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プレテスト「世界史B」 全問解説②第2問ー井出進学塾のマンツーマン授業の実況中継(大学入学共通テスト「世界史」対策)

こんにちは、井出進学塾です。
共通テストの世界史対策として、今回は「プレテスト世界史」第2問をみていきます。

共通テストのような公(おおやけ)のテスト問題は、専門の優秀な先生方が複数人で、長い時間をかけて練りに練ってつくられます(プレテストも同じです)。

学校の定期テストはもちろん、模試などと比べても、その完成度の高さは他のテストと一線を画します。

問題をつくっているのは、「世界史」という教科が好きな先生方です。

単に暗記ではなく、各歴史的できごとの本質、あるいは、この教科そのものの本質を、とらえられている、あるいは、とらえようとしている生徒さんに有利なように、問題はつくられています。

そういうところに焦点を当てて書いた解説なので、ふつうでは考えられないような文章量になっています。

ここで得られる知識は、必ずや、みなさんの今後の受験勉強の大きな助けになるでしょう。

問題および解答は、大学入試センターの方で公開していますので、そちらを利用ください。

「大学入試センター 平成30年度試行調査 問題、正答等」は こちらをクリック

今回は、第2問をみていきます。
その他の問題の解説は、こちらからどうぞ。

共通テスト世界史対策「プレテスト世界史」くわしい分析と解説 まとめ

埋め込みの動画は、ピンポイントの解説動画です。
なお、解説動画はタイトルのところにもリンクを貼っておきます。
リンクは、別タグで開かれますので、使いやすい方でどうぞ。

それでは、はじめましょう。

第2問A 問1

ポリュビオス(前201頃~前120頃)・・・教科書では、まだポリビオスと表記されているところが多いようですが、ポリュビオスの方が一般的のようです。

紀元「前」なので、共和政ローマのころの歴史家です。
軍人でもあり、第3回ポエニ戦争(前149~前146)に参加したというエピソードもあります。
ギリシア人で、はじめローマの人質となりましたが、やがてローマで厚遇(こうぐう)されていくようになったそうです。

グラックス兄弟の改革(前133~前121)以降、ローマは「内乱の1世紀」とよばれる混乱時代に入りますので、ポリュビオスのいた頃はローマの「共和政」が、まだうまくいっていた時代といえるでしょう。

この問題自体は、ここまで考えなくても解答できますが、せっかくですのでポリュビオスの解釈を通して、共和政ローマのしくみを確認しておきましょう。

最高官職はコンスル(執政官)・・・任期は1年ですが、定員は2名で、ごく少数の人間がイニシアティブをとるということで、彼(ポリュビオス)は「王制的要素」と称したのでしょう。

最高の立法・諮問(しもん)機関である元老院(げんろういん)は300人の貴族で構成されました。

また、平民のみで構成された平民会もあり、平民会もやがて、立法に参与していくようになります。

2名のコンスルと、多数の民衆の、数的にもその間の300人程度の元老院を、ポリュビオスは、「貴族」制的要素・・・と表したのでしょう。

なお、選択肢③④の僭主(せんしゅ)は、古代ギリシアのアテネやスパルタといったポリスが、栄えていたころの話ですよね。

僭主というのは、民衆の不満を利用し、その支持を得て非合法に政権を握った「独裁」者のことです。独裁者なので「1人」です。

この問題は、単にギリシアのことだからちがうな・・・だけでなく、数に注目しましょう。

王様など1人あるいは数名による独裁者(独裁政権)という層とは別に、(社会の特権階級にあり)政治にも関われる(民衆に比べれば)少数の「貴族」とよばれる層について確認できるところが、この問題のおもしろいところです。

これで、選択肢は①か②にしぼられました。つづきをみていきましょう。

紀元前1世紀(前100年~前1年)は、共和政末期の混乱期です。

紀元前1世紀

(上図のように、大ざっぱでよいので図をかいて今、どの時代のことを考えているのか意識する習慣を付けましょう。また、改めての確認ですが、紀元「前」1世紀なので、紀元前100年が古く、紀元前1年が新しいです。)

