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プレテスト「世界史B」 全問解説⑤第5問ー井出進学塾のマンツーマン授業の実況中継(大学入学共通テスト「世界史」対策)

こんにちは、井出進学塾です。
共通テスト世界史対策として、今回は「プレテスト世界史」第5問をみていきます。

その他の問題の解説は、こちらからどうぞ。
この第5問以外は、すべて無料です。

共通テスト世界史対策「プレテスト世界史」くわしい分析と解説 まとめ

問題および解答は、大学入試センターで公開されておりますので、そちらを利用ください。

「大学入試センター 平成30年度 試行調査 問題、正答等」は こちらをクリック

第5問は国語の問題みたいですね。

しかも、国語のテストではなく世界史のテストなので、もっと簡単です。(すみません。何言ってるのか?わかりにくいですよね。)

ここで言う「国語の問題」というのは、覚えている覚えていないではなく、その場で文章を読み込めば答えられる問題、という意味です。

プレテスト全体を通し、その傾向はありましたが、第五問では特にそれが顕著(けんちょ)です。

それでは、みていきましょう。

第5問A 問1

第4問でもみたように、綿製品は私たちの生活に密接(みっせつ)にむすびつくものなので、世界史でも重要事項です。

「表1」の解釈を、簡単にしておきましょう。

「先生」の説明からもわかりますが、18世紀末からの資料なので、イギリスで産業革命が始まったころからの資料です。

「コスト」という言葉は、だいじょうぶでしょうか?
「生産に必要な費用」・・・ということです。

「原料綿花コスト( x )」というのは、原料となる綿花を手に入れるための費用・・・

「生産コスト( y )」というのは、原料の綿花から綿糸をつくるのに必要な費用・・・ということです。

この2つのコストが、下段の「綿糸価格( x + y )」に反映されます。

産業革命が進むにつれて、綿糸価格はどんどん下がっていますね。

資料に与えられた最初の年(1779年)と、最後の年(1882年)を比較すると、100年ほどの間に、綿糸の価格は20分の1近くまで下がっていることが、わかります。

また、「原料綿花コスト」も大きく下がっていますが、「生産コスト」の方が先に、しかも大きく下がり始めていることも確認できます。

そして、この2つのうち「生産コスト」の方が、産業革命と大きくかかわる内容です。

それでは、問題をみていきます。

生徒P、Q、Rの3人の後の、先生の発言に注目です。

3人が意見を言ってくれましたが、それが、どういう根拠に基づいたことなのかを聞いています。

逆にいうと、この3人の説明に、説得力がたりない、ということです。(こんなこと、言ってしまって、いいのかな?・・・とも感じますが・・・)

例えばですが、生徒Rの意見
「人件費が安くなった(から、綿糸価格が年とともに下落した。)」

・・・と言われても、「じゃあ、なぜ、人件費は安くなったんだよ」
・・・と、思ってしまいますよね。

ここにも、情報伝達能力を重視するアクティブラーニングの影響がみられます。(また、アクティブラーニングで求められる能力を問うてくる問題を、「新傾向・新学力観」の問題、と言います。)

弊社教材で、活躍している対「新傾向・新学力観」問題の解法である『のでから』でいうと、今の段階では『ので』の部分が欠けている、・・・ということです。

せっかくなので、紹介しておきます。他のテストなどでも、大いに役に立つでしょう。『のでから』を使って考えると、今の段階で・・・

のでから

Pさん、Qさん、Rさんが述べた内容は、『のでから』でいうところの『から』・・・「生産コストが下がった」直接的理由にあたります。

この前に、一言でも『ので』(間接的原因)を入れるだけで、ぐっと論理的で説得力のある文章になります。

ここで、選択肢をよくみてみると、完全にそれぞれの『ので』に、なっていますね。(しかも、順番になっています。)

P-①:蒸気機関が、工場の動力として導入されたので、大量生産が可能になったから(、生産コストが下がった)。

Q-②:運河や鉄道などの交通網が整備されたので、機械の燃料となる石炭の輸送費が下がったから(、生産コストが下がった)。

R-④:囲い込みの進展で、都市部に人口が流入したので、人件費が安くなったから(、生産コストが下がった)。

・・・見事に、あてはまりますね。

よって、これらの選択肢は適切で、正解の(適切でない)選択肢は③になります。

多少、まわりくどい説明になりましたが、『のでから』の考え方は、あらゆる教科に応用できる考え方なので、ぜひ、使いこなせるようにしておきましょう。

アクティブラーニング全盛の中、出題者も、これを意識した出題だったと言えるでしょう。(注:『のでから』は、井出進学塾の名前で商標登録をとっているくらいのものなので、「何を、えらそうに・・・」と、つっこむところです。)

