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第6章 スペイン

この記事は、外務省HPの「ハーグ条約関連資料」-「3 子の連れ去りに関する法制度について」-「子の連れ去りに関する各国法令の調査報告書」の「第6章 スペイン 京都大学教授 西谷祐子」を転記したものです。

Ⅰ.はじめに

 スペインは,大陸法系に属している。スペインは連邦制をとっており,私法関係については,州ごとに異なる制定法が並立している領域もあるが,刑事法については,基本的に統一的な連邦法によって規律されている。スペイン刑法典(Código Penal)の編纂は,1822年に遡り,フランス刑法典等を参照しながら制定されたという。その後,数次の改正を経たのち,1975年のフランコ独裁政権後の国王ホアン・カルロス1世主導による民主化の過程を経て,1995年に新立法として現行のスペイン刑法典が制定されている¹。この法典は,スペイン刑法学のみならず,大陸法系諸国の精緻な刑法理論を吸収して制定されたものと評価されている。その後も数次の改正を経ており,主要な改正点として,性暴力及びDVへの対応(1999年),テロ犯罪への対応(2000年),刑罰制度の見直し(2003年)のほか,軽罪(falta)の廃止及び犯罪(delito)への一元化(2015年)が挙げられる²。
 スペイン刑法においては,225bis条が児童奪取罪について定めている。以下では,筆者が入手し得 た限りでの文献を参考にしながら,スペイン法上の児童奪取罪について論じたうえで(Ⅱ),子奪取条約との関係についても考察することにしたい(Ⅲ)。なお,本報告書を執筆するにあたって,国際家族法の権威であり,実務にも造詣の深い優れた学者として知られるクリスティーナ・ゴンザレス=ベイル フス教授(バルセロナ大学)から貴重なご教示をいただいた。記して御礼申し上げる。

Ⅱ.スペイン刑法

1.総説

 スペイン刑法典225bis条は,児童奪取罪について定めている。この規定は,2002年12月10日組織法9号による刑法改正によって整備された新しい条文であり³,以下のように定めている。

スペイン刑法225bis条 児童奪取罪
1. 正当な理由なしに,自らの子を奪取した親は,2年以上4年以下の禁固,及び4年以上10年以下の親権行使権限の剥奪に処する。
2. 本条においては,以下の行為を奪取とする。
 ⑴ 子が通常一緒に暮らしている親,又は子の監護養育を委ねられている者や機関の同意を得ることなく,子をその居住地から連れ去ること。
 ⑵ 司法又は行政機関の決定によって定められた義務に著しく違反して,子を留置すること。
3. 子がスペイン国外に連れ去られた場合,又は子の返還に一定の条件が課される場合には,1項に定める刑罰は,その半分をさらに加重される。
4. 子を奪取した親が,奪取時から24時間以内に,他方の親もしくは監護権をもつ他の者に滞在場所を通知し,子を直ちに返還することを約束してそれを実行した場合,又は不在となる時間が24時間を超えないものと想定されていた場合には,処罰されない。
  子を奪取した後,15日以内に上記の届出をせずに子を返還した場合には,6月以上2年以下の拘禁に処される。
  この期間は,児童奪取罪の告訴があった時点から計算される。
5. 本条に定める刑罰は,前項までに規定する行為を行った子の直系尊属及び親の2親等以内の親族又は姻族にも同様に科される。

