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鳳凰落とし #23

 早月が声を上げようとした瞬間、嶋野は扉の隙間に左足の爪先を突っ込んで固定し、同時に左手で早月の口を顎ごと掴んで塞ぎ、右手に持った荷物を隙間から室内に放り込むと腰に手を回してチェーンカッターを抜いた。口を塞ぐ手をはがそうともがく
早月の鳩尾にチェーンカッターの先端をめり込ませて悶絶させる間に、左手を離して両手でチェーンカッターを持ち、ドアチェーンを素早く切断して中に身体を滑り込ませて後ろ手に鍵を閉めた。
 Tシャツに膝丈のスウェットパンツという格好の早月が、激しく咳き込みながら嶋野を見上げた。掛けていた眼鏡がずれ、目尻の泣きボクロが覗いた。
「あ、貴方、どうして」
 涙目で問いかける早月を見下ろす嶋野の頭に、再び女性の声が響く。
 ひ・と・ご・ろ・し
「!」
 目を見開いた嶋野が、靴を履いたまま右脚を振った。足の甲が早月の下顎に直撃し、背中をのけ反らせながら廊下の奥へ早月の身体が飛んだ。吹っ飛んだ眼鏡が床に落ちて乾いた音を立てた。
「あうっ!」
 背中からまともに倒れて息を詰まらせる早月の上に、嶋野が野獣の様な雄叫びを上げながら覆い被さった。Tシャツを引き裂くと、悲鳴を上げる早月の口に押し込んで塞ぎ、事に及ぼうとした。だが早月が思わぬ動きを見せた。嶋野の身体を突き放そうとするのではなく、逆に首に両腕を回して縋りついて来たのだ。嶋野が困惑する間に、早月は口に詰められたTシャツを外してから嶋野の耳元に口を寄せて囁いた。
「ここじゃ、嫌。ベッドで」
 想定外の言葉に、嶋野は息を飲んだ。だが早月の腕は更にきつく首に巻かれ、耳元にかかる吐息は熱さを増した。
 嶋野はゆっくりと早月の背中に両腕を回すと、身体を起こして早月を抱き上げた。そこから、早月の誘うままに寝室に入り、早月の身体をベッドに横たえるとその上に四つん這いになり、そっと顔を近づけて接吻した。早月も応じて舌を絡める。やがて、とちらともなく服を脱ぎ、互いを求め合った。

 情事の後、嶋野の腕枕に身を委ねた早月が、無表情で天井を見上げる嶋野に尋ねた。
「ねぇ、私の何が、貴方をおかしくするの?」
 嶋野は横目で早月を見ると、空いた手で目尻の泣きボクロに触れながら答えた。
「昔、殺した女を、思い出すんだ」

 かつて嶋野は、警察官だった。
 射撃の腕を買われて機動隊の銃器対策部隊に異動し、以後は狙撃銃を主に取り扱う様になった。
 ある日、大手銀行の支店に拳銃を持った二人組の強盗が押し入った。だが通報が早かった為に周囲をいち早く警察が包囲し、犯人に投降を呼びかけた。だが犯人は行員と来客の合計二十二人を人質にして立て籠もり、三十分後には人質をひとり射殺して警察に逃走用車両を要求した。さもなければ三十分毎に人質をひとりずつ殺すと脅し文句をつけて。
 警察が対応を協議している間にもうひとり人質が殺された為、上層部は犯人の射殺を命じた。直ちに銃器対策部隊に臨場指令が下り、嶋野が狙撃担当のひとりに指名された。
 現場に到着した部隊は銀行の正面玄関を眼下に臨むビルの屋上に陣取り、地上との連絡を密にしながら狙撃の機会を待った。
 数分後、かねてからの打ち合わせ通りに、銀行の前に逃走用車両が停められた。車首を嶋野達が待機するビルに向けている。隊長からの指示で、嶋野達は狙撃体勢に入った。
 程無く、正面玄関の扉が開き、中から犯人らしきふたりの男性と、銀行の制服を身に着けた若い女性が出て来た。女性は犯人のひとりに右腕を背中の方へ捻り上げられていて、苦悶の表情を浮かべている。ライフルスコープ越しに、女性の赤い唇が嶋野の目を射た。
 高鳴る心臓の鼓動をライフルに伝えない様に、ライフルを支える両手に力を込めてストックを強く肩に押し付けながら、嶋野は呼吸を整えて銃爪にゆっくり人差し指を掛けた。
 犯人達が手にした拳銃を振りかざして周囲の警察官達を威嚇しつつ、車に近づく。女性を盾にしている方の犯人が、女性を引きずりながら助手席の方へ回り、右手に持っていた拳銃を腹に突っ込んでドアに手を伸ばした。その瞬間、嶋野は迷わず銃爪を引いた。
 轟音と共に放たれた銃弾は犯人の肩口を貫く、筈だった。だが着弾の直前に、犯人が女性の身体を引きつけた所為で、弾道上に女性の身体が被ってしまった。
 銃弾は女性の胸を貫き、夥しい量の鮮血を噴き出させた。
 ライフルスコープの向こうで、苦痛に顔を歪めながら崩れ落ちる女性の顔を、嶋野は成す術無く凝視した。その目尻の泣きボクロが、嶋野の網膜に強烈に焼き付いた。

《続く》

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