選択肢③が、どのように適切でないのかも、確認しておきましょう。
語句の意味さえわかっていれば、これが誤りであることはすぐわかり、すぐ答えにしてもよいくらいです。

まず、この時期にイギリスが「保護貿易」だったかどうかは、まったく気にすることありません。

保護貿易の反対が、自由貿易です。

また、保護貿易を、もう少しくわしくいうと「保護関税政策」になります。

関税とは、輸入品にかける税のことです。

例えば、ここにあげられている「綿糸」で考えてみましょう。

ある国に、安い綿糸が外国から入ってきてしまうと、その国で綿糸をつくる産業(紡績業)は、絶対に伸びませんよね。

産業が進んでいる国の方が低コストで製品をつくれるので、産業が遅れている国で同じ製品をつくっても、価格的に勝負になりません。
誰でも、同じ商品なら安い方を買います。

ですから、その国がもし国内の紡績業を育てたい、と思ったら、外国から入ってくる綿糸に適切な税金をかけ、国内の紡績業が勝負になるような値段に上がるようにします。

選択肢③は、内容そのものがまちがっていて、保護貿易ですと、輸入品の価格は上がります。

正解:③

第5問A 問2

帯(おび)グラフには注意が必要です。(注:これは、棒グラフではないですよ。縦(たて)に表しているだけで、割合を表す帯グラフです。)

帯グラフは、確かに割合を比較しやすいですが、「分母」がすべて100%なので、総量の比較がぼやけてしまいます。

例えば、ある年の20%がある年の1%より、総量としては少ない、・・・なんてことは、いくらでもあります。

そこらへんに注意して、みていきましょう。
問2では出てきませんが、問3では重要になってきます。

さて、それでは問2をみていきましょう。

ここでは、「割合」について問われているので、帯グラフでそのまま検討すればいいです。

「18世紀末までは・・・19世紀にはいると、」という記述なので、帯グラフには左から2番目の「1796-1800」と、3番目の「1806-1810」にしぼってみていけばよいです。(それにしても、この年区分、それぞれ1~5年がなくて不自然ですよね。もしかすると、単なる誤記かもしれません。)

選択肢をみても、インドとアメリカ合衆国だけ調べればいいですね。

インドは、10%弱から10%強・・・
アメリカ合衆国は20%強から50%強・・・増えています。

割合が「急増」しているのは、アメリカ合衆国の方だといえます。

また、「先生」の言葉で、「1840年ごろには4分の3以上」とありますが、4分の3とは、百分率でいって75%にあたりますから、こちらもグラフ1から確認できます。

また、ウのほうは、アメリカの話なので、「黒人奴隷を大農園(プランテーション)で働かせる制度」になります。

「農奴を領主直営地で働かせる制度」というのは、中世ヨーロッパの話でしょう。

どちらにせよ、産業革命で綿糸・綿布の大量生産が可能になりました。
綿糸・綿布は需要のあるものなので、生産できるものなら、いくらでも生産したいです。

そのため、原料となる綿花も、もっと必要になってきます。
いくら産業革命が進んだとしても、原料の綿花の生産量以上の綿製品は生産できません。

このような需要がありましたので、「農園」などのような新しいしくみが出てきたのは、歴史的必然(ひつぜん)といえます。

問1で「生産コスト」の減少をもたらした産業革命、
問2で大量生産を支える原料供給を支えたプランテーション制度
・・・という問題の流れも確認しておきましょう。

さらには、グラフ1に示された年号と合わせ、1876年にアメリカ合衆国の独立宣言、1861~65年南北戦争(なんぼくせんそう)・・・などの歴史の流れも確認しておきましょう。(南北戦争の後、アメリカが州国の割合が下がっているのに気付きましたか?こういうところに注意できると、仕上がっていきます。)

正解:④

第5問A 問3

気づいたでしょうか?ここから先生の話は「綿」に移りました。

原料が「綿花」、綿かからつくられるのが「綿糸」、綿糸からつくられるのが「綿布」です。(くわしくは 第4問B を参照

綿布の後、それから衣服をつくるのは、また別の枠(わく)の話なので、綿織物工業としては、「綿布」が最終形態と言ってよいでしょう。

問1で「綿糸」、問2で原料となる「綿花」、そして最後の問3で、最終的な製品なので、(ⅰ)もっとも大切な「綿布」をとり上げる・・・この問題の流れも確認しましょう。

ということで、今さら綿糸価格と綿花コストの関係がどうのこうの言っている選択肢②が、ちがいます。(そんなことで判断していいの?・・・と思われるかもしれませんが、出題者にはこのような意図は絶対にあったはずです。)