2.スペイン刑法225bis条の趣旨及び内容

⒜ 総説
 スペイン刑法225bis条の文言によれば,児童奪取罪の実行行為は,一方の親が,子が通常同居している他方の親や子を監護養育する者の同意を得ることなく,子を通常の居住地から連れ去り,司法もしくは行政機関の決定によって定められた義務に著しく違反して,子を留置することを意味する。これは,子の物理的な場所的移動を伴うこと,しかも一時的ではなく一定期間留置を継続する意図をもって行われた行為であることを前提とする(スペイン刑法225bis条4項参照)。スペイン刑法225bis条は,国内における児童奪取罪を規定するだけではなく,特にスペイン国外に子を連れ去る行為を重大なものと見たうえで,刑罰を加重している(同3項)。これは,国際的な子の連れ去りに対応するための準則である⁴。
⒝ 子の連れ去り及び留置
 スペイン刑法225bis条2項1・2号の文言によれば,「連れ去り」とは,同居親や監護者の同意を得ることなく子を居住地から連れ去ること,「留置」とは,司法又は行政機関の決定によって定められた義務に著しく違反して,子を引き留めることであると定義されている。つまり,両親が法的に別居もしくは離婚しているか,婚姻しているか,又は同居しているか等とは関係なく,子の居住場所において行使されている子に対する監護状態を侵害することを前提とする。
 他方,子奪取条約3条は,他方の親,監護権者その他の者又は機関がもつ「監護の権利」を基準としたうえで,監護の権利を侵害して不法に子を国外に連れ去ることを「連れ去り」,合法的に子を国外に連れて行った後,所定の期間が過ぎても子を返還しないために,監護の権利を侵害して不法に子を引き留めるに至ったことを「留置」と整理している。そこで,スペイン刑法 225bis条の概念とは相違する部分もあると解されている。
 第一に,スペイン刑法225bis条2項1号によれば,「連れ去り」には,同居親又は監護親の同意がないこと,また子が通常居住する場所から移動させられることが要件となっている。その限りでは,スペイン刑法も,連れ去り親が同居親又は監護親による監護状態を侵害することを要件とする。それゆえ,その限りでは,基本的に子奪取条約上の「監護の権利」の解釈と同様に,被侵害権利として,子の監護養育のための監護権のほか,居所指定権,(面会交流を確保するための)国外転居拒否権なども含まれると解されている⁵。他方,スペイン刑法225bis条2項1号には明文規定がないものの,2号と平仄を合わせて,事前に司法又は行政機関の決定によって相手方親に監護権が付与されていることを要件とするか否かについて解釈が分かれており,裁判例の多くは事前の司法又は行政機関の決定が必要であるとの限定的解釈に従っている⁶。
 第二に,スペイン刑法225bis条2項2号の「留置」は,事前に下された司法又は行政機関の決定に基づく義務に著しく違反する形で,一定期間継続して子を引き留めること又は返還しないことで,司法又は行政機関が決定した監護の形態を変更する又はかき乱すことを指す⁷。この場合には,同1号とは異なって,義務違反が「著しい」ものであることが要件とされている。これは,「刑罰の相当性の原則」(principio de proporcionalidad de la pena)に従い,離婚又は別居に伴う両親の対立から生ずる子の連れ去りをすべて処罰するのではなく,あくまで司法又は行政機関の決定があり,しかもそれに対する重大な違反があることを要件とする趣旨である。それゆえ,一方の親が一時的にのみ他方の親の監護権を侵害して子を引き留めている場合には,児童奪取罪は成立しない。そして,たとえば非同居親が,裁判所の決定に基づく面会交流の後,所定の期日に子を返還せずに引き留めており,子を継続的に監護する意図をもって同居を開始したような場合にのみ,重大な義務違反による留置の要件を充足し,児童奪取罪が成立すると解される⁸。
 以上のように,スペイン刑法225bis条2項1・2号における「連れ去り」及び「留置」の概念と, 子奪取条約3条の概念には一部齟齬があり,注意を要する。この点は,IV で詳述する。
