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鳳凰落とし #16

 倒れた大鳥にとどめを刺そうと足を踏み出しかけた嶋野が、妙な違和感を覚えて動きを止めた。その視線の先では、早月が大鳥を介抱すべく屈み込んでいた。その眼鏡の奥の瞳が、ほんの一瞬だけ横に動いた。その目の動きにつられて顔を捩じ向けた嶋野の視界に、意外なものが映った。
 たった今、嶋野が鉛玉を撃ち込んだ筈の大鳥が、家政婦らしき中年女性の助けを借りて玄関先に立っていた。
 はめられた、と悟った嶋野の右手首に、激痛が走った。セーム革包みのチーフスペシャルを取り落とした嶋野の手首に、特殊警棒が叩きつけられていた。取り巻きの男性のひとりが、咄嗟に一撃を浴びせたのだ。
 己の油断を呪いながらその場から逃走を図った嶋野だが、忽ち男性達に取り囲まれて袋叩きに遭った。そこへ、耳障りな声が飛んで来た。
「殺す、な、本部、に、連れて、依頼人、を、吐かせ、ろ」
 近寄って来た大鳥が、人工喉頭を首に押し当てながら指示を出した。地面に押さえつけられた嶋野が見上げる前で、大鳥は家政婦のエスコートでメルセデスへ歩を進めた。その最中、大鳥が家政婦の耳に顔を近づけて口を動かした様に見えた。嶋野が何か言おうとしたが、男性達に無理矢理立たされたと同時に強烈なボディブローを受けて、身体をくの字に折った。血反吐を吐きながら、嶋野は横目で早月を睨みつけた。その早月は大鳥の替え玉に肩を貸して邸宅の玄関へ向かっていた。それまで替え玉が倒れていた場所に、血痕はひとつも落ちていなかった。どうやら防弾ベストの類を着用していたらしい。
 メルセデスまで引き摺られた嶋野は、後部座席に乗せられる直前に特殊警棒で後頭部を痛打され、意識を失った。

 後頭部と両手首の痛みが、嶋野の意識を呼び戻した。
 ぼやけた視界が明瞭になって来て、嶋野は己が置かれた状況を概ね理解した。
 両手首を極太のロープできつく縛られた状態で天井から吊り下げられ、周囲を道着姿の屈強そうな男性達が取り囲んでいた。嶋野の着衣はそのままだが、靴は脱がされていて、足は床に届いていない。どうやら、教団本部内の修練場の中に入れられた様だ。
 年長者らしき、腰に黒帯を巻いた男性が前に進み出て、嶋野を見上げて尋ねた。
「誰に頼まれて宗師様を狙った?」
 嶋野が無視すると、黒帯がもう一度訊いた。
「誰に頼まれた?」
 答える代わりに、嶋野は血の混じった唾を黒帯に向かって吐いた。首だけを動かして唾をかわした黒帯が、軽く鼻を鳴らしてから嶋野の鳩尾に右拳を叩きつけた。
「ぐっ」
 思わず呻き声を上げた嶋野の顎を、黒帯の左アッパーが襲った。弾みで口の中を噛み、血の味が広がった。黒帯は嶋野に背を向けると、他の男性達に指示した。
「必ず吐かせろ」
「押忍!」
 一斉に返事した男性達が、黒帯を見送ってから次々と嶋野の身体に打撃を浴びせた。鍛え抜いた肉体を持つ嶋野でも、無防備な状態で複数の男性から殴る蹴るの暴行を受け続けるのはかなりの苦痛だった。だが、断じて口を割るつもりは無かった。そもそも、嶋野は依頼人が誰なのか正確には知らないので白状のしようが無い。
 歯を食い縛って人間サンドバッグ状態を耐えている内に、再び嶋野の意識は薄れた。

 次に嶋野が目を覚ました時、道場内は漆黒の闇に包まれていた。すっかり陽が落ちた様だ。
 男性達に良い様に叩かれ続けた身体はあちこちが軋む様に痛んだが、幸い骨折まではしていないらしい。
 嶋野は深い呼吸を数回繰り返すと、鋭く息を吐きながら両脚を跳ね上げて頭上のロープに絡めた。逆さまになった嶋野が顔を手首に近づけて、絡みついたロープを解こうと歯を立てた。だが、ロープが太い上にかなりきつく巻き付けられている為に、文字通り歯が立たなかった。
 疲労を覚えた嶋野が一旦脚を下ろして、大きく息を吐いた。闇に慣れた目でロープが巻きついた手首を見上げると、全身のバネを使って身体を跳ね上げ、両手でロープを掴んだ。何度か握り直してしっかりと掴んでから、嶋野は再び脚を跳ね上げた。左脚だけをロープに絡めると、上半身を手首に引きつけた。右手を離して股間に近づけ、ズボンのジッパーを開けて中に右手を捩じ込んだ。数秒間中をまさぐり、勢い良く右手を引き抜いた。その人差し指と中指の間に、内股に貼り付けていた特殊ナイフが挟まっていた。
 右脚をロープに絡め直し、ナイフを逆手に持ち換えてロープを突き立てた。少しずつ動かして、ロープに亀裂を入れて行く。全身から汗が吹き出し、掌からナイフが滑り落ちそうになるのを左手で支えつつ、嶋野はロープの切断を続けた。
 永劫とも思える時間を経て、嶋野は漸くロープの切断を終えた。ロープの端を掴んで落下を免れた嶋野は、両脚を下ろしてゆっくりと床に降りた。改めて口を使い、手首に巻きついたロープを解くと、特殊ナイフを口に咥えて周囲を見回した。遥か彼方に、出入口の引き戸が見える。嶋野は足音を忍ばせて引き戸に近づき、把手に指をかけてゆっくり引いた。だが外側から鍵が掛かっているらしく、引き戸はびくともしなかった。軽く舌打ちした嶋野の耳に、微かに足音が聞こえた。引き戸に耳を押し当てると、どうやら足音はこちらに近づいて来るらしい。
 嶋野は鼻から息を吐くと引き戸から離れ、右脚の前蹴りを放った。

《続く》

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