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【海外おとぼけ紀行その3】 モスクワの巻2

モスクワでの仕事を完了した翌朝、楽しみにしていた「赤の広場」へ。

しかし、この日は残念ながらの雨模様。寒い上に雨。実は全く下調べをしておらず、まず「赤の広場」がどこの駅の近くにあるのかも当日の朝に調べた次第。クレムリンが赤の広場のところにあることも知らなかったという状況でよく行こうと思ったなという感じであります。(パルナスのお城を見たかっただけです(笑))

モスクワには仕事で来ているので、意味もなく一日休みにして、帰りのフライトを翌日にするわけにも行かず、帰国当日の無茶朝早い時間に地下鉄に乗ってやってきました。実は周辺地図のダウンロードもできておらず、Google Mapだけを頼りに歩いてみましたが、意外に道が広くわかりにくいため、駅を降りて右に行くか、左に行くかで大間違いをしてしまい、なんとなくキレイだなと思った右の方向を選んでしまったのでした。(後でわかりましたが、右でも左でもなくまっすぐを選んでおけば、すぐ前が赤の広場でした。とほほ。)

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そぼ降る雨の中、きれいな建物(何の建物かわかりません)が目の前に。とにかく街はきれいです。

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通りを抜けると、おー、なんかそれらしい雰囲気。お花もきれいです。赤い建物だから赤の広場なのかな?なんて言いながら右に右に進んでみました。よく見たら奥の方に目的のお城が見えていたのですが、そのときには気づかずに更に右にすすんでしまいました。

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あれ、赤くない。クリーム色だな。でもお花が綺麗だなー、とかなんとか言いながら、なんだかどんどん遠ざかってる感じ。地図がよくわからないし、寒いし。とにかく歩くしかないな〜。

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そのまま、歩くと、おーーこれが「赤の広場」か、みたいな尖塔を発見。これ後で調べたところ「トロイツカヤ塔」ですね。クレムリンを囲む塀の一角にあるものです。なお、ここまでの道中の写真があまり撮れていないのは、ところどころに兵隊さんや警備の人がいて、こっちをジロジロ見るので撮りにくかったのであります。朝早く行くと人が少なくていいのですが、他の人たちに紛れないという問題があることがわかりました。

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とにかくどこまでも塀が続くのであります。「塀がどこまでも続くね」「へー」って笑えない会話をしながらも中に入れない。なんでこんなとこ歩いているんやろ…という感じで、塀の外を小雨に濡れながらとぼとぼと歩く。全く陰鬱な感じ。平日なので出勤の車がたくさん走っており、おのぼりさんである我々が馬鹿みたいな感じであります。平日の朝早くにクレムリンの塀の外を歩くジャパニーズのおっさん2人組。みたいな。

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かなり、しばらく歩いて、先程の尖塔を曲がると、「あ〜〜〜ここだ!」やっとこさ「赤の広場」に到着。そして右に見えるのがどうしても見たかった「パルナスのお城!」

個人的にかなり興奮していたのだが、なんだか同行の同僚の反応がおかしい。「ほらー、パルナスの宣伝のお城じゃん!」「ほらほら!」と何回言っても通じない。このとき初めて、「パルナス」のCMが関西ローカルということを知りました。同僚は埼玉出身でした。なんと、全国区じゃなかったのね。

「でも、ほら、大阪万博のときにソ連館のレストラン「モスクワ」やってたやん。」と、説明したのだけれど、5歳下で万博にも行ってないらしく、全く全然な反応でありました。

しかしながら時代は流れて、今はYoutubeで検索すると、ちゃんとパルナスのCMを見ることができます。子供の頃日曜日の朝に毎週見ていた「世界名作劇場」のスポンサーが「パルナス製菓」でした。むっちゃ哀愁のある歌声で耳に残るものです。1分のCMなんて今はないもんね。聞いたことない人は御覧ください。歌は中村メイコとボニー・ジャックスです。(↓ご参考まで。ちょっと映像が粗いですが…。)

いや〜、なんかすごい歌ですね。

で、さきほどのCMに出ていたお城と思しきお城がこちらです↓

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僕が「パルナスのお城」と思っていたものは「聖ワシリイ大聖堂」というものらしいです。イヴァン4世(雷帝)がカザン・ハーン国(世界史の勉強してないのでわからないですが…)征服の記念に建てたものだそうです。

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こちらの時計のついている塔がクレムリンの「スパスカヤ塔」

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聖ワシリイ大聖堂との位置関係はこんな感じです。観光客がちらほら。

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こちらが、国立歴史博物館。閉まってました。

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こちらの建物は、ショッピングモールの「グム百貨店」です。ГУMって建物の上の方に書いてますが、ГがG、УがU、Mがそのままの発音でGUM。国営百貨店( Государственный Универсальный Магазин)の略だそうです。

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であっけなく「赤の広場」訪問記はこれで終わりますが、最後に聖ワシリイ大聖堂を違った角度から撮った写真を掲載します。パルナスのお城に会えてよかったー。

モスクワ出張はこうして終わったのですが、まだ話は終わらない。

帰国便に乗ろうと、ドモジェドヴォ国際空港に戻り、いざ日本へむけて出国手続きをしようとすると、なぜか係員が判子を押してくれない。

僕のパスポートを何枚もめくって、調べている。

なんかおかしい。もう5分くらいページを捲って、過去の出入国を調べている。

確かに2012年から毎月のように海外に出かけていたので、ものすごい出入国になっている。「ロシアだもんね。スパイと思われてるんやろうか?」でもどう見ても大阪のおっさん丸出しだし、スパイっぽくないし、「そもそも痩せてないし。」スパイってだいたい痩せてるやん。とか思いながら、

「あのー、すみません。なんかおかしいですか?」と英語で聞くと、なんかロシア語で「英語わからん」みたいな返事をして、またまたページを捲りだす。

実は、このパスポート、査証欄がいっぱいになってしまい、継ぎ足しをおこなったばかりのものなのでした。しかも悪いことに、スペインのイミグレのお兄ちゃんがページ飛ばして判子押したものだから、継ぎ足しページ第1号がロシアの出国になったのであります。

「こんな継ぎ足しはおかしい」と喋ってる感じだったので、「いや、そんなことないよ。ほら、ここに日本政府が「これは日本政府が保証して継ぎ足してる」って書いてあるやんか」と英語か大阪弁で説明したのだけれど、納得いかないようで、継ぎ足し部分をつまんではずれないか確認したりし始める。そのうち電話をかけて誰かと喋っている。

あーあ、どっかに連れて行かれるんやろか。。とずっと立って待っていた。もう横の窓口は20人くらい入っていったよ。

「もう、えーかげんにしてくれ」というタイミングで、彼の上司のような人が向こう側のブースに入ってきて、僕のパスポートを見て、「問題ない」というジェスチャーをした上で「おまたせしました。ダイジョーブです。」って日本語で僕に話しかけたではないですか。

あーほんま良かった。つかれたー。

アメリカの税関で過去に2回ほど呼び止められたことはあったものの、アメリカはまだ英語なのでなんとかなったけれど、ロシアでのこの事件は流石にやばかったです。汗。

ということで、今日のお話はおしまい。次回、また違う国のお話をしたいと思います。ここまで読んでいただいてありがとうございました。おつかれさま〜。

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