混乱の時代、実力者たちが私的な同盟を結び、政治の実権をにぎりました。2回ありますが、いずれも「3人」の実力者によるものでしたので、三頭(さんとう)政治とよばれます。

第1回三頭政治(前60~前53)・・・ポンペイウスカエサルクラッスス
・・・もちろん3人がずっとなかよくやっていけるはずもなく、激しい権力争いの末、カエサルが勝ち抜きました。

第2回三頭政治(前43)・・・アントニウスレピドゥスオクタウィアヌス
・・・オクタウィアヌスが勝ち抜きました。

まさに選択肢のとおり、カエサルかオクタウィアヌスの選択になります。

でもこれは、「暗殺されてしまった」という記述から判断できますね。

カエサルは、共和主義者のブルートゥスに暗殺されました(前44年)。カエサルが暗殺された際に残したとされる「ブルータスよ、お前もか」という言葉は有名です。

政敵ポンペイウスを倒し、暗殺されるまでカエサルは権力の絶頂にいました。
カエサル暗殺の混乱の中、カエサルの武将であったアントニウスとレピドゥス、そしてカエサルの養子オクタウィアヌスによる第2回三頭政治がはじまります。

結果、オクタウィアヌスが権力の頂点に立ちますが、彼は暗殺なんてされてないですよね。元老院からアウグストゥス(尊厳者)の称号をあたえられました(前27年)。これは、実質的に「皇帝」の位に就いたことを意味します。これが、帝政ローマのはじまりです。

正解:①

第2問A 問2

これは大丈夫ですね。モンテスキューと聞いて、三権分立という語句はすぐに出てくるでしょう。選択肢③が、そのままです。問題文にあるように、三権分立はアメリカ合衆国憲法でとりいれられ、その後その考え方は現在でも多くの国の憲法(政治のしくみ)にもみられるということも重要です。

仮に、「モンテスキュー=三権分立」がピンとこなかったとしても(それでは困りますが…)この問題は答えられます。

問題文4行目「三者が互いに協調や牽制をしあって均衡している」の部分が、選択肢③の文と一致しますね。

もちろん「三者」の内容はちがいますが、このポリュビオスのコンスル、元老院、民衆の三者が均衡しているという理解が、市民革命期まで受け継がれていって、今にもつながっていると、この問題文を書いた人は考えています。

他の選択肢もみておきましょう。

①:イギリスの哲学者、功利主義哲学を始めたベンサム(1748~1832)が、功利主義の考え方を示した標語です。

②:王権神授(おうけんしんじゅ)説のことです。16~18世紀のヨーロッパの絶対王政の時期に、唱えられた考え方です。

④:イギリス、名誉革命(1688~89)以降、議会政治の発達したイギリスで、国王の地位を象徴する言葉です。

もう少し補足します。
こういう簡単めの問題で、出題者の意図を理解し、設問に対応できる能力をみがいておきましょう。

問題文の第2段落の骨子をとると「こうしたローマ国政についての理解は、・・・〔 ウ 〕という考え方にも見ることができる。」とあります。

「こうしたローマ国政についての理解」が、〔 ウ 〕の中にみられないといけない、ということです。

「こうしたローマ国政についてに理解」・・・について、確認しておく必要があります。問題文第1段落の内容です。

第1段落5行目「ローマ人はこの政治体制を誇りとしており、」とあります。
ローマ人が誇りとしている「この政治体制」こそ、第2段落の内容であり、問2で問われているところです。

それは、その前の行、先にも確認しましたが、「・・・均衡している」の部分ですね。

この「均衡」の語こそ、キーワードです。選択肢①②④に、均衡という要素は、ありません。したがって、これらの選択肢はまちがいということになります。

正解:③

第2問A 問3

最盛期のアテネについての記述を選ぶ問題です。
選択肢を、1つずつみていきましょう。

①:「奴隷解放宣言」のキーワードもありますし、まず、アメリカの南北戦争(1861~65)のこと、ということでいいでしょう。

本番のテストでは、それで切っていいでしょうが、今は過去問を使った勉強なので、もう少しつめておきましょう。もしかしたら、①のようなことが、古代ギリシアのアテネでも、あったかもしれません。それはあり得ないことだと確認していくことで、共通テストの得点力も上がっていきます。

