見出し画像

「その男、ジョーカー」EPISODE1「卒業」#9

 すると、それまでおびえた様子だった男の目が急に血走り、眉尻が吊り上がったかと思うと、ワタシにみつかんばかりの勢いで声を荒らげた。
「違う! 僕は断じてストーカーじゃなぁい!」
「バ、バカ、落ち着け」
 またも生唾を吐きかけられながら、ワタシは男の口に掌を当ててふさいだ。この状況で警察でも呼ばれようもんなら、ワタシがあらぬ疑いをかけられる。だが男は何やらわめき続け、身体も激しく動かして拘束から逃れようとした。仕方無く、ワタシは男の腹に突きつけていた缶コーヒーをポケットから取り出し、男の目の前にさらして言った。
「まぁまぁ、これ飲んで落ち着きなよ」
「へっ?」
 缶コーヒーを見せられた男は理解が追いつかないのか、抵抗を止めて不思議そうに缶を凝視ぎょうしした。ワタシはその間に男の口から手を外し、缶コーヒーを手渡してからトイレットペーパーをちぎり取って唾液だえきまみれの掌を拭った。
 ようやく我に返った男が、ワタシと缶コーヒーを交互に見ながら訊いた。
「あ、あんた、警察とかヤクザとかじゃないの?」
 そこを一緒くたにするのはどうかと思ったが、まぁワタシは痛くもかゆくも無いので、真顔でかぶりを振って身分証を提示した。
「探偵のジョー。MOMOちゃんを探してるモンだ」
「探、偵?」
 寄り目で身分証を見つめた男が、ワタシを見て質問した。
「あの、この苗字何て読むんですか?」
 またかよ、すぐ下にアルファベット表記してあるだろ、小さいけど。
「なばため」
 あからさまに嫌な顔でワタシが答えると、男は「へぇ〜珍しい〜」等とつぶやいて何度も頷いた。本当、何度訊かれても面倒臭い。
「まぁとにかく、ここじゃ何だから場所変えて話聞かせてくれ」
 ワタシが提案すると、男は口をとがらせて反論した。
「ここじゃ何だからって、探偵さんが僕を連れ込んだんじゃないですか!」
 もっともだが、部外者に聞かれるといらん誤解を招きかねないので、ワタシは男をなだめながら後ろ手に扉の鍵を外し、ゆっくり個室から顔を出して外の様子を伺った。幸い、トイレ内には誰もおらず、その外で立ち止まっている人も見受けられない。ワタシは安堵の溜息をきながら男を促してトイレを出て、近くのカフェに向かった。
 ワタシが男をともなってカフェの出入口をくぐると、店内に居た人間のほぼ全ての目が、ワタシの後ろに居る男に集中した。そりゃそうだとも思うが、今思えばコイツ、このピンクずくめの格好で電柱の陰に立っていてよく職務質問食らわなかったな。警察の怠慢たいまんだな。
 ワタシはレジカウンターに取り付くと、対応した女性スタッフにブレンドコーヒーを注文し、男にも注文を促した。すると男は、目を輝かせて訊いて来た。
おごりですか?」
 通常なら厚かましい事この上ない発言だろうが、ワタシが驚かせてしまった手前、ここは奢らない訳には行かんだろう。
「ああ、好きなモン頼んで」
 ワタシが許可すると、男は満面の笑みでカウンターに置かれたメニューリーフレットに目を落とし、女性スタッフと交互に見ながら次々と注文を始めた。
「えっと、カフェオレのホットと、フレンチトーストと、ミルクレープ、あ、フレンチトーストにバニラアイス乗せてください」
 色んな意味で引き気味のスタッフを心の中であわれみつつ会計を済ませると、ワタシは男に席を取る様に指示して注文の品が揃うのを待った。しかし、フレンチトーストにバニラアイス、更にミルクレープとは、遠慮を知らん甘党だ。
 三分くらい経って漸く品物が揃ったので、ワタシは重いトレーを持って客席を振り返った。こう言う時にあのピンク色はすぐ判ってありがたい。男は店の奥の四人掛けの席を押さえていた。そこは二人掛けでいいんだがなぁ。
 ワタシが品物を満載したトレーを運んで行くと、男は顔を上げてトレーを受け取り、ワタシが頼んだブレンドを先にテーブルに置いて残りをトレーごと自分の前に置いた。
「ありがとうございます」
 男は笑顔でワタシに礼を述べると、早速フレンチトーストにかじりついた。何だ、腹減ってたのか? ワタシはブレンドをひと口すすってから、旺盛おうせいな食欲を見せる男に尋ねた。
「所で、オタクは何者? MOMOちゃんの大ファンなのは見たら判るけど」
「ほぁ? あ、僕はこぉ言うもんでふ」
 男は口の周りをバニラアイスまみれにしながらズボンのポケットをまさぐり、長財布を抜き出して中から名刺を一枚出し、ワタシに示した。
『株式会社 音尾不動産おとおふどうさん 営業部 森崎賢もりさきけん』と書かれた名刺を取って確認したワタシは、煙草を吸おうとして灰皿を取り忘れた事に気づき、一度席を立った。するとすかさず森崎が言った。
「あ、すいません、砂糖ふたつ持って来てくれませんか?」
 この上まだ甘くするのかよ? と思ったが口には出さず、ワタシは黙って頷いてカウンターの方へ戻り、灰皿とスティックシュガー二本を取って席に戻り、早速煙草を出して火を点けつつ森崎に尋ねた。
「で、改めて訊くけどオタク、何で『鈴井プロダクション』を見張ってた訳? MOMOちゃんの出待ち?」
 森崎はフレンチトーストを平らげて砂糖入りカフェオレをひと口飲むと、ゲップ混じりに答えた。
「ストーカーを捕まえる為です!」
「何だって?」
 また変な話になって来た。

《続く》

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?