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「その男、ジョーカー」EPISODE1「卒業」#11

「え〜、勘弁してくださいよ〜」
 ワタシは眉毛を八の字にして懇願こんがんするピンク男を振り払って後部座席を出ると、駐車料金を精算してバンデン・プラをコインパーキングから出した。
「ホラ、案内して」
 ワタシが片手で煙草を出しながらバックミラー越しに指示すると、森崎は溜息を吐いて身を乗り出し、の鳴く様な声で道案内を始めた。
 三十分近く走って辿たどり着いたのは、高級住宅街として知られる地域だった。
「オタク、こんな良い所住んでんの?」
 ワタシが横目で森崎を見て訊くと、森崎は気色悪い笑顔で答えた。
「え、いや〜それ程でも〜」
 ワタシは苛立いらだちを覚えつつ、不動産屋ってのはそんなにかせげるもんなのか? と疑問ぎもんに思った。まさかコイツ、地上げとかやってねぇだろうな?
 そうこうする内に到着したのは、さほど新しくもなさそうな五階建てのマンションだった。建物の横には駐車場が広がっているものの、区画はオレンジのラインで明確に分けられ、ご丁寧ていねいにそれぞれナンバリングまでされているので、居住者以外は停められないと判断したワタシはマンションの正面をけて路上駐車し、森崎を促して運転席を出た。
「まあまあな所じゃないの」
 ワタシのいい加減なめ言葉に、森崎は恐縮しつつも笑顔だった。
「こちらです、どうぞ」
 森崎の先導で、ワタシはマンションのエントランスに入った。玄関の扉は全面ガラスだが手動で、すぐ脇には管理人室がった。もっとも、ワタシの腰の高さくらいの位置に穿うがたれた小窓にはカーテンがかかっていて、中に管理人が居るかは判別できなかった。リノリウムの床はくすんだベージュで、そこはかとなく年季を感じさせた。突き当りに階段があり、その手前にエレベーターが設置されていた。先に立った森崎が上昇ボタンを押す横から、ワタシは小声で問いかけた。
「ここ、ちく何年?」
「あ、えっと、確か二十八年です」
 何だその微妙な数字は? まぁともかく、最近のマンションには定番とも言うべきオートロックが導入されていない時点でして知るべしだったが。
 降りて来たエレベーターに乗り込み、三階へ上がった。止まった時に軽くゴンドラが揺れたのが築年数を表している気がした。
 先に立って進む森崎が足を止めたのは、フロアのど真ん中に位置する三◯三号室だった。表札に手書きで苗字が記載されているので、間違いなさそうだ。だがここへ来て森崎が逡巡しゅんじゅんし始めた。往生際おうじょうぎわの悪い男だ。
「どうした? オタクの部屋だろ? 早く入んなよ」
 ワタシがつとめておだやかな口調で、その代わり眼差まなざしはするどくして促すと、森崎はワタシを肩越しに振り返って数秒見つめてから、観念した様にズボンのポケットからキーケースを取り出して施錠せじょうを解いた。すると部屋の中から、甲高かんだかい女性の声が飛んで来た。
「森ちゃ〜ん?」
 ワタシがリアクションをしない森崎の背中を肘で小突くと、漸く壊れた笛みたいな声で答えた。
「あ、はぁ〜い」
 森崎が三和土たたきで靴を脱いで部屋に上がると、中から乾いた足音が近づいて来た。スリッパでも履いているのだろう。やがて姿を現したのは、ある意味期待通りに全身ピンク色で固めたMOMOちゃんその人だった。
「お帰り森ちゃん、早かったのね?」
「あ、うん」
 にわか新婚夫婦みたいなやり取りを聞かされてウンザリしていると、やっとワタシの存在に気づいたMOMOちゃんが森崎に尋ねた。
「こちらの方、お友達?」
「あ、あの、この人は――」
 説明しかけた森崎を制して、ワタシは身分証を示しながら自己紹介した。
「はじめまして。ワタシ、探偵のジョーです」
 提示された身分証を凝視ぎょうししていたMOMOちゃんが、ワタシを見上げて口を開いた。
「この苗字、何て――」
「なばため、です」
 質問の内容は容易に読めたので、ワタシは食い気味に答えてやった。MOMOちゃんが「へぇ〜」とか何とか言って感心している間に、ワタシは靴を脱いで部屋へ上がった。森崎が用意したスリッパに足を入れながら、ワタシはふたりに言った。
「ま、ここじゃ何だから取り敢えず中入んない?」
「あ、は、はい」
 森崎が慌ててワタシとMOMOちゃんを奥へ促した。
 部屋の間取りは1LDK、玄関の左にトイレ、右には風呂場があるらしい。風呂とトイレが別とは生意気な、ワタシの事務所には風呂なんか無いと言うのに。
 奥へ進むとリビングダイニングキッチンで、ほぼ中央にテーブルが置かれ、左手の壁際にテレビとビデオデッキが見える。一番奥、白い扉の向こうにひと部屋ある模様だ。リビングダイニングがこれだけ簡素って事は、森崎の趣味は奥の部屋に集約されている訳か。
「あ、座ってください、今お茶入れますから」
 森崎の指示に従い、ワタシはテーブルの側にあった灰色のクッションを引き寄せて、テレビを背にして腰を下ろした。対面にMOMOちゃんがピンクのクッションを抱えて横座りし、ワタシを値踏ねぶみする様に見つめて来た。そこへ、森崎がマグカップをふたつ持って歩み寄り、ワタシとMOMOちゃんの前にそれぞれ置いた。中身は麦茶だった。
 ワタシは煙草に手を伸ばしかけて止め、麦茶をひと口すすって咳払せきばらいした。今まで森崎が一度も喫煙きつえんしなかったし、この部屋も煙草のヤニに侵食しんしょくされた形跡が見当たらないので、恐らく灰皿も無いだろうと判断した。
「え〜っと、改めて、キミ、MOMOちゃんでしょ? 歌手の」
 ワタシが居住まいを正して訊くと、MOMOちゃんは急に満面の笑みを浮かべて答えた。
「歌手っていうか〜、アイドル?」
 何で疑問形なんだと思いつつ、ワタシは二、三度頷いた。その内に、森崎がマグカップを片手にMOMOちゃんの後ろを通り、別室の扉を背にして座った。ワタシは森崎を横目で一瞥いちべつしてから更に訊いた。
「キミ、ストーカーに付きまとわれてるんだって?」

《続く》

 
 

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