まず、そもそもアテネは民主政治をとっていたことで有名ですが、その民主政治は奴隷制度のもとに成り立っていました。奴隷を解放することは考えられません。

また、古代ギリシアで栄えたアテネやスパルタなどは、ポリスと呼ばれます。ポリスはふつう、「都市国家」と訳されます。人口や領域の大きさが都市程度の国家ということなので、「国を二分した…」の部分にも違和感があります。

②:ソロンの改革(前594)のことです。これは、アテネの話なので保留です。

③:内容からして、おそらくアッシリア(前2千年紀初め~前612)のことでしょう。前7世紀前半、全オリエントを統一します。

「オリエントを統一」という記述から十分に消せますが、これも、もう少しだけつめておきます。

まず、古代の戦車というのは「馬」にひかせるものです。闘用馬の略で戦車です。アッシリア、古代エジプト、ペルシア帝国などが戦車を活用していたのは有名です。みなさんがお使いの図録でも、いくつか目にすることができるでしょう。

オリエント地域では平野が多いので戦車が活躍しましたが、ギリシアは山がちで平たんな場所があまりない地形ですからね。ギリシアでは、戦車はあまり振るわなかったそうです。(ここまで知っておく必要はありませんが、地形的な理解から、こういうことをイメージできるようになることは大切です。)

また、アテネの全盛期との関係でいうと、鉄器は時代はずれですね。

確かに、古代西アジアは先進地帯であり、その中でも鉄器(鉄製の武器)を使えるようになった民族は、大きなイニシアティブを持ちました。
しかし、それはギリシアにポリスが栄えた時代よりも、けっこう前の話です。

前8世紀に入り、ギリシアで、人々が集住(シノイキスモス)をはじめ、都市(ポリス)を立てはじめていたころ、ギリシアはすでに鉄器時代に入っていました。

もともとアテネのようなポリスでは、鉄製の武器が安く手に入るようになったことを背景に、平民が多数参加した重装歩兵部隊(じゅうそうほへいぶたい)が国防に活躍し、そのため民主政が進みました。

④:これと②の選択になります。まず結論として、次のIOPを紹介します。

アテネ=ペルシア戦争

IOPの言うとおりです。
「アテネの全盛期」と「ペルシア戦争の時期」は、一致していると考えるといいです。

また、古代ギリシア、特にアテネの歴史をおさえる際には、ペルシア戦争を中心に、その前後でおさえるとよいです。

まず、ペルシア戦争の時期をおさえましょう。

ペルシア戦争は前500年から前449年ですが、細かい年号にとらわれても覚えきれません。・・・というか、年号だけ覚えてもあまり意味はない、といった方がいいでしょう。

図形的におさえましょう。下のような、簡単な年表をつくります。
全体の中で、どこらへんの話かをおさえるためです。
「前500年から50年くらいがペルシア戦争の時期」と、おさえれば十分です。

ペルシア戦争の年代

前600年から前501年が、前6世紀です。前500年代が前6世紀ということでいいですが、これも数字が大きい方が昔なので注意しましょう。

ソロンペイシストラトスクレイステネスらの政治家の名前がが出てくるのは前6世紀の話です。
細かい年号は気にせず、前6世紀初めにソロンの改革、前6世紀半ばころに僭主のペイシストラトスが出てきて政治を行い、前6世紀にクレイステネスがオストラシズム(陶片追放)などの改革を行ったとおさえておけばいいです。

