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「その男、ジョーカー」EPISODE1「卒業」#7

 モールを出たワタシは即座そくざに煙草を取り出して火をけ、たっぷりと煙を吸い込みながらピンクにおかされた両目をしばたたかせた。あそこまで行くと害でしかない。
 紫煙しえんき散らしつつバンデン・プラを停めたパーキングメーターまで戻り、料金を支払って運転席に潜り込んだ。煙草をみ消してひと息吐き、コンビニ袋から缶コーヒーを引っ張り出してステイオンタブを起こした。今の今まで買ったのを忘れていた。恐るべしピンク。
 バンデン・プラを出したワタシは、コピーしたMOMOちゃんの顔写真を仲間達に配って回ると、ムサいオッサンからもらった名刺を頼りに『鈴井プロダクション』へ車首を向けた。ストーカーの件についてどのくらい把握はあくしてるのか、藤村だけでなく社長にも聞く必要がある。

 ドーム球場を横目に、ワタシは大通り沿いのコインパーキングにバンデン・プラを入れ、徒歩とほで『鈴井プロダクション』へ向かった。道行く人々の多くが、ドーム球場を本拠地ほんきょちとするプロ野球チームの帽子やレプリカユニフォーム等を身に着けていた。どうやら、この後球場でナイトゲームが行われるらしい。
 途中で地図を見て確認し、目当ての住所に辿り着いたワタシは、少し残念な気分になった。『鈴井プロダクション』が入っている雑居ざっきょビルが、見るからに古いのだ。短く見積もっても四十年以上経過しているはずだ。自慢じゃないが、『JOE探偵事務所』が入るビルの方が全然新しい。
 シャッターが下りている一階を横目に、郵便受けがひしめく出入口に足を踏み入れると、残念さがいやでも増した。
 エレベーターが無い。見えるのはコンクリートの階段のみ。
 ワタシは子供の頃に住んでいた団地を思い出しながら階段を上り、四階で大きく息を吐き、ひざてのひらを着いた。真夏でもないのにひたいに汗がにじむ。ワタシは中折れ帽を取って手の甲で汗をぬぐい、サングラスを外してフロア内へ進んだ。通路を照らす蛍光灯が何本か切れていて、えらくわびしい気分にさせられる。
『鈴井プロダクション』の扉の前で、ワタシは団扇うちわ代わりにしていた中折れ帽を被り直し、古めかしいりガラスのはまった金属扉をノックした。インターホンも無いとは、古いにも程があるだろ。
「はい、どちら様ですか?」
 中から聞こえたのは、女性の声だった。ワタシは磨りガラスに顔を近づけて返した。
「ワタシ、探偵のジョーと申します、藤村さんにお会いしたいんですが」
「申し訳ございません、藤村は只今出先でして、戻りは夜遅くなります」
 留守か、まぁ、ここも抱えてるタレントがMOMOちゃんだけって事はないだろうからな。数秒思案しあんして、ワタシは扉の向こうへ尋ねた。
「あ、じゃあ、社長さん居ます? ちょっと訊きたい事があるんですがね、お宅のMOMOちゃんの事で」
 最後の方はわざと声のボリュームを絞った。それが良かったのかは判らないが、女性が「少々お待ちください」と告げた後にしばら沈黙ちんもくおとずれた。ワタシが煙草を吸いたい衝動しょうどうこらえて待っていると、扉がきしむ音を立てて開き、如何いかにも事務職という服装の、ショートカットで眼鏡を掛けた女性が顔をのぞかせた。
「お待たせしました、どうぞ」
「どぉも」
 ワタシは中折れ帽を取って頭を下げ、女性事務員の後について室内へ入った。と同時に、中のせまさに軽く引いた。弱小出版社くらい狭い。出入口の真ん前に書類戸棚が鎮座ちんざし、すぐ右にガラスをめ込んだパーテーションが立っていた。高さはワタシの前に居る事務員とほぼ同じくらいだから、百六十センチ前後か。その向こう側に応接セットが置かれているが、中央のテーブルに乗るスチールの灰皿は吸い殻で埋め尽くされていた。まぁワタシの事務所も似た様なもんだが。
 応接セットを超えると、古い事務机が四つ向かい合わせに並び、一番奥にやや大きめのデスクが置いてあった。手前の事務机には誰も座っておらず、奥のデスクには中年男性が座っていて、上目遣いにワタシを見て軽く会釈した。
「こちらへどうぞ」
 事務員に促されて、ワタシは応接セットのソファに腰を下ろして中折れ帽をかたわらに置いた。事務員が会釈して離れたのと入れ替わりに、奥のデスクから中年が歩み寄り、ワタシの対面に座るとジャケットの内ポケットに手を入れ、名刺入れを取り出して中から一枚抜いて提示した。
「どうもはじめまして、社長の鈴井です」
「探偵のジョーです」
 ワタシ達が型通りの名刺交換を行うと、事務員が茶を入れた湯呑ゆのみをふたつ運んで来て、テーブルに置いた。ワタシは礼を述べてひと口啜った。熱い。その間、鈴井はワタシの名刺をまじまじと見つめていた。この後の展開は判っていたが、ワタシは敢えて訊いた。
「どうかしました?」
「あの、この苗字は何て読むんです?」
 やっぱりな。て言うか、藤村は教えなかったのか?
「ハイ、『なばため』と読みます、ハイ」
 ワタシが面倒臭めんどうくささを顔に出さない様に努力しつつ答えると、鈴井は「はぁ、そうですか」と言ったきり関心を失ったらしく、あっさりと名刺をジャケットの胸ポケットにしまった。ワタシも貰った名刺を一瞥いちべつしてからすそのポケットに押し込んだ。下の名前は『雅道まさみち』だって。
「煙草、吸っても?」
 ワタシが一応訊くと、鈴井は無言で頷きながら自分の煙草を取り出した。許可を得たのでワタシも煙草を出すと、すかさず事務員が灰皿に盛られた吸い殻を処理した。軽く灰が舞い上がったのでワタシは顔をしかめたが、鈴井は意にかいさずに百円ライターを点火していた。慣れとは恐ろしいものだ。
 ワタシも煙草に火を点けて一服してから、おもむろに切り出した。
「つかぬ事をお伺いしますけどね、アナタがた、最近MOMOちゃんから何か相談とかされませんでした?」
「は?」
 口の端から主流煙をはみ出させながら訊き返す鈴井の表情からは、隠し事の有無は読み取れなかった。ワタシは横目で事務員を見てから、鈴井に顔を近づけて小声で告げた。
「MOMOちゃん、ストーカーに悩まされてるらしいですよ?」
「ストーカー?」
 鈴井が頓狂とんきょうな声を上げ、ワタシの顔に大量のつばを吐きかけた。

《続く》
 

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