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アイドルが躁うつ病になった話Part2〜躁うつ病のきっかけ〜

初めまして。こんにちは。
謎のアイドルです。
Part1もございますのでよかったら、まずそちらもご覧ください。

私は2023年の秋に「躁うつ病」と診断されましたが、精神病を判断されたのは2度目でした。
なので、初めての診断より以前のお話しをさせていただきたいと思います。
少々長くなりますが、お付き合いいただければと思います。

私は、小学校低学年の頃から不登校でした。
イジメがあった訳でもなく、勉強がわからない訳でもなく、病気を患っていた訳でもありません。
ならどうして不登校だったのか?
母の帰りを待っていたのです。
いつものように母が「行ってくるね」と言い残し家を出ました。小さかった私は、もう2度と、この家に、私の元に、母が帰って来ないなんて思いもしなかったのです。だって、いつものように母は「行ってくるね」と言ったのですから。
その日は普通に学校に行き、帰ってきてもまだ母はいない。おかしいと思い次の日は、母を待つため学校を休む事を決めたのです。
母の車が停まる場所を眺めながら、テレビを横目に見るのが学校を休んだ日の日常でした。
我ながら、健気で可愛らしく純粋だったと思います。
その一方で、そんな私を見守る父や祖父母の気持ちになると今となっては申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
しかし、母の帰りを待っているという理由で、いつまでも学校を休める訳がなく登校せざるを得ませんでした。しかし時折、父に嘘を付き(恐らくバレてはいるが)仮病で学校を休んでは母の帰りを待っていました。

ほどなくして、重大な事件が起きたのです。今だに鮮明に覚えていて、何日も放置した食器汚れのように頭にこびりついている頑固な記憶です。
その重大な事件とは、普段見せれない学校での私を両親に見せる事ができるイベント、授業参観です。
さすがにこの日くらいは母が会いに来てくれると思い、楽しみに学校に行きました。
ですが、案の定来てくれたのは父だけ。これだけで終われば重大な事件とまではならなかったでしょう。
授業参観が終わり、休み時間になり、1人の同級生が歩み寄って来てこんな事を言いました。
「なんでお父さんしか来てないの?離婚してるの?」
悪意のない子どもの一言って残酷ですよね。父しか来ていない事が普通ではないんだと恥ずかしくなりながらも、「離婚」という言葉で頭の中がぐちゃくちゃになりました。
離婚率の高い今の世の中こういった経験をした人も多いかと思います。ましてや死別や病気で会えないという私より辛い経験もあるかと思います。
ただ私の中では、あくまで私の中では、家族に嘘をつかれ、幸せそうな同級生の顔に苛立ちまで覚え、周りの人間を信用できなくなったのです。
そして、ここからが本格的な不登校の始まりでした。

こうして、本格的に不登校になった私はこう考えるようになったのです。
「母に捨てられた。」
「誰にも愛されてなかった。」
「望まれて生まれてきた存在じゃないんだ。」
そして、これに付随した思考も持ち合わせる事にもなりました。
「ゴミとして生まれてきたんだから迷惑はかけるな。」
「存在してはダメなんだからできるだけ周りのサポートをしよう。」
これで、私の人格が形成されました。
ネガティブで人の顔色を伺わずにはいられない人間が出来上がったわけです。
顔色伺うようになったからといって、学校に行けるようになった訳ではなく、嘘をついてた家族も、幸せそうな同級生も、当時の私には全員敵でしかなかったので、そんな敵に干渉しないように学校に行かず、そんな敵に迷惑かけないように学校に行く。セルフ板挟み状態でした。

そんな日々を幾年も過ごし、中学一年生時にこんな状況を打破する最高の答えを見つけたのです。
この答えを思いついたときは、画期的な考えだと稀代の天才にでもなったような気分でした。
その答えとは「自殺」です。
家族も私がいなくなって嬉しいだろうし、幸せそうな同級生にもショックを与えられるだろうと思ったのです。
まずは、リストカットを試しました。手首を切って湯船に浸けるといった、ドラマでも見るような自殺の仕方です。あれって、見るのとやるのじゃ全然違うんですね。手首の腱が邪魔で思ったより深く切れないのです。
次に首吊りも試しました。首吊りもすぐ死ねる訳じゃないんですね。死にたいと思っていたのに苦しくのたうち回っていたところ、兄にうるさいと怒られて終わりました。
こうして、失敗を重ねた私はネットに頼りました。これが最大の失敗でした。
父に検索履歴を見られ、自殺まで図ってるのがバレてしまいました。

こうして家族にバレたのがきっかけで、初めて精神科へ受診する事になりました。
正直、この当時の診断名は覚えていません。
反抗期真っ只中で、私を不幸にしたのは家族なのに私だけ異常者扱いされる事が気に食わず、病院の先生の話も聞かず、薬を処方されても飲まず、先生と2人きりになっても、どうしたら迷惑かけずに死ねるかだけを聞いていた記憶しかありません。
そして精神病院に通う事も辞め、人を信用できないよう出来上がった人格の私は、迷惑をかけないよう死ねないまま高校に進学いたします。



Part2を読んで頂きありがとうございました。
これは自叙伝であって、自殺示唆する読み物ではありません。
その辺のご理解だけでもよろしくお願いいたします。
拙い語彙、文章力のため長くなってしまいましたが、ここまで読んで頂けていれば幸いです。

Part3〜不登校が芸能を目指した訳〜について、また書かせて頂きます。
興味ございましたら、フォローよろしくお願いいたします。

質問や励ましございましたら、ぜひコメントやいいねを頂けると嬉しいです。

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