前500年、アケメネス朝ペルシア(前550~前330)に対するイオニア植民市の反乱をきっかけにペルシア戦争がはじまります。

前480年、アテネのテミストクレス(前528頃~前462頃)に率いられた(アテネを中心とする)ギリシア艦隊が、サラミスの海戦でペルシア軍を大敗させます。

他のポリスの信頼を固めたアテネは、ペルシアの再侵攻に備えてギリシアのポリスが結んだデロス同盟の盟主となり、その資金管理も担い他のポリスに対する支配力を強めていきます。(デロス同盟の全盛期には、約200ものポリスが参加したといわれています。)

また一方アテネの国内では、ペルシア戦争で軍艦のこぎ手をつとめる無産市民(下層市民)の発言力が強まりました。(アケメネス朝ペルシアが支配している小アジアとギリシアはエーゲ海意をはさんで向かい合っているので、必然的に軍船の出番が多くなります。)

ギリシア・小アジア2

前5世紀の半ばごろ、将軍ペリクレス(前495頃~前429)の指導の下、アテネの民主政治は完成されます。この時代が、アテネの全盛期です。

アテネの民主政治

(このようなまとめを、自分でもまめにつくってみるといいでしょう)

この問題は、問題文3段落の「テミストクレスの活躍と時を同じくして」という情報をもとに、・・・

「テミストクレスの活躍」=「サラミスの海戦」・・・選択肢④にあるように、軍船の漕(こ)ぎ手が必要でしたでしょうし、それを機に下層市民が政治的発言力を強めることもあるだろう、ということで正解にたどりつけます。

また、先ほどのIOPから・・・

アテネ=ペルシア戦争

「最高度の輝きを放った時期のアテネ(=アテネの全盛期))」=「ペルシア戦争」=「サラミスの海戦などの海戦」=「選択肢④の内容」・・・のように正解にたどりつくことができます。(このように、これさえ覚えておけば正解にたどりつけるポイントをまとめたものが「IOP」です。)

正解:④

第2問B 問4

回想録の一部が与えられていますが、いつ書かれたものか?・・・はっきりした年代は、わかりません。文章の内容から、そこも推定していく、という問題です。おもしろそうで、わくわくしてしまいますね。

さっそく、みていきましょう。

まず、「当時、清国皇帝は…」とあります。
これで少なくとも、中国は(しん:1616(1636)~1912)の時代ということがわかります。

清の存在年代は、おさえておくべきところです。
おさえ方としては、・・・

日本で江戸幕府がはじまって(1603年)すぐの頃に、中国の支配も明から清に変わった(「井出進学塾の歴史教室 第1回」参照)・・・

日本で明治時代が終わった頃に、中国で辛亥(しんがい)革命(1911年)が起こり、清が滅び、中華民国が成立した(「井出進学塾の歴史教室 第3回」参照)・・・というように、おさえるといいでしょう。

(注:『世界史』の勉強でも、中学内容の日本史をおさえた上で勉強していくのが効果的です。「井出進学塾の歴史教室」では、中学内容の歴史の要点を紹介しております。みなさんの勉強の大きな助けになるでしょう。)

この『清国皇帝』というのが、どの皇帝か書かれていませんが、次に康有為(こうゆうい:1858~1927)の名前が出てくるので、もうわかってしまいますね。

康有為は公羊学(くようがく)派の学者で、日清戦争(1894~95)敗北の衝撃の中にある清国で、時の皇帝である光緒帝(こうしょてい:位1875~1908)に改革をせまった政治家です。

彼の目指した改革は、日本の明治維新にならった諸制度の根本的な改革で、「変法(へんぽう)」の名前で主張されました。

康有為を中心に変法運動変法自強〔じきょう〕)が進められ、1898年6月、光緒帝の説得に成功し、ついに政治の革新が断行されました(戊戌〔ぼじゅつ〕の変法)。・・・ここまでが、問題文1行目『・・・改革をはかり』までの内容です。

しかし、ここで西太后(せいたいこう:1835~1908)が出てきます。

光緒帝の改革をおもしろく思わない清国の保守派は、西太后と結んで1898年9月、クーデタをおこします。光緒帝は幽閉(ゆうへい)され、康有為らは失脚し日本に亡命します。これが、戊戌の政変です。
政治改革(戊戌の変法)は、わずか3か月あまりで終わってしまいました。

