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「その男、ジョーカー」EPISODE1「卒業」#4
藤村がひと口しか飲まなかったコーヒーを、ワタシは断腸の思いで給湯室へ運び、神妙な面持ちで流しへ送り込んだ。迷わず成仏してください、アーメン。
カップを簡単に洗って給湯室を出たワタシは、自分のカップを取り上げて二杯目のコーヒーをじっくり堪能しつつ、壁に掛けた時計を見上げた。午前十一時過ぎか。起き抜けに藤村の襲撃を食らったので忘れていたが、目を覚ましてからコーヒーしか腹に入れていなかった事を思い出して急に空腹に見舞われた。ワタシは二杯目のコーヒーを飲み干してカップを片付け、デスクの引き出しから鍵束を取り出して玄関を出て、出入口を施錠してから目の前の階段を降りた。そう、事務所は二階である。
階段を降り切った私は、事務所の真下に在る『喫茶 カメリア』に入った。ランチタイム前だからか、店内は客もまばらで、空調の駆動音がよく聞こえた。ワタシは出入口の両側に配置されたテーブル群を横目に、奥のカウンター席へ進んだ。壁際のスツールに先客が居たので、反対の端のスツールに尻を預けた。カウンター席の向こう側にキッチンが広がっていて、様々な食べ物や飲み物が立ち上らせる匂いが微かに鼻を襲う。ワタシがキッチンを覗き込む前に、奥から口髭を蓄えた厳つい顔面を持つ男性が、容貌からは想像もつかない程の柔和な笑顔と共に出て来て挨拶した。この店のマスター、椿大悟である。
「ああ、ジョーさん、いらっしゃいませ」
大悟はワタシに向かって会釈してから、水を入れたグラスを差し出した。右手を伸ばして受け取りつつ、ワタシは大悟に告げた。
「カレーライス、頼む」
ワタシの注文を聞いた大悟の目が僅かに見開かれた。
「お、ジョーさん、依頼来たんですか?」
「まぁね」
ワタシは微笑を浮かべて返した。何を隠そう、ワタシの大好物がカレーライスなのだが、探偵稼業に足を突っ込んでからはあまり頻繁に食べずに、依頼が入った時の自分へのささやかなご褒美として食する事に決めたのだ。更に言うなら、大悟が作るカレーは今までにワタシが食して来たカレーの中で五本の指に入る美味さなので、より希少性が増す。
ワタシは注文を受けて再び奥へ引っ込む大悟を見送ってから、水をひと口飲んだ。先程まで飲んでいたコーヒーの名残を洗い流して、カレーを受け入れる準備だ。まぁ尤も、大悟がいつもセット扱いにしてくれるのでコーヒーが付くんだが。
煙草を我慢して待つ事暫し、カレーライスがワタシの目の前にお目見えした。
「お待たせしました」
大悟からカレーとスプーンを受け取ったワタシは、カレーを一旦カウンターに置いて慇懃に手を合わせてからおもむろにスプーンを突き刺した。
時間をかけてカレーを胃に収め、付け合せのコーヒーもじっくり頂いたワタシは、カウンターに勘定を置いて『喫茶 カメリア』を後にした。階段を上りながらジャケットのポケットをまさぐり、煙草の箱を取り出して中から一本抜き、咥えながら事務所へ戻った。同じポケットからオイルライターを抜き出して火を点けつつデスクへ向かうと、複合機の排出口に何枚か紙が溜まっていた。ワタシはアームチェアを引き出して腰を下ろし、排出口に手を突っ込んで紙を全て掴み出した。一枚目はMOMOちゃんの顔写真で、二枚目は彼女が立ち回りそうな場所のリストだったが、これが呆れる程少なくて閉口した。ジャーマネの癖に担当するタレントの行動も把握してねぇのかよ?
残る三枚目には、その使えないジャーマネからの言い訳と、報酬に関する提案が書かれていた。言い訳は読み飛ばして、報酬については熟読した。それによれば、成功報酬は上限付きながらこちらの言い値で構わず、必要経費も上限を設けつつ、こちらが提出した領収書に基本的には従うそうだ。文末には藤村のみならず鈴井とか言う社長の名前も記載されていたので、その場しのぎのフカシって事は無さそうだ。
ワタシは三枚目を丸めて、デスクの脇に置いたゴミ箱へ放り込み、二枚目を四つ折りにしてジャケットの胸ポケットに押し込むと、顔写真が載った紙を折り目がつかない様に持ち、主流煙を盛大に撒き散らしながら再び事務所を出ようとして足を止め、プライベートスペースへ舞い戻った。藤村に叩き起こされた時に床へ落とした中折れ帽を拾い上げて真っ直ぐに被ると、気を取り直して事務所を出た。今度は『喫茶 カメリア』の前を素通りして、徒歩でバンデン・プラを停めている月極駐車場へ向かった。途中でコンビニに寄り、MOMOちゃんの顔写真をコピー機で数枚縮小コピーした。ワタシの持つ複合機は残念ながら縮小コピー機能も無ければ複数のサイズの紙も使えない。聞き込み等に使うにはA四サイズはいささかデカい。
コピーを終えたワタシは、申し訳程度に缶コーヒーとうすしお味のポテトチップスを購入してコンビニを出た。数分歩いて駐車場に辿り着き、バンデン・プラの運転席に潜り込むと助手席にコンビニ袋を放り、ジャケットの胸ポケットから円縁のサングラスを取り出してかけ、エンジンをスタートさせた。
《続く》
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