おもしろがって生きる人を増やしたい

どうも。伊田錦です。

今日は、“おもしろがる”について。


“おもしろがる”とは

以前から、“おもしろがって生きる人を増やしたい!”とか、“あなたはおもしろがれる!”とか言ってきた。

僕の考えるおもしろがるとは、=受け入れる、認める、寛容である、攻撃しない、否定しない、決めつけない、排除・排斥しない、意味や価値を見いだす等といった姿勢のことである。

うーん。分かりづらい。(笑)

もう少し、掘り下げてみよう。

以下、過去の参考文献(笑)

この他にも、過去の記事の随所で、“おもしろがろう”と言っている。

一般的に“おもしろがる”というと、「バカにする」とか「嘲笑する」などの言葉が連想されるかもしれない。

「アイツのマヌケなところをおもしろがってやろうぜ!」

「変なヤツだな!おもしろがってイジメてやろう!」


…当然だが、僕の考える“おもしろがる”は全く違う。

【その人やそのモノの持つ、個性や強み、効果や可能性を見つけて伸ばしていく】

【決めつけるのではなく、いろいろな視点から考えて可能性を探る】

まだまだきちんと言語化できていないが、大枠はこんな感じだ。


たとえば。

「自分なんて価値がない。」
「自分が生きている意味なんてない。」
「人生はつまらない。」
「自分の人生は絶望だ。」
「○ぬしかない。」
「コロすしかない。」
「生まれてこなければよかった。」


そんな風に感じている人たちがいるとして。


もちろん、その人が感じている痛みや苦しみは、その人にしか分からない。

僕なんかができることなんて少ないだろう。

でも。

そんな人たちが。

少しでもいいから、

「自分っておもしろいかもしれない」
「自分の人生っておもしろいかもしれない」
「自分にも可能性はあるかもしれない」
「人生悪くないかも」
「生きててよかった」
「生きてきてよかった」


こんな風に思える瞬間があるんだとしたら。

そんな瞬間に立ち会えることができたら。

僕はとてつもなく嬉しい。


人生は、平気で理不尽なことが起こる。

どうしようもないほどの憎しみや苦しみを抱くこともあるだろう。

どうして自分が!
なんで自分ばっかり!

得てしてそんなものなのかもしれない。


【それでも】


それでも、僕は探りたい。信じたい。


○にたいから、○にました。
○刑になりたいから、コロしました。


そんな世の中はやっぱりイヤだ。


所詮は無知なヤツの戯言かもしれない。

「社会に出たことがないからそんなこと言えるんだ!」
「人の痛みや苦しみも知らないで!」
「こっちはもう早く○にたいんだよ!」

そう言われるかもしれない。

確かに、本人がそう感じていることを安易に否定はできない。

あなたの感じている苦しみも、痛みも、絶望も。

僕は100%は理解できない。

治療することもできない。

肩代わりすることもできない。


あなたに見えている景色

あなたに聴こえている声や音

あなたが感じている痛みや苦しみ


それらはあなたにとって間違いなくホンモノで。

それを否定することは、僕にはできない。


だけど。

もう一度問いかけたい。


人生は絶望か

自分にはなにもないのか

自分なんていらないのか

人生は痛い苦しいだけか

本当に生きる希望はないのか


人は必ず死ぬ。

しかも、自分の思い通りの死に方ができるとは限らない。

ならば、せめて「私の人生おもしろかった」と言いながら死にたい。

悲しい想いや憎しみを抱きながら死んでしまう人を減らしたい。

どうせ死ぬなら笑って死にたい。

そう思うから。


僕はおもしろがって生きたい。

そしておもしろがって生きる人を増やしたい。

あなたが無意味だ!無価値だ!なんて、そんなわけない。

そう示したい。



キモいかな。
ウザいかな。
めんどくさいかな。
勝手にしろよ!かな。
胡散臭いかな。


それでも僕は。

言い続けたい。

伝え続けたい。

こんな言葉や想い、僕みたいな存在を必要としてくれるあなたに。

届くまで。

何度も。

何度でも。

では。また。いつか。

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