⒞ 本罪の主体及び客体
 スペイン刑法225bis条の客体は,行為者自身の子である未成年の者である。つまり,18歳未満の子であれば対象となる。これは,子奪取条約においても,各国における拐取罪・奪取罪の動向を見ても,16歳未満の子だけを対象としており,16歳以上の子は十分な判断能力をもつことを理由に対象外としているのとは異なっている。 他方,スペイン刑法225bis条の主体は,子の親に限定されず,子の直系尊属及び親の2親等以内の親族及び姻族も含まれる(同1・5項)。スペイン法のように,子の親以外の近親者による子の奪取も明確に対象として処罰規定を置いている例は,比較法的に珍しいと思われる。
⒟ 抗弁事由
 スペイン刑法225bis条は,抗弁事由として二つ挙げている。
 第一に,スペイン刑法225bis条1項は,一般的な「正当化事由」(抗弁事由)が存しうることを前提とした文言であると解釈されうる。ただし,その射程については,学説及び裁判例の立場が分かれている。抗弁事由の存否は,個別事案に応じて慎重に判断する必要があり,その文言どおり広く解釈すると,子の連れ去りが広く正当化され,児童奪取罪の趣旨が没却されるおそれもある。それゆえ,スペイ ン刑法225bis条1項の正当化事由は,限定的に解釈すべきであると提案されている。そして,規定の趣旨に鑑みれば,子奪取条約上の返還拒否事由に該当するような事情であれば,第一義的に子の利益を尊重し,子の連れ去り行為を正当化するものと見てよいとされている⁹。そこで,たとえば父親が子を虐待しており,母親が子を安全な場所に連れて行くためにやむなく子の連れ去りに至ったような場合には,抗弁事由として認められると解される。
 第二に,抗弁事由として,子を奪取した親が奪取時から24時間以内に他方の親もしくは監護権をもつ他の者に滞在場所を通知し,子を直ちに返還することを約束してそれを実行したこと,又は不在となる時間が24時間を超えないものと想定されていたことを挙げている。この場合には,行為の悪性の 程度が低いために可罰的違法性が否定されるものと解され,行為者は処罰されない。他方,行為者が子を奪取した後,15日以内に上記の届出をしないまま子を返還した場合には,6月以上2年以下の拘禁に処され,減刑事由とされている(同4項)。
⒠ 処罰
 児童奪取罪が成立すれば,自らの子を奪取した親は,2年以上4年以下の禁固,及び4年以上10年以下の親権行使権限の剥奪に処される(スペイン刑法225bis条1項)。本罪が成立した場合の処罰の内容として,法定刑としての禁固を定めるだけではなく,同時に私法上の親権行使権限の剥奪を規定しているのは,スペイン法の特徴である。子の奪取が重大な帰結をもたらす場合には,刑が加重される。スペイン刑法225bis条3項によれば,第一に,子の奪取がスペイン国外への連れ去り又はスペイン国外での留置を目的としている場合に,第二に,子の返還に一定の条件が課される場合に,刑が加重され,いずれも法定刑の上限が1.5倍となる(同3項)。第一の国外への子の奪取について,刑を加重している理由としては,子どもの居住場所をスペインの領域外に移すと,スペインにおける元の居住地に戻ること又はそこでの再統合が著しく困難になることが挙げられている¹⁰。この場合に,たとえば一方の親が相手方親の同意を得て子を国外に連れて行った後,相手方親が前言を翻して子の奪取があったと主張した場合に,国外への奪取として刑 が加重されうるのか否かは不明である。立法論的には,子の転居に違法性がない場合には,抗弁事由として認めることを明記することが望ましいといえよう。また,父親が面会交流を目的として子を何度も外国に連れて行き,その都度,所定の期日までに子を返還しなかったために,児童奪取罪で 2 回処罰を受けた事件もあり,それを踏まえると,処罰の内容として,親権・監護権の剥奪だけではなく,面会交流権の剥奪も認めるべきであると指摘されている¹¹。

