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鳳凰落とし #22

 調布へ先回りした嶋野は、クラウンを早月のマンションの近くへ路上駐車すると、ジャケットの内ポケットに押し込んでいたチェーンカッターを助手席に放り、腰に挟んでいたガバメントをダッシュボードにしまい、ハザードランプを点灯させたまま降りた。小走りに付近のコンビニエンスストアに入ってトイレを借用し、軽食と缶コーヒーを買い込んで戻った。レジ袋をチェーンカッターの上に置いて衆目から隠し、運転席側の窓を少し開けておき、外に注意をしながら食事を始めた。
 ものの数分で食事を終え、缶コーヒーを啜っていた嶋野の視界に、早月の姿が入った。嶋野は缶コーヒーをダッシュボードの上に置いてシートの背もたれと共に上半身を倒し、首を僅かに上げて早月の様子を伺った。相変わらず俯き加減で歩く早月を観察している内に、嶋野の中に言い様の無い情動がこみ上げた。銀縁眼鏡の裏に隠れた泣きボクロが、嶋野の目には何故かくっきりと見えた。
 ひ・と・ご・ろ・し
 夢の中の女性の声が、脳裏に響く。
 今にも運転席から飛び出しそうな身体を、拳を握りしめて耐えた嶋野は、早月がマンションに入ったのを見届けてシートを戻して身体を起こした。大きく息を吐き、残りのコーヒーを一気に飲み干して煙草を吸った。多量の主流煙を吐き散らすと、漸く落ち着きを取り戻した。腕時計を見ると、午後七時近かった。
 更に一本の煙草を吸い終えた頃、嶋野の耳が微かなエンジン音をキャッチした。素早く運転席を出て周囲を見回すと、二十メートル程離れた所に『トミノ運輸』と横腹に大書したトラックが停車していた。嶋野が利用した宅配便だ。嶋野は車に戻って助手席からチェーンカッターを掴み出すと、ハザードランプを消してドアロックを施し、周辺に気を配りながらトラックに接近した。車内には人影が無く、物音は荷台から聞こえる。どうやらひとりで配達業務に当たっているらしい。
 足音を忍ばせて後部ハッチへ近づくと、果たして運輸業者の制服を着た若い男性がひとりで荷物を整理していた。嶋野はもう一度周囲を見回してから、姿勢を低くして荷台に肉迫した。
 やがて、作業を終えた男性が荷物を複数抱えて荷台を降りた。その刹那、嶋野が手に持っていたチェーンカッターを男性の後頭部に叩きつけた。
「がっ」
 男性は呻き声を上げて膝から崩れ落ちた。嶋野はその身体を受け止めると、肩に担ぎ上げて荷台に入り、ハッチを片方だけ閉めた。持っていた荷物を見ると、狙い通り嶋野が早月宛に送りつけた箱が混ざっていた。
 嶋野はチェーンカッターを床に置き、おもむろに服を脱ぐと男性の制服を奪って身に着けた。一旦荷台を出て運転席に入り、中から梱包用の紐と粘着テープ、小型のハサミを取り出して荷台に戻った。紐で男性の両手首を後ろに回して縛り、口に粘着テープを貼り付けた。更に両足首も紐で縛り上げると紐の反対の端をハッチのノブに結えつけた。
 制帽を目深に被り直した嶋野は、チェーンカッターを腰に挟んで隠すとこのマンション宛の荷物を全て抱えて荷台を降り、ハッチをゆっくり閉めた。
 マンションの正面玄関の自動ドアをくぐると、その先はオートロックになっていて、コンソールのテンキーに部屋番号を打ち込んでからインターホンを押す必要があった。嶋野は荷物の宛先から最も高い階の部屋番号を確認して、インターホンを押した。
『は〜い』
 コンソールのスピーカーから、中年女性らしき間抜けな応答が聞こえた。
「トミノ運輸です」
 嶋野が答えると、『は〜い』と返事した後にマイクを切る音が聞こえ、直後に目の前の自動ドアが開いた。嶋野はさり気なく監視カメラを位置を確認しながらエレベーターに乗った。
 業者になり済まして他の荷物を届けると、いよいよ早月の部屋に向かった。知らず知らずの内に、鼓動が高まる。嶋野は鼻で深呼吸すると、早月の部屋のインターホンを押した。
『はい、どちら様ですか?』
 スピーカーから、早月の声が聞こえた。その声色に、警戒している様子は窺えない。
「トミノ運輸です」
 嶋野はインターホンのカメラで顔を見られない様に顎を引き、制帽の鍔で目元を隠して告げた。
『あ、はい、只今』
 返事した早月が、扉の向こうで内鍵を開ける音を耳にした途端に、嶋野はインターホンのカメラに身体を寄せて視界を塞ぐと、左手に箱を持って右手をチェーンカッターに掛けて待った。
 扉がゆっくり開かれると同時に、金属の擦れる音が鳴った。読み通り、ドアチェーンを掛けていた。
「ご苦労様で〜す」
 労いの言葉と共に顔を上げた早月が、嶋野の顔を見て瞠目した。
「あっ――」

《続く》

 

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