もちろん、はっきりと間違いだということも簡単にわかります。
表1を見直しましょう。

「原料綿花コスト」の下落よりも、「生産コスト」の下落の方が極端です。
綿糸価格が下落した最も大きな要因は、原料綿花コストではなく、生産コストの下落にあることは明らかです。

よって、この選択肢が適切でないと判断できます。

さらに、(ⅱ)先生が「当時の経済状況」と言っていますが、・・・

最初に、「東西間の綿布の流れを・・・」と言っていることからも、「当時の(国際的な)経済状況」と、とらえるのが自然です。

他の選択肢のパネルが、国際間のモノの流れにしっかりと触れているのに対し、選択肢②では綿糸価格が下がったことしか述べていません。

綿糸から綿布にするのもイギリスで行われることなので、イギリス国内の話です。むしろ、そもそもこれが「経済状況」に、あたるのかもあやしいです。

さらに(・・・選択肢②をディスりすぎですね。・・・あり得ないことですが、もしこの選択肢②のパネルをつくった生徒さんが実在(じつざい)していて、これを聞いていたとしてら、気分を悪くされるかもしれません。もっとも私も、現実にこのようなパネルをみかけても、ずばずば批判するようなことはせず、やんわりといきますが・・・)・・・

あらためて、さらに(ⅲ)先生は、「どのように変化したのか」、(これまでの表1やグラフ1も参考に)新たに示したグラフ2からよみとらせようとしています。

選択肢②のパネルは、そもそも、「どのように変化したのか」という問いかけに対する答えになっていませんよね。

他の選択肢はすべて、(ⅰ)「綿布」を中心に、(ⅱ)「国際間のモノの流れ」に触れ、(ⅲ)「どのように変化したのか」、しっかりまとめています。

アクティブラーニングが全盛なので、こういう所にも注意して勉強していきましょう。

確かに、選択肢②の「原料綿花コスト」を「生産コスト」にしても、『適当でないもの』ということで、これを正解にすることもできますが、現実的には共通テストで、なかなかそこまですることも無理でしょう。

しかし、こういう視点からも②は絶対にちがうな・・・と判断できる生徒さんに有利なように、問題は精錬(せいれん)されながらつくられていくだろうと、この問題からも、うかがえますね。

他の選択肢も、簡単に確認していきましょう。

①:グラフ2から読み取れる内容です。

産業革命以前は、綿花の一大産地であるインドでの綿布の生産量が、もちろん多かったです。

イギリスの植民地支配を受けている間、インドはひたすら綿花の供給源とされ、自国での綿織物工業は止められ、イギリス産の綿製品を交わされることになりました。

③:前半はグラフ1、後半はグラフ2から読み取れる内容です。

④:イギリスからの綿布輸出の増加は、グラフ2から読み取れます。

イギリスへの原料綿花の輸入の増加は、グラフ1の折れ線グラフから確認できます。

折れ線グラフは「消費量」を表していますが、綿花の消費というのが、綿糸・綿布原料のための消費を指しています。

正解:②

第5問B 問4

戦後(第二次世界大戦後)の話だということを、強く意識して解いていきましょう。

終戦

戦後史も、私が高校生の頃に比べ、ずいぶん長い範囲を扱うようになりました(あたりまえですけどね・・・)。

この問題が、よい指針(ししん)となります(さすが、共通テストです)。

1945年」に終戦。
戦後10年の1955年までが、まず1つ目の区切りになります。

その後、「1973年」と、「1991年」が、よい区切りになります。
(なお、少しでもイメージをつけられるように、言っておきますと、私が生まれたのが1973年で、大学に入学したのが1991年です。)

日本でいいますと、1955年くらいから高度成長が始まり、高度成長は1973年石油危機(オイルショック)まで、つづきます。(石油危機は、1973におこった第4次中東戦争が、その背景にあります。)

