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鳳凰落とし #18

 タクシーの中で仮眠を取ろうと思っていた嶋野だったが、先程までの緊張から解放された所為か全身の痛みが蘇って来た為に全く寝られぬまま、指定した等々力駅前に辿り着いてしまった。嶋野は舌打ち混じりに一万円札を運転席と助手席の間に設置されたトレーに置くと、釣銭を渡そうとする運転手を手で制してタクシーを降りた。
 歯を食い縛って痛みに耐えながらアパートに戻ると、警備員から奪った靴を脱ぎ捨てて床に仰向けに寝転がった。暫くそのままの状態で断続的に襲う痛みに耐えていたが、やがて睡魔に意識を侵食された。

 翌朝、目を覚ました嶋野が少し身体を動かすと、全身の痛みは若干和らいでいた。深く息を吸い込み、強く吐き出しながら勢いをつけて上半身を起こすと、顔を歪めつつ立ち上がって奥へ歩を進めた。無数の打撃と自分の血反吐で汚れた衣服を脱ぎ捨てると、ついでに下着も取って全て着替え、ベルトに挟んでいたナイフを押し入れにしまった。先程まで着ていたライダースジャケットのポケットをまさぐるが、目当ての煙草はすっかり潰れて平たくなっていた。嶋野は鼻を鳴らして煙草を床へ放ると、無事だったライターをズボンのポケットに押し込み、電源を切って床に置いていたスマートフォンを取り上げて反対のポケットに入れると、札束から一万円札の束をいくつか掴み出して部屋を出た。
 等々力通りでタクシーを拾い、高井戸へ行く様に告げてシートに身体を預けた。途端に空腹を覚え、事前に食事を摂らなかった事を呪いながらスマートフォンを取り出し、菅原に電話をかけた。九回ほどのコール音の後に、菅原の不機嫌そうな声が耳に入った。
『誰だよこんな朝っぱらからよぉ〜』
「俺だ」
 嶋野が喋ると、菅原の声色が瞬時に引き締まった。
『あ、し、嶋野さん! 失礼しました!』
「この間依頼人が持って来てた大鳥の資料、貰って来てくれ」
『え? し、資料?』
 突然の指示に戸惑う菅原に、嶋野は小声ながらも強い口調で続けた。
「向こうに聞けば判る。ゴネたら金払うとでも言え。金は俺が出す」
『あ、わ、わっかりました』
 菅原の返事を聞き終えずに電話を切ると、嶋野はスマートフォンをしまって溜息混じりに車窓の外を眺めた。
 環八通りを北上し、高井戸駅近くでタクシーを降りると、嶋野は足早に昨日クラウンを停めたコインパーキングへ向かった。周囲を警戒しながら中を覗くと、幸いにもまだクラウンはレーンに収まっていた。嶋野はレーン番号を確認して料金を精算し、クラウンの運転席に入ってエンジンをかけた。
 環八通りにクラウンを出した嶋野は、そのまま下り線を流して途中に見つけたファミリーレストランに車首を向けた。まだ午前中だからか、駐車場に車は殆ど無い。嶋野は出入口に最も近いレーンにクラウンを停めて店に入った。
 窓際の席を選んで座り、メニューを捲って数秒眺めると、水を持って来たウェイトレスにチキンステーキとコーヒーを注文した。落ち着いた所でふと我に返ると、履いている靴が未だに昨夜警備員から強奪した物だという事を思い出した。

 チキンステーキを胃に収め、コーヒーを飲み干した嶋野は会計を済ませて店を出ると、クラウンを吉祥寺へ向けて走らせた。
 井の頭通り沿いのデパートの地下駐車場に車を停めて外へ出ると、近くの靴屋でブーツとスニーカーを一足ずつ購入し、家電量販店に入って腕時計を買い、コンビニエンスストアで煙草と缶コーヒーを仕入れてデパートに戻り、紳士服売り場でジャケットを二着買い求めて地下駐車場へ降りた。
 クラウンの運転席に身体を滑り込ませると、缶コーヒーを飲んで煙草をゆっくりと吸った。すると、ポケットの中のスマートフォンが震動した。嶋野は主流煙を吐き出しながら電話に出た。
「誰だ」
『あ、菅原ッス〜』
 朗らかに答える菅原に、嶋野は先を促した。
「用件は?」
『ああ、例の資料なんスけど、さっき貰って来ましたぁ』
 嶋野は菅原の仕事の早さに内心で感心しつつ、コーヒーをひと口飲んでから指示した。
「コインロッカーに入れろ」
『了解ッス〜』
 返事を聞いて電話を切った嶋野は、飲み干したコーヒー缶に吸い差しをねじ込んで火を消し、エンジンをかけた。

《続く》

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