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鳳凰落とし #15

 サンドイッチを胃に収め、コーヒーを飲み干した嶋野は、食器類を返却棚に置いて店を後にした。大鳥の邸宅へ戻る途中で、こちらに向かって歩いて来る早月に気づき、咄嗟に横道へ入った。壁に背を着けて息を殺し、早月が通り過ぎるのを待ってから足音を忍ばせて真後ろに付き、何気無い体を装って歩いた。
 表通りから路地に入って暫くした所で、嶋野は早月との距離を急速に縮めた。気配に気づいた早月が振り返り、嶋野の姿を認めて息を飲んだ瞬間、嶋野はカーゴパンツのポケットからセーム革包みのチーフスペシャルを素早く抜き出して背中に突きつけ、小声で鋭く命じた。
「そのまま歩け」
 早月は背中から伝わる銃口の硬い感触に若干の恐怖を覚えつつ、ゆっくり頷いて前に向き直り、邸宅へ向けて歩を進めた。
 邸宅に差し掛かった辺りで嶋野は一旦銃を早月の背中から放し、「行け」と指示して少しずつ早月から離れて進んだ。早月が横目でこちらを見たのを確認しながら、嶋野はチーフスペシャルをポケットに戻して邸宅の表門の前を通り過ぎた。
 早月がインターホンの前に立った直後に側へ駆け寄り、門の庇のカメラに気を遣いながら塀に寄り添い、耳をそばだてて早月と邸内の相手のやり取りを聴いた。
「おはようございます、川添です」
『どうぞ』
 スピーカーから聞こえて来たのも女性の声だった。恐らく、邸内で大鳥の世話をしているヘルパーか何かだろう。
 数秒後、通用口の扉の鍵が開く音が聞こえた。嶋野はインターホンのカメラに映らない様に身を屈めると、ポケットからチーフスペシャルを出して早月に向け、中に入る様に指示した。硬い表情で頷いた早月が扉を押し開け、身体を少し屈めて中に入った。嶋野は低い姿勢のまま後に付き、扉を左手で押さえつつ中を窺った。
 表門の中央から屋敷へ向けて、白色の大きな敷石が地面に敷き詰められ、その左右は玉砂利で埋め尽くされていた。門の内側の庇には、監視カメラの類は設置されていなかった。そこから右奥に目を転じると、地面には白色のコンクリートが敷かれていて、微かにタイヤ痕が見受けられる。どうやら駐車スペースらしい。
 奥へ進む早月の背中越しに屋敷を見ると、城の天守閣と見紛うばかりの荘厳な造りで、そのスケール感にやや距離感を狂わされた。改めて早月の背中を見てから、表門から屋敷までの距離を目測した。おおよそ三十メートル程と確認すると、嶋野は低い姿勢を保って通用口をくぐり、ゆっくり扉を閉めた。屋敷の玄関に監視カメラが無いか、サングラスを外して見てみたが、この距離では判別が難しかった。
 外したサングラスをジャケットのポケットに押し込むと、嶋野は左側へ視線を移した。
 丈の長い下草の向こうに、よく手入れされた松の木が数本見えた。漏れ伝わる水の音から、大きめの池が掘られている事が想像できる。奥に見え隠れする屋敷の外観は、濡れ縁を設えてあるらしく、明かり障子の襖が嵌っていた。迂闊に下草を越えると、邸内の居住者に見咎められる可能性が高かった。嶋野は玉砂利を踏まない様に注意しつつ、下草との境界ににじり寄って地面に這いつくばった。その状態から、右手にチーフスペシャルを握ったまま肘と膝を使って屋敷の壁まで匍匐前進した。壁に辿り着くと、深く息を吐き出してから上半身を起こし、壁に背を着けて下草の向こうを覗いた。思った通り、大きな池が穿たれていて、中に鯉を数匹放っているらしい。水音の正体は、向こう端に見える注水口から水が吐き出される音だった。嶋野は表門を見てから、下草の中にゆっくりと身体を沈めた。
 煙草を吸いたい衝動を抑えながら待っていると、やがて屋敷から和服を着た女性がふたり出て来て、表門に渡された閂を引いて門扉を開いた。直後に黒塗りのメルセデスベンツが三台、列を成して門をくぐった。嶋野はチーフスペシャルを握り直し、大鳥が出て来るのを待った。
 駐車スペースに停まったメルセデスから複数のスーツ姿の男性が降り、敷石の左右に並んで気をつけの姿勢を取った。その数秒後、屋敷の玄関の扉がゆっくりと押し開かれ、中から早月の手に引かれた大鳥が出て来た。身に着けた紫色の法衣は艶があり、首には長い数珠が掛かっている。胸元にはこれ見よがしに『不死の羽』が付けられていた。相変わらず顔は頭巾から下がる垂れ幕で見えない。
 嶋野はセーム革の中で慎重にチーフスペシャルの撃鉄を起こし、大鳥が近づくのを待った。額から流れ落ちる汗が口に入り、濃い塩味が口内に溢れた。
 やがて、大鳥が早月と共にメルセデスに近づき、嶋野に背を向けた。その刹那、嶋野は全身の力を使って跳ね起き、チーフスペシャルを両手でホールドして大鳥に向けて撃った。くぐもった銃声が響き、見守っていた男性達が狼狽え、背中に銃弾を受けた大鳥が身体を反らせて前のめりに倒れた。その拍子に数珠が切れて、無数の珠が玉砂利の上に落ちた。

《続く》

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