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鳳凰落とし #13

 ベッドに押し倒し、馬乗りになって組み伏せた早月が、銀縁眼鏡越しに睨みつける。
 嶋野がその顔を張り飛ばすと、眼鏡が飛ばされて左目尻のホクロが露になった。と同時に、早月の顔が夢の中の女性に変わった。
 息を飲む嶋野に、女性の真っ赤な唇の端から鮮血が流れ、その口がゆっくり開いた。
『また ころすの?』

「!」
 目を見開いて顔を上げた嶋野に、近くに居た客やウェイトレス等が注目した。眉間に皺を寄せながら、嶋野は首を回して周囲を見た。状況を把握すると、溜息と共に頭を振った。
 食事を摂った後に微睡んでしまったらしい。いつの間にか、テーブルの上から全ての食器が下げられていた。己の油断を呪いつつ、嶋野はコーヒーを追加オーダーして欠伸を噛み殺した。

 会計を終えて店を出た頃には、既に午前五時近かった。嶋野は煙草に火を点けながら車に乗り、白んで来た空の下へ走り出した。
 明け方だからか、道はかなり空いていた。行き交うのは主に運送会社のトラックで、歩道に人の姿はまばらだった。嶋野はアクセルを踏み込み、スピードを上げた。
 自宅に近づいた辺りで、嶋野の目の端に見慣れない物が入った。信号待ちのタイミングで歩道側へ顔を捩じ向けると、知らぬ間に木製の大きな掲示板が設置されていた。どうやら、近々国政選挙が行われるらしい。
 軽く鼻を鳴らすと、嶋野は青信号を確認してアクセルを踏んだ。
 自宅近くのコインパーキングに車を入れて、嶋野は自宅に戻った。ジャケットの内ポケットからナイフを出して、腰から抜いたチーフスペシャルと共に押入れにしまった。ジャケットとシャツを脱ぎ捨て、床に座り込んで煙草に火を点けた。窓を少し開けて煙を流しながら、押入れの下段からウォッカの瓶を取り出して呷った。中身が少なく、ふた口程でほぼ無くなった。舌打ちしつつ瓶を放ると、嶋野は煙草を深く吸い込んで近くの空き缶に吸いさしを押し込み、主流煙を盛大に吐き出して寝転がった。忽ち睡魔に襲われ、スイッチが切れる様に眠りに落ちた。

 四日が経過した夜、嶋野は早月に電話をかけた。コール音が六回鳴った後に漸く電話に出た早月だが、その声のトーンは警戒を表す様に低かった。
『もしもし、どちら様ですか?』
「俺だ」
 嶋野が喋った直後、電話の向こうから息を飲む音が聞こえたが、嶋野は構わず続けた。
「今何処だ」
『あ、じ、自宅、です』
 戸惑いながら答える早月に、嶋野は更に訊いた。
「大鳥は?」
『御帰宅、なさいました』
「確かか?」
『私も御自宅までお送りしましたから』
 嶋野は無言で頷くと、数秒思案してから尋ねた。
「明日は何時に本部に入る?」
 早月も数秒の間を置いて答えた。
『えっと、明日は午後二時から講話なので、十二時半頃には入られる筈です』
「送迎のベンツは大鳥の持ち物か?」
『いえ、あれは教団の持ち物なので、宗師様をお送りした後は駐車場に――』
「本部のか?」
 早月の言葉を遮って、嶋野は質問を重ねた。
『はい、そうです』
 早月の返答を聞いて、嶋野はまた思案した。
 先日の様に講話の聴衆に紛れて本部に入ろうとすれば、出入口で金属探知器を当てられる為に銃器類は持ち込めない。かと言って、特殊ナイフ一本では心許ない。
『あの、もしもし?』
 不安げに問いかける早月の声に苛立たしさを感じながら、嶋野は言った。
「お前、何時に大鳥の家に行く?」
『え? あ、私は、宗師様のお支度をお手伝いするので、十時には行きます』
 十時、と口の中で復唱してから、嶋野は早月に告げた。
「俺も明日、大鳥の家へ行く。中に入れる様に手引きしろ」
『え? な、何を――』
 早月の問いかけを無視して、嶋野は電話を切った。

《続く》

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