・・・これが、問題文2行目あたりの内容です。
戊戌の政変の少し前かもしれませんし、あるいは戊戌の政変があってしばらくした時期かもしれません。

どちらにせよ、2行目ですでに年代が特定されてしまいました。
それではつまらないので、ここでは、みなさんが・・・
「康有為は日清戦争後に出てきた政治家」・・・くらいは、ばくぜんとだけど分かっている(このくらいは、わからないといけませんよ)、・・・程度だという前提で続きをみていきましょう。

この回想録の著者は、清国の首都である北京はまだ混乱の状態で危険だろう、と判断し、まず香港(ほんこん)に向かいます。
アヘン戦争(1840~42)に清国がイギリスに敗北し、南京条約(なんきんじょうやく:1842)で香港はイギリス領になっていました。ここには清国の力は及びません。

興中会(こうちゅうかい)の名前も出てきます。のちに辛亥革命の中心人物となる孫文(そんぶん:1866~1925)が組織した革命結社です。

著者は香港で、『フィリピン』の志士と出会います。
日本でも、幕末期、「国」のためにと奮闘する侍(さむらい)らが志士と呼ばれました。この「ポンセ君」も、自らの国フィリピンのために奮闘している活動家なのでしょう。

ポンセ君が、熱く語りはじめます。
『我ら』の部分を、具体的に『フィリピンの人々』とすると、内容がみえてきます。意味をとっていきましょう。

「君(この回想録の著者)は知らないであろう。この前、(a)国と(b)国が戦争したが、我らフィリピン人に協力させて、事が済んだらフィリピンの自主独立を許すと約束していた。」

・・・アメリカ=スペイン(米西)戦争(1898)のことですね。
あっけなく、答えがきまってしまいました。問4で問われた2つの国の組み合わせは、④「アメリカ合衆国」と「スペイン」です。

この、アメリカ=スペイン戦争は重要事項ですし、1898年は19世紀の末ということで年号も覚えやすいので、覚えておくほうがよいでしょう。

フィリピンは、長らくスペインの植民地(1565~1898)でした。
フィリピンという名前自体が、当時皇太子であり、その後、絶対王政期のスペインで全盛期の皇帝であるフェリペ2世(位1556~98)に由来しています。

アメリカは19世紀(1800年代)末、工業力が世界のトップになります。
もともと広大な領土があるため、ヨーロッパ列強に比べて植民地獲得には積極的ではありませんでしたが、アメリカ=スペイン戦争を機に、フィリピンを植民地としました。

また、同年(1898年)、太平洋地域のグアムを獲得し、ハワイを併合しました。次のIOP・・・

フィリピンの宗主国

これは、単に「フィリピンを植民地支配していた国が、スペインからアメリカに変わった」ということだけでなく、この時代アメリカが、太平洋地域や(ここでは触れませんでしたが)中南米地域にまで、その影響を広めていった、ということで重要なIOPです。

なおフィリピンでは、スペイン支配の末期から独立運動が起きていました。
国力の衰えたスペインでは、遠く離れたフィリピンでの独立運動をおさえきるのは難しく、それにアメリカが目を付けた、・・・という背景もあります。