グラフ3のXは、ちょうど、この時期です。
グラフ3に関しては、ほとんど動いていないどころか、まったく動いていませんね。その理由を、問われています。

グラフからもわかるように、この時期まで、1ドル=360円と固定されていました。選択肢②が、正解です。

第二次世界大戦後、アメリカ合衆国が、世界の覇権をにぎりました。

終戦直後の、世界の鉱工業生産の6割以上、金保有率の7割以上を占めていたのが、アメリカ合衆国です。

アメリカの通貨であるドルが世界の基軸通貨(きじくつうか)となり、選択肢②にあるように、各国通貨との交換比率が固定されていました。

しかし、アメリカ合衆国の経済も、長引くベトナム戦争(1965~73)の戦費や、社会保障費の増大によって、ゆらぎます。

そこで、アンリ合衆国大統領がニクソン(任1969~74)のとき、現在のような変動相場制(へんどうそうばせい)に移行しました。
これも、1973年のできごとです。

他の選択肢も、検討しておきましょう。
いずれも、単なる知識ではなく、「戦後」という時代感に合うかどうかで、消せるといいです。

①:戦後(第二次世界大戦後)、国際金融・経済における協力体制を築(きず)いていく取り組みが行われました。

1945年、国際通貨基金(IMF)や、国際復興開発銀行(国際銀行:IBRD)が設立されたり、アメリカドルが基軸通貨に定められたのも、この時期です。

47年には、「関税および貿易に関する一般協定」(GATT:ガット)も成立しました。

このGATTから発展し発足したのが、1995年、世界貿易機関(WTO)です。
1995年なので、最近の話です。
「戦後」ではなく、「最近」の話なので、この選択肢は、はずせます。

③:オランダの首都アムステルダムが、国際金融の中心として機能していたのは、近世ヨーロッパの、17世紀前半頃の話です。
この選択肢は、古すぎますね。

④:ブロック経済は、第二次世界大戦(1939~45)前、世界恐慌(1929年)に対し、イギリスやフランスがとった政策です。
戦前の話なので、この選択肢もはずせます。

正解:②

第5問B 問5

この大統領とは、問4でみたようにニクソン(任1969~74)のことですが、仮に、それがわからなかったとしても、戦後の「時代感」から、正しい選択肢を選ぶことができます。

選択肢を1つずつ、みていきましょう。

①:19世紀、モンロー大統領(任1817~25)によるモンロー教書(1823年)のことです。古すぎますね。

②:中華人民共和国が成立したこと自体、戦後のできごとです(1949年)。
この選択肢が、正解ということで、よいでしょう。

戦時中、中国は蒋介石(しょうかいせき:1887~1975)が率いる国民党による中華民国(1912~)で、戦後は5大国(国際連合安全保障理事会の常任理事国)の一員としての地位を認められました。

その後、毛沢東(もうたくとう:1893~1976)の率いる共産党と、国民党との対立が再燃し、内戦で共産党が勝利し、1949年、中華人民共和国が成立します。

国民党軍は、台湾に逃れ、そこに中華民国政府を維持しました。

その後、しばらくの間、国連の代表権は台湾の中華民国政府にありましたが、1971年、代表権は中華人民共和国に移ります。

翌年の1972年、それまで敵対していたアメリカのニクソンも中国を訪問し、事実上の中国商人となりました。(ニクソン訪中

③:戦後、すぐの話です。トルーマン大統領(任1945~53)による、トルーマン=ドクトリン(1947年)のことです。

戦後すぐの話なので、この選択肢もちがいます。

④:善隣外交政策は、第二次世界大戦(1939~45)前、世界恐慌(1929年)に対し、フランクリン=ローズヴェルト大統領(任1933~45)が、外交面でとった政策のうちの1つです。

戦前の話なので、この選択肢もはずせます。

正解:②

第5問B 問6

イラク(地図中 c )のサダム=フセイン大統領(任1979~2003)は、現代史の重要人物です。

1979年、イラン(地図中 b )でイラン革命が起こり、王政が倒れ、イラン=イスラーム共和国が成立します。

イラクのフセインはイラン革命の混乱に乗じて、イランに攻め入り、1980年、イラン=イラク戦争(1980~88)が、はじまりました。

グラフ4のYは、イラン=イラク戦争による、原油価格の上昇です。
〔オ〕はイランなので、b が入ります。

イラン=イラク戦争は国連の調停も実らず、1988年まで続きます。

その後、1990年、イラクはクウェートに侵攻します。
これも、フセインによります。

クウェートは、地図中のイラク( c )が、海(ペルシア湾)に面するところをふさいでいるようにある小さな国のことです。(クウェートに記号はふられていません)

翌1991年、国連決議に基づきアメリカ軍を中心とする多国籍軍が編成・派遣され、イラクは多国籍軍の反撃を受けて撤退します。

これが、湾岸戦争です。

グラフ4のZは、湾岸戦争による、原油価格の上昇です。
〔カ〕はイラクなので、c が入ります。

その後、2001年、この湾岸戦争も遠因(えんいん)となり、アメリカ合衆国で同時多発テロ事件が起こります。

このように、1991年は象徴的な年号なので、おさえておきましょう。
(なお、フセインはその後アメリカ軍にとらえられ、処刑されます。)

他の選択肢の、a はアフガニスタン、d はサウジアラビアです。

この問題も、単に暗記ではなく、イラクとクウェートの位置関係が持つ意味など、少し考えてみるとよいかもしれません。


以上です。ありがとうございました。
コメントなどいただけると、とてもうれしいです。

執筆:井出進学塾(富士宮教材開発) 代表 井出真歩


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