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鳳凰落とし #25

 ウインカーを出して、徐行しながら病院の正面玄関へ入るタクシーの後ろから、嶋野は慎重にクラウンを進めた。素早く駐車場の空きレーンを見つけて駐車すると、ダッシュボードからガバメントを取り出して腰に挟み、病院の出入口前に停車したタクシーを観察しながら運転席を出た。
 タクシーを降りた早月は、脇目も振らずに病院に入った。嶋野は足を早めて後を追い、自動ドアをくぐった。
 平日の午前中だからか、受付カウンターの前に広がるスペースには多くの外来患者が蠢いていた。早月はその人波を縫う様に奥へ向かっている。距離を空けて後をついて行く嶋野が何気無く見上げると、天井から下がる案内板の中に『緩和ケア病棟』の文字が見て取れた。嶋野の中で、仮説が確信に変わった。
 やがて、早月の後ろ姿が緩和ケア病棟に入ると、嶋野は足を止めて様子を窺った。大鳥どころか病棟に入っている患者の誰とも縁もゆかりも無い嶋野が軽々しく足を踏み入れれば、ナースステーションに詰めている看護師に呼び止められる事は目に見えている。そこで手をこまねいている間に早月に見咎められたら策が台無しになる。
 思案しながら遠巻きに病棟を監視していると、早月が慌てた様子で戻って来て、近くに居た看護師に何やら尋ねていた。嶋野は周囲に気を配りながら耳をそばだてた。すると、看護師が「屋上」と言ったのが聞こえた。早月は忙しなく頷くと、ナースステーションの側に在るエレベーターに取り付いた。嶋野は身を隠しながら、改めて思案した。すると、嶋野が居る位置から少し離れた所にトイレを発見した。嶋野は足音を忍ばせてトイレに近づき、中を覗き見た。ふたつある個室は未使用で扉が開け放たれ、三基並んだ小便器の真ん中で男性看護師が用を足していた。嶋野は廊下を見渡してからゆっくりとトイレに入り、腰から抜き出したガバメントの銃尻を看護師の後頭部に叩きつけた。
「うっ」
 呻き声を上げて気絶した看護師を後ろから抱えて個室に引きずりこみ、制服を奪って着替えた。脱いだ自分の衣服を利用して看護師の手足を縛り、靴下を脱がせて猿轡の代わりにした。
 外の様子を窺いつつ看護師の身体を掃除用具入れに押し込むと、掌に唾をつけて頭髪を撫でつけ、ガバメントを腹に押し込んでトイレを出た。
 早月が乗ったエレベーターを横目に、嶋野は階段を使って屋上へ向かった。途中で入院患者や看護師とすれ違ったが、気づかれる事無く上り切れた。
 屋上へ出る扉をゆっくりと開けて戸口をくぐると、嶋野は目だけを動かして早月の姿を探した。
 雲がやや多めながらも晴れている空の下には、数人の入院患者が思い思いに過ごしていた。ベンチに腰掛けて煙草を吸う老爺や、舞い降りる鳩の群れに餌をやる老婆、体操に興じる中年の男女等に混じって、車椅子の傍らに立つ早月の姿があった。その側には女性看護師が居て、早月と言葉を交わしている。嶋野は何気無い風を装って歩きながら、車椅子に乗る人物が見える位置へ移動した。
 頭髪が殆ど抜け落ち、シミの目立つ頭を前に傾け、淡い水色の寝間着を着た上半身を丸めて車椅子に納まるその老いさらばえた男性こそ本物の大鳥だと、嶋野は確信した。
 嶋野は呼吸を整えると、制服で隠したガバメントの銃把を右手で触りつつ歩を進めた。その間に、早月と話していた看護師が会釈して離れた。早月は会釈を返して見送ると、嶋野から遠ざかる方向へ車椅子を押した。屋上の縁に張り巡らされたフェンスに近づいた所で足を止めると、早月は車椅子のハンドブレーキを掛けて傍らに屈み込んだ。
 嶋野は素早くガバメントを抜くと腰だめに構え、音を立てない様に左手でゆっくりとスライドを引き、弾丸を薬室に送り込んだ。その姿勢のまま、ゆっくりと大鳥に近づく。その時、屋上に入院患者らしき少年が走り出て来た。その足音に驚いた鳩が羽音を立てて一斉に飛び立ち、早月や他の患者達の注意がそちらに向けられた。その瞬間、嶋野は人差し指を引き絞った。

《続く》

 

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