そこらへんも考慮して、つづくポンセ君の言葉を、空欄に国名を補いながら解釈しておきましょう。

「私たちは、アメリカの(フィリピンの自主独立を保障するという)約束を信じ、命をかけて戦ったが、それは自主独立を願っていたからである。

こうして、(c)スペインは戦争に敗れ逃げ出した。皆、これで我々も自主独立した国の民(たみ)になれたのだ、と思ったものです。。

そのとき、次は(d)アメリカ合衆国に支配されることになろうとは、誰が思ったであろうか。

自由のために、(e)スペインと戦った我々は、今また、自由のために(f)アメリカ合衆国と戦わざるをえなくなってしまった。」

正解:④

第2問B 問5

これは、すでに答えに触れました。
①フィリピンは、アメリカの植民地支配を受けることになりました。

一応、他の選択肢にも軽くふれておきます。

②:不平等条約は、欧米列強がアジア、特に清(中国)や日本にとった支配政策です。

関税自主権がない」・・・って、かなり大きいことです。
国内の産業の保護や育成など関係なく、列強側から好きなだけものを売りつけられてしまうということです。

不平等条約の中で主なものとしては・・・
アヘン戦争(1840~42)後、清(中国)がイギリスと結んだ南京条約(1842)、
1858年、日本がアメリカと結んだ日米修好(しゅうこう)通商条約、・・・などがあげられます。

③:アパルトヘイトは、南アフリカ共和国でとられていた白人優位の人種隔離(かくり)政策です。1910年に南アフリカ連邦ができたときから、強力に進められました。

アパルトヘイトも、そのルーツはイギリスの支配政策の一種といえるでしょう。

④:第一次世界大戦(1914~18)後の処理として、シリアはフランスの、イラク・トランスヨルダン・パレスティナはイギリスの、委任統治領となりました。

正解:①

第2問B 問6

回想録の著者の目的を推定する問題です。
ここまで読んできたら、もう大丈夫ですね。

ポンセ君は、この著者の同志といっていいでしょう。
ポンセ君の目的は、フィリピンの自主独立です。

また本文中に、興中会の人々と交わったという記述もあります。
当時、中国は実質ヨーロッパ列強の支配下にありました。

孫文も清朝を倒すことが主眼ではなく、中国を強い国ににして、列強の支配から逃れることにあったでしょう。(清は『満州人』による王朝であり、それを『漢民族』にとりもどす、という要素も同時にありました。)

②の「民族主義を支援する活動」ということで、よいでしょう。

「民族主義」というのはこの場合、
「国」は、その国の民族のものであり、その民族によって統治されるべきものである・・・くらいの解釈でよいでしょう。

他の選択肢が消しにくかったかもしれませんが、問題が本当によくできているので、それを確認しておきましょう。

まず、清(中国)関連の選択肢である①と④からです。一見、あり得なくもないようにみえますが、問題文(回想録)とはっきりとした矛盾(むじゅん)があります。

①:文章中の「清国皇帝」は、国政の改革を進めようとしていましたね(本文1行目)。同国の政治改革を阻もうとしたら、協力していることにはなりません。

④:「共和政」は「君主制」の対義語のようなものです。
中国(清)は皇帝をいただく、典型的な「君主制」の国でした。

一方、「保守派(注2参照)」というのは、一般に現状の体制を変えるべきではないと考える人々のことです。選択肢の中に矛盾があります。
(君主制といっても、皇帝だけが強大な権限を持っているとは限らず、時代によっては、むしろその周りにいる人々が、そのしくみの中で利権をむさぼっている状態のこともよくあります。清末、西太后が出てきたころの中国はそういう状態だったのでしょう。)

問4のところで、けっこう長く解説を書きましたが、あそこらへんがすべて完ぺきに入っていなくても、冷静に知っていることをつなぎ合わせて考えれば、答えにたどりつける問題でした。
まさに、良問ですね。

③:回想録のどこにも「社会主義」に関係するようなことは、出てきませんでした。それと同時に、時代感覚から簡単に消せるようになりましょう。

コミンテルン(第3インターナショナル)が結成されたのは、第一次世界大戦後の1919年なので、新しすぎますね。興中会が存在していたということは、まだ清が存在しているということです。(興中会は1905年に結成される中国同盟会の中心となり、その後、辛亥革命(1911~12)が起こります。)

コミンテルンは、確かに日本なども含むアジア地域でも社会主義を広めるための活動をしましたが(…だから、この選択肢も安易にまったくちがう、といって消せるものではないですよ)、時期がまったく合わないですね。

正解:②

私としても、アメリカ=スペイン戦争が1898年ということは当然知っていましたが、戊戌(ぼじゅつ)の政変も同じく1898年だったというのは、はじめて意識したことです。

