので、まずはそちらをお試しください。


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