言葉も思考もコミュニケーションも、連想から膨らんでいく。
どうも。伊田錦です。
昨日は、“連想言葉あそび”を失礼いたしました。(笑)
暇なとき(…といっても基本暇ですが。(笑))に遊んでメモしていたものを投稿してみました。
ホントこういうの好きなんですよね。
いまも、↑の“昨日は”の部分が“機能は”に連想されたところです。(笑)
さて。
そんな今日は。
連想つながりというわけではないですが。
ある記事を引用させていただきます。
昨日、ジセおじさんが投稿されたこの記事。
タイトルを見た瞬間に連想され、記事をフムフムと読み進めている間にも、僕の頭の中にはある曲が流れていました。
コブクロの『サイ(レ)ン』という楽曲です。
この曲はおおざっぱに言えば、スマホやSNSばかりに意識を向けるのではなく、リアルな人と人とのつながりを大切にしようよ!みたいな曲です。
(語彙力ないなぁ…(笑))
この曲のサビの部分に、
という歌詞があるのですが、“贈り合おう「時間」という究極のGIFTを”の部分と、
ジセおじさんの記事のタイトル、“時間の与え合い”という表現が僕の中でリンクしまして。
そこから、記事を読み終わるまで、僕の頭の中のコブクロが歌い続けていました。(笑)
連想ついでに話すと。
僕らは日常のなかで、“時間は大切だ!”とか“時間の使い方に気をつけよう!”とか“時間をムダにするな!”などのメッセージをよく耳にします。
「時は金なり」
「タイムマネジメント」
「タイパ」
また、「時間」にはこんな表現が付くことも。
時間を「与える」
時間を「贈る」
時間を「奪う」
時間を「失う」
時間が「余る」
いったい時間とはなんなのでしょうか。
それを考えるには、「時間」が足りませんね。(笑)
僕らはnoteで日々、自分で記事を書いたり、
誰かの記事を読んだりしています。
「せっかく読んでもらうんだから、読者の時間を奪わないようにしなきゃ。」
とか。
「どうせ読むなら、有益な記事がいい。ムダな時間を奪われたくないから。」
など。
思いながら、書いたり読んだりするのかもしれません。
(そうじゃない人もいるでしょうが。)
僕らは記事を書くことで。
相手の時間を奪っているのでしょうか。
僕らは記事を読むことで。
自分の時間を失っているのでしょうか。
もし、そうじゃない捉え方があるのだとしたら。
僕らは記事を書くことで。
相手に時間を贈っている。
僕らは記事を読むことで。
相手の時間を受け取っている。
のかも。
(なんか、よく分かんなくなってきた…(笑))
なんかこう、
効率よくするところと、時間をかけるところのバランスというか…。
ん?
ジセおじさんも【時間の使い方はバランスが大切】とおっしゃっていた!
いや、ホントそうだなって思います。
SNSしかり、AIが~とか、こう、なんだろう。
“面倒くさくないコミュニケーション”が主流になってきている気がして。
僕はコミュニケーションは本来、“面倒くさいもの”なんじゃないかと思っているんですね。
「言葉にしなきゃ伝わらない」
「言葉にしても伝わらない」
言葉足らずだったり…
むしろ言い過ぎたり…
便利だけど万能じゃなくって。
正直、面倒くさい。
でも、その面倒くささの中にこそ、
安っぽい言葉ですけど、【つながり】とか【絆】、【信頼】や【安心】が生まれるのではと思うのです。
人と向き合うって、もっと【じっくり】【ゆっくり】【ていねいに】重ねていくものなんじゃないですかね?
…なんて言いつつも、今日もラクで素早いコミュニケーションに流される伊田でした。(笑)
では。また。いつか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?