もちろん、この2つのできごとが同年おこったということは、覚えなければいけないようなことではなく、こういう問題を通して、「ああ、そうなんだ」と確認できればいいことです。

アメリカ=スペイン戦争と戊戌の政変という、まったく関わりのなさそうな2つのできごとが、本当に同年(同じ時期)だったのだな~、と確認できる、とてもおもしろい資料でした。

第2問C 問7

すぐ答えは出せますが、傍線部②を少し消化しておきましょう。

ここにあるように、インドネシアは「多くの島々から構成」されています。
日本も島国で6000以上の島から構成されていますが、インドネシアは1万以上の島から構成されているそうです。

その中で、中心となるのがスマトラ島とジャワ島です。
この機会に確認しておきましょう。

東南アジア

ジャワ島では、仏教国のシャイレンドラ朝(8~9世紀頃)のもと、仏教寺院のボロブドゥールが建造されました。選択肢④が、正解です。

①:スワヒリ語といえば、東アフリカ地域で今でも広く使われている言語です。10世紀以降、ムスリム商人によりこの地域に海港都市が栄え、その中で、アラビア語の影響を受けたスワヒリ語が使われるようになりました。

③:20世紀の初め、フランスの植民地支配を受けていたころのベトナムの話です。学者のファン=ボイ=チャウ(1867~1940)を中心に、明治維新で急速に近代化し、日露戦争(1904~1905)に勝利した日本にならおうと、ドンズー(東遊)運動が提唱されました。
日本はベトナムからみて、東にあります。

④:第2次世界大戦後の1962年の、キューバ危機のことです。

正解②

第2問C 問8

終戦

第二次世界大戦が終わったのが、1945年・・・これは、覚えているとかいないではなく、知らなければいけない年号です。世界史や日本史を勉強してるかどうかにも関わらず、知ってほしい年号です。

そして、そのちょうど10年後ですから、年号も自然に覚えられますよね

バンドン会議

1955年 アジア=アフリカ会議(バンドン会議)

長い期間、欧米列強の植民地支配を受けていたアジア、アフリカの国々がインドネシアのバンドンに集まり、平和に向けた会議を開きました。
これを聞くだけで、すごく「かっこいい」会議だなと感じますよね。
(なお、アジア=アフリカ会議は公立高校入試の社会で、頻出問題でした。最近、みかける機会が少し減ってきたような気がして、少し残念です。)

この会議の主な参加者も、おさえておきましょう。これも、IOPにしたいくらいです。

インド:ネルー〔首相〕(任1947~64)

中国:周恩来(しゅうおんらい)〔首相〕(任1949~76)

インドネシア:スカルノ〔大統領〕(任1945~67)

エジプト:ナセル〔後に大統領に就任〕(任1956~70)

・・・と、それぞれの国での独立運動で活躍し、その後もその国の政治だけでなく、国際政治にも影響力を与えてくるそうそうたるメンバーがならびます。

設問にもどりますと、まず、「インドネシア建国の指導者の名」は「スカルノ」です。

次に、「インドネシア建国の指導者がめざしたと考えられる事柄」ですが、これは問題文の方からパンチャシラ(平和五原則)の内容をとって、判断すればよいですね。

スラメットの言葉から、インドネシアには多くの島々があること、またイスラーム教徒が多いけれど、キリスト教、ヒンドゥー教、仏教も容認されていることがわかり、選択肢「あ」の内容に一致します。

なお、「い」は1960年代以降に出てきた、開発独裁という体制のことです。
朴正煕(パクチョンヒ:任1963~79)が大統領だった時代の大韓民国が、典型例です。

インドネシアでも、1965年、九・三〇事件(軍部クーデタ)でスカルノが失脚したのち、スハルト(任1968~98)が大統領に就任し、「い」にあるように強権的に、積極的な経済開発をはかりました。

正解:①


以上です。ありがとうございました。
コメントなどいただけると、とてもうれしいです。
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執筆:井出進学塾(富士宮教材開発) 代表 井出真歩

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