「その男、ジョーカー」EPISODE1「卒業」#14
「は?」
「はい?」
ワタシと大悟が同時に間抜け面でリアクションすると、MOMOちゃんはやおら立ち上がって大悟の手を取り、頬をほんのり赤く染めて言った。
「好きです」
「は?」
「はい?」
またしてもワタシと大悟が同時に、数秒前と全く同じリアクションをした。MOMOちゃんは取った大悟の手を自らの胸に引き寄せると、凛とした声で告げた。
「結婚してください!」
その瞬間、『喫茶 カメリア』の中だけ、時間が止まった。THE WORLD。
漸く動き始めたワタシの脳内に、MOMOちゃんの発言がリフレインした。
結婚してください
結婚してください
結婚――
「結婚んんんんん!?」
大悟の叫びが、ワタシを現実に引き戻した。時は動き出す。
大悟はその強面全体をマグマ並みに赤く染め、今にも飛び出さんばかりに両目を見開いて、己の手を固く握ってうっとりと見上げる小柄な女性を見下ろした。ワタシも腰を上げ、熱烈求愛モードのMOMOちゃんの顔を覗き込みながら恐る恐る尋ねた。
「ちょっと、急に何を言い出すのかなMOMOちゃん? 気は確か?」
MOMOちゃんは潤んだ目で大悟を見つめたまま、満面の笑顔で答えた。
「あたし、こんなの初めて! あなたにイカレちゃったわ! ラブ アット ファーストサイト! そう、ひと目惚れ!」
ARBみたいな事を口走るMOMOちゃんに、ワタシはかける言葉が見つからなかったが、ワタシより酷い状態なのが誰あろう、出会って十秒と経たずにプロポーズされた大悟だ。顔の紅潮は濃さを増し、両目は魚眼レンズと化し、鼻腔からは荒い鼻息が絶え間無く噴出している。
気づけば、店内に居る全ての客の視線が大悟とMOMOちゃんに注がれていた。
思えば大悟は、父親と別れてからこの店を立ち上げて、大悟を育てながらたったひとりで切り盛りしていた母親の後を継いで以来ずっと、その強面を笑みで崩しながら一所懸命に働いて来た、たったひとりで。その間、恋愛に現を抜かす暇など皆無だった。知らんけど。
そんな男やもめの代表格とも言える、かどうかは判らんが、その大悟に今、漸く春が訪れたのだ。その春を、逃がす訳には行かない、多分。
ワタシは大悟の側に寄り、耳元で喝を入れた。
「しっかりするんだ大悟、いいか、この機会を逃したらもう二度と、オマエに春は来ないかも知れんぞ。ちょっとエキセントリックな娘だが、絶対にオマエを見捨てたりしない筈だ、ここで一発覚悟を決めろ大悟!」
ワタシの言葉に、大悟は高橋名人の指先並みの速さで首を縦に振ると、MOMOちゃんの手を握り返して大声で答えた。
「はいぃ〜! おぉ願いしまぁ〜す!」
直後、店内が万雷の拍手に包まれた。MOMOちゃんと大悟は熱い抱擁を交わし、ワタシは脱力して椅子にへたり込み、グラスの水を一気飲みした。ほんの数分の出来事なのに、えらく疲れた。
暫くして、落ち着きを取り戻したワタシの脳が、今後の事を考え始めた。
MOMOちゃんを探し出したは良いが、結婚するなんて事務所の連中にしたら寝耳に水だ。下手を打てばワタシに責任を追及して来るかも知れない。それ以上に厄介なのが、ストーカーの存在だ。もしもストーカーがMOMOちゃんが結婚するなんて知ったら、どんな暴挙に出るか想像もつかない。
思案しているワタシに、大悟の声がかかった。
「すみませんジョーさん、取り乱しました。ご注文どうぞ」
気づくと、MOMOちゃんは既に着席し、未だに頬を少し上気させているものの興奮状態からは脱した様だ。
「あ、ああ、ナポリタン」
気を取り直して注文すると、大悟は伝票にペンを走らせてからワタシ達に一礼してキッチンへ入った。ワタシは大悟の背中をてからMOMOちゃんに向き直って訊いた。
「ひと目惚れは良いけど、そんなに即決しちゃっていいのかい? まだ歌手やってたいんじゃないの?」
MOMOちゃんはかぶりを振ると、おちょぼ口で水を啜ってから答えた。
「ううん、いいの。あたし、アイドルに憧れて上京して、五年くらい頑張って来たけど、どうしても売れなかったし、どっか限界も感じてたから、潮時かな〜って。そんな時にあんな素敵な方に出会えたんだもの、これも運命、This is 運命!」
「あっそ」
ワタシは白け気味に返事した。ブリブリのブリッ子してても、頭の中は結構冷静なのね。
七、八分程経って、大悟がナポリタンとオムライスを運んで来た、ん? オムライスなんてメニューにあったか? しかも玉子の上にはご丁寧にケチャップでハートまで書いてある。
「何じゃこりゃ?」
ワタシがオムライスを指差して大悟に訊くと、髭面が気色悪く歪んだ。
「あ〜これ、彼女のリクエストで」
何だこのノロケの早さは? ワタシは呆れ顔で大悟に手を振り、フォークを取り上げてナポリタンに刺そうとした瞬間に肝心な事を思い出した。
「そう言えばキミ、五日後だかにライヴあるんじゃ?」
ワタシの問いかけに、MOMOちゃんは大悟渾身のケチャップハートを無慈悲に玉子全体に塗り広げながら答えた。
「結婚するからやらな〜い」
「そう言う訳にはいかんだろ、ギリギリで出演キャンセルなんかしたらライヴ会場だけじゃなくて事務所にも迷惑かかるだろ」
「え〜でもぉ〜」
オムライスをつつきながらゴネるMOMOちゃんを説得しようとして、ワタシは一計を案じて立ち上がった。
「オイ大悟、電話貸してくれ」
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