3.統計資料

 2013年から2017年の統計によれば,児童奪取罪によって処罰されている者の数は少なく,毎年父親が15~20名,母親が15~18名である。ただし,スペインでは,とりわけ国際的な子の奪取は頻繁に起こっていて問題となっており,毎年平均して140件ほどのアウトゴーイング事件が,125件ほどのインカミング事件があるという。欧州議会の調査によれば,EU域内で1600万の国際家族が存在しており,そのうち14万の家族で離婚がなされ,1,800件のEU域内での子の連れ去り又は留置が生じているという。このようにEU及びスペインにおいては,国際的な子の奪取への対応が重要な課題となっており,それとともに児童奪取罪による処罰のあり方も問われているといえよう¹²。

Ⅲ.子奪取条約との関係

 スペインは,前述のとおり連邦制をとっているが,子奪取条約の運用上,中央当局として指定されているのは,連邦司法省1つだけである。子の返還申立事件については,職分管轄及び土地管轄の集中がなされておらず,第一審裁判所,第一審少年裁判所,家庭裁判所,もしくは女性に対する暴力事件を扱う裁判所のいずれかに申立てをすることができる。担当裁判官には,家族法又は国際家族法等の専門知識は要求されておらず,広い範囲で様々な裁判官が子の返還申立事件を担当しているようである。スペインにおいて子の返還を申し立てるのは,LBP(転載者註 Left Behind Parent, 連れ去られた親)ではなく,中央当局である。子奪取条約においては,子の返還申立てがなされた後,6週間以内に第一審裁判所が返還決定又は却下決定を下すのが基本とされており,日本においてはかなり厳格に 6週間の審理モデルが守られているが¹³,スペインでは平均して12ヶ月以上かかっており,裁判手続の進行はかなり遅い方である¹⁴。子奪取条約との関係で,クリスティーナ・ゴンザレス=ベイルフス教授にご教示いただいたところによれば,親同士の子の奪い合いについて,刑事法によって処罰するのはよい方策ではないという。スペインは,子奪取条約の締約国であるほか,EU構成国としてブリュッセルIIbis規則¹⁵の適用も受けるが,いずれの法文書の適用上もスペインへの子の返還決定との関係で問題が生じているという。なぜなら,TP(転載者註 Taking Parent, 子を連れ去った親)が子をスペインから外国に連れ去った後,スペインに戻ろうとしても逮捕状が出されており,入国したとたんに身柄を拘束されるリスクを抱えるからである。スペイン法上は,TPが起訴されて刑事訴訟が開始されると,おそらくそれを中止する又は却下する手立てはないという。それゆえ,仮に外国 の裁判官がネットワーク裁判官を介して(又はスペイン中央当局の協力を得て),スペインの担当裁判官 に逮捕状の取消し又は刑事訴追の中止等を依頼し,TPと子が外国からスペインに安全に戻ることができるように手配しようとしても,法的には困難であると思われる¹⁶。また,同教授がスペインの裁判官から聞いたところでは,刑事訴訟と民事上の裁判手続を調整する手段がないために,子の連れ去りについて刑事訴追と監護裁判が並行して進行しうることとなり,問題が生じているという。
 上記のように,スペイン刑法225bis条にいう子の「連れ去り」及び「留置」の概念は,子奪取条約上の概念よりも狭いため,両者の齟齬が問題となる場面もありえ,この点はスペインの学説によって批判されている¹⁷。もっとも,国内法上の子の連れ去り又は留置に対する刑事制裁を目的とするスペイン刑法225bis条と,国際法文書として,国境を越えて連れ去り又は留置されている子の迅速な元の常居所地国への返還を目的とする子奪取条約は,法規の趣旨及び目的を異にしており,両者に相違点があるのは致し方ないと思われる。特にスペイン刑法225bis条の児童奪取罪は,家族間の争いから生じた子の連れ去りについて,国家が介入し,TPに対して刑事責任を科すものであり,罪刑法定主義及び刑罰の相当性の原則に照らして,児童奪取罪の成立要件を厳格に解釈することには合理性がある。それに対して,子奪取条約に基づく子の返還は,あくまでTPが自己に有利になるような監護裁判の法廷地を作出できないようにし,元の常居所地国の当局による監護裁判を受けるために子を送り返すことを意味し,監護裁判の帰趨次第で,TP及びLBPのいずれが監護権を取得するかが決まる。それゆえ,子奪取条約上の 返還メカニズムは,広く適用することに合理性がある。このような考え方は,一般に子奪取条約の締約国においても受け入れられており,2010年の米国最高裁Abbott事件判決¹⁸などを通じて,「監護の権利」概念に関する拡大解釈が各国で受容されてきたことにも表れているといえよう。
 ゴンザレス・ベイルフス教授によれば,スペインでは,TPが子をスペインから外国に連れ去り又は外国において留置しており,外国にとどまっている場合に,刑事訴追することの利点として,外国国家に対して司法共助に基づく逃亡犯罪人引渡し(extradition)を求めることができる点が挙げられている。しかし,現実には,逃亡犯罪人引渡しによってスペインに返還されうるのは,TPだけであり,必ずしも子が返還されるわけではなく,やはり通常は役に立たないという。また,ゴンザレス・ベイルフス教授の意見では,子の連れ去りに関する処罰規定を置くことで予防効果があるのか否かについては,疑問であるという。なぜなら,親による子の連れ去りは,感情的な高 ぶりや絶望感から行われることが多く,TPが本当にそのような状況において自らの連れ去り行為の帰結まで理性的に考え,判断できるとはなかなか思われないからである。

Ⅳ.おわりに

 スペイン刑法225bis条は,親による子の奪取について詳細な処罰規定を置くとともに,抗弁事由又 は減刑・加重事由を明確にしており,比較法的にも興味深い立法例である。ただし,豪州及びニュージ ーランドを始め,各国において指摘されているように,親同士による子の奪い合いにおいて親に対して刑事訴追をすることには慎重であるべきであり,できる限り当事者間の話し合いで,それができない場合には,私法上の監護裁判に基づく子の引渡決定及びその強制執行によって,争いを解決することが望ましい。その点において,スペイン刑法225bis条は,抗弁事由及び減刑・加重事由を明確に定めてはいるが,その射程は狭いうえ,2年以上4年以下の禁固及び4年以上10年以下の親権行使権限の剥奪という法定刑は,かなり重いものであると思われる。今後,日本において,子の連れ去りに関する処罰のあり方を考察する際には,筆者がインタビューした学者及び実務家が例外なく述べているように,刑事法による処罰の問題点を踏まえたうえで,その功罪について慎重に検討することが望ましいといえよう。

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