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「その男、ジョーカー」EPISODE1「卒業」#8

「うわっ」
 ワタシが思わず顔をそむけると、鈴井があわてふためいて周辺を見回し、ついでに自分の吸い差しを乗せた灰皿をひっくり返してパニックを起こしていた。その横で事務員が手際良くワタシにティッシュペーパーを二、三枚手渡した。気が利くなぁ、社長と違って。
 散々暴れた挙げ句、ジャケットやスラックスを灰だらけにした鈴井が、居住まいを正して再びソファに腰を下ろして咳払いした。
「失礼、取り乱しました」
 ワタシは愛想笑いを返すと、自分の吸い差しを灰皿に押しつけてから言った。
「ある所で聞き込んだんですがね、付きまといやら、いたずら電話やらと、まぁよくある手口らしいんですよ、知らなかったんですか?」
「え、ええ、私は全く。本人からも、藤村からも聞いてはいません」
 落ち着きを取り戻した風に見えるが、鈴井の目は泳いでいた。ストーカー被害について知らないのはどうやら本当らしい。となると残るは藤村だが、戻って来ない事にはどうにもならない。かと言って、このクソ狭い事務所であのムサいオッサンを待つのも気が引ける。
「それじゃあ、またお伺いします。もしもMOMOちゃんから連絡あったら、こちらに知らせてください」
 ワタシが中折れ帽を被り直して立ち上がると、鈴井も立ち上がって深々と頭を下げた。
「くれぐれも、よろしくお願いします」
 ワタシも会釈して、『鈴井プロダクション』を後にした。
 煙草に火を点けながら、薄暗い階段を降りたワタシが顔を上げると、ビルから三十メートル程離れた道端に立つ電信柱の陰に、飛雄馬ひゅうまの姉ちゃん状態で立っている人影が目に入った。普通なら、そんな所に立っている人間に注意が行かないものだが、その人影はいやでもワタシの目を引いた。
 ピンク。
 全身が自ら発光しているかの様な、インパクト大のピンク色なのだ。
 半ば嫌気が差しているピンク色をまたも見せつけられて正直ウンザリしかけたが、ワタシは己の仕事を思い出した。
 オールピンクコーデと言う事は、探し求めるMOMOちゃんか?
 ワタシは何気ない風を装ってジャケットの胸ポケットからサングラスを抜いてかけつつ、ピンクの人影を観察した。だが、ワタシのわずかな希望ははかなく打ち砕かれた。
 明らかに身長が高い。
 うろ覚えだが、確かMOMOちゃんの身長は百六十センチ以下だった筈だ。だが電信柱の人影はどう見ても百七十センチを超えている。
 よく見ると、頭にはピンク色のアポロキャップを目深まぶかに被り、その下にはピンクの縁のサングラスをかけている。そのビビッド過ぎるたたずまいは、林家なにがしのそれを凌駕りょうがしていた。
 その人影は、明らかに『鈴井プロダクション』が入るビルを見つめている。と言う事は、MOMOちゃんのファンかも知れない。いや、あのピンクめは間違いなくファンだ。
 確信したワタシは、一旦その場を離れて歩き、MOMOちゃんファンの視界から外れた辺りで足を速め、途中に設置された自販機で缶コーヒーを購入し、横道を通って背後に回った。ここで相手の身体つきを見て、完全に男だと確認した。やはりMOMOちゃんファンで間違いない。
 ワタシは買ったばかりの缶コーヒーをジャケットの裾のポケットに入れ、中でしっかりと握ってゆっくりと近づいた。途中でくわえていた煙草を吐き捨て、靴底で音を立てない様に揉み消す。
 男のすぐ後ろを取ったワタシは、缶コーヒーの底をジャケット越しに男の腰の辺りに軽く押しつけて小声で言った。
「動くな」
「ひっ」
 男は漫画みたいな悲鳴を上げて身体を硬直こうちょくさせた。ワタシは周囲を見回してから、男のえりつかんで軽く引き、「ちょっと来い」と指示した。
「は、はい〜」
 情けない声で答えた男を、ワタシは駅近くの公衆こうしゅうトイレまで連行した。幸い、男子トイレには利用者が居なかったので、ワタシは奥の個室に男を押し込み、自分も身体をじ込んで扉を閉めた。
「な、何なんですか〜一体〜? ぼ、僕は何にもしてませんよぉ〜」
 壁に張り付いて弱々しい声を出す男の肩を掴んで反転させ、空いた手で帽子とサングラスをむしり取った。露出ろしゅつしたのは、二十代後半から三十代前半くらいに見える、何となくえない感じの顔だった。ワタシはサングラスをかけたまま、男に顔を近づけて訊いた。
「こんな格好で電柱に隠れて、何もしてない訳ないだろオマエ、何見てたんだ?」
「べ、別に何も」
 とぼける男の腹に缶コーヒーの底を押しつけながら、ワタシはわざとドスの効いた声で言った。
「しらばっくれんなよ、おぅ、丁度いいからこのまま警察行くか? すぐそこだから」
「あ、か、勘弁してくださいよぉ〜、た、ただ見張ってただけですよぉ〜」
 いとも簡単に自白モードに入った。だからと言ってワタシは追及ついきゅうの手を緩めずに尚も訊く。
「見張ってたぁ? 何処を?」
「あ、あの、す、『鈴井プロダクション』ですぅ」
 認めた。ワタシは思わず上がりそうになる口角を、奥歯に力を入れて押し下げつつ、一気に核心に迫った。
「オマエまさか、ストーカーか何かか?」

《続く》
 
 

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