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第2章 イギリス

この記事は、外務省HPの「ハーグ条約関連資料」-「3 子の連れ去りに関する法制度について」-「子の連れ去りに関する各国法令の調査報告書」の「第2章 イギリス 東京大学教授 樋口亮介」を転記したものです。

1.はじめに

 イギリス1の1984年児童奪取法(Child Abduction Act 1984)(以下、84年法)1 条は、親が16歳未満の児童をイギリス国外に連れ去る場合に限って処罰する旨を定めており、親による児童の連れ去りに関する処罰範囲を立法によって明らかにしている。一方、同法2条は、第三者による16歳未満の児童の連れ去りについて、国内外問わず処罰対象にしている。
 一方、連れ去られる客体の年齢を問わず、他人を連れ去る行為について、コモンロー上の拐取罪(Kidnapping)による処罰も可能である。そして、84年法の成立と同年に登場した1984年の R v. D [1984] 1 A. C. 778(以下、D事件貴族院判決)によって、国内における親による児童の連れ去りについて拐取罪の成立が認められている。
 このように、イギリスにおいては、児童の連れ去りに対する処罰の基本的な枠組みとして84年法上の罪と拐取罪が並存している。
 以下では、拐取罪及び84年法上の罪を概観し、整理を行う。その上で、家族への刑法の介入という観点から親よりも視野を拡げ、家族による児童の連れ去りの処罰という観点から、イギリスの現在の状況を紹介する²³。そして、以上の紹介を踏まえて、イギリス法について若干の整理を行う⁴。

2.拐取罪・84年法上の罪の概観

 家族による児童の連れ去りに対する処罰のあり方を紹介する前提として、各罪の要件と議論状況を概観する。その上で、各罪の整理を行う。

⑴ 拐取罪

⒜ D事件貴族院判決が示した4要件
 D事件貴族院判決は、拐取罪の成立要件について、①他人の連れ去り又は運び去り⁵が、②実力⁶又は欺罔によるものであり、③連れ去り又は運び去られる者の同意がなく⁷、④法律上の不処罰事由もないことと定式化した⁸。
⒝ 自由剥奪(deprivation of liberty)という要素
 2004年・2007年に特異な事案を扱った 2つの判例を通じて、D事件貴族院判決が示した4要件 に加えて、自由剥奪という要素をめぐって議論がなされている。
 (ⅰ) 2つの判決
 R v. Cort [2004] QB 388; [2004] Crim. L. R. 64 は、被告人が女性とドライブしたいという理由で、バスが来ないと虚偽を述べて、女性を目的地まで送り届けたという事案について、欺罔による連れ去りはD事件の要件を充足するとして拐取罪を認めた。その際には、D事件貴族院判決の4要件の充足が論じられるにとどまった。これに対して、Hendy-Freegard [2007] EWCA Crim 1236 は、被告人が自身はMI5の諜報員であり、被害者はテロリストに狙われているとの虚偽を告知し、旅に出発させたという事案について、自由剥奪を欠くとして拐取罪を否定した。
 (ⅱ) 法律委員会による提案
 法律委員会は、2011年の諮問書において、自由剥奪を拐取罪の結果要件とする点で Hendy-Freegard 事件が正当としつつ、自由剥奪の内容を明らかにすることを試みた9。
 そして、2014年の報告書において、移動の自由を制限する監禁罪との相違として、被害者を同行させることで物のように扱うという自律性の侵害、移動による恐怖の増大、同行による危険と不安の増大に拐取罪の本質を求めた¹⁰。そして、当該本質に根ざす形で要件を規定した新規立法として、実力行使によって同行させる形で連れ去ることを処罰要件とすることを提案した¹¹。
 もっとも、現時点では、法律委員会の提案に対して政府側からの反応は見受けられない。

⑵ 84年法上の罪の要件

⒜ 84年法1条
 1条1-3項は、①16歳未満の児童と一定の関係性を有する者について、②児童に対して権限を有する者全員による同意¹²、又は裁判所の許可のない、③イギリス国外への連れ去り又は送付¹³を処罰している¹⁴。
 (ⅰ) 民事法と連動する改正
 1条の規定の特徴として、①児童との関係性、及び、②児童がイギリス国外に出ることへの同意権限について詳細に定められており、民事法の改正と連動する形で改正が繰り返されていることが挙げられる¹⁵。
 ①児童との関係性を有する者を定める1条2項についてみると、1984年の立法時点においては、親、後見人、裁判所の命令による監護者、非嫡出子の場合には合理的に父親と信じている者が列挙されていた¹⁶。現在では、⒜親、⒝出生時に両親が未婚の場合又はシビルパートナーである場合17に、父親と信じる合理的根拠が存在する者、⒞後見人、(ca)特別後見人、⒟子に関する取り決め決定で同居を指定された者、⒠監護者が列挙されている。
 ②同意権限を定める 1条3項についてみると、1984年の立法時点においては⒜(i)親、後見人、(ii)裁判所の命令による監護者については同意権者全員の同意、監護命令の対象になっている児童については裁判所の許可、又は 1971年未成年者後見法7条命令若しくは1973年後見法1条3項 の申立てに基づく裁判所の許可が挙げられていた。現在では、⒜(i)母親、(ii)親責任を有する父親、(iii)後見人、(iiia)特別後見人、(iv)子に関する取り決め決定で同居を指定された者、(v)監護者につ いては同意権者全員の同意、⒝1989年児童法第2部の規定による裁判所の命令、又は⒞監護者がいる場合には、監護を付与した裁判所の命令が挙げられている。
 (ⅱ) 抗弁
 1条4項・5項において、同意がない場合の抗弁が定められている。このうち、同意権者による不合理な拒絶を抗弁とする5条⒞について、立法段階において、フランスに1日旅行に行くような事案を念頭に置いており、家族生活に刑法が過剰な負担を課してはならない、との説明がなされていた¹⁸。
 84年法の規定以外に、児童に対する虐待を理由にするといった形で緊急避難が認められるかについて、R v. CS [2012] EWCA Crim 389 は否定している。その理由として、84年法1条は、児童の最善の利益になる取り決めを行う裁判所の究極的地位を前提としており、国内にいれば裁判所の命令の執行は容易であって1条はそのような法的スキームを補強するものであることが挙げられている。1条は国内における連れ去りは処罰しておらず、裁判所の管轄外への連れ去りを処罰しており、緊急避難の抗弁を認めないことがスキームの一部である、と判示している。さらに、仮に、緊急避難の適用があるとしても事案との関係で緊急避難の要件が充足されないことは明らかであるとも判示されている¹⁹。
⒝ 84年法2条
 2条は、1条で規定された主体以外の者が、①法律上の権限又は合理的な不処罰事由²⁰(reasonable excuse)なく、②⒜児童に対する法律上の監督を排除するか²¹、⒝法律上の監督を有する者の監督が及ばないようにし続けるように(so as to)²²、③16歳未満²³の児童を④連れ去り²⁴、又は留置す る²⁵行為²⁶を犯罪としている。
 連れ去られる児童の意思は、犯罪の成立要件に影響しない。例えば、A [2000] 1 Cr. App. R. 418 は、15歳の少女が38歳の男性と望んでロンドンに車で向かうような場合、児童の同行に行為者が原因を与えていれば「連れ去り」に該当すると判示している。また、R v. X [2010] EWCA Crim 2367 は、母親と仲が悪い13歳の少女が、売春婦である被告人と被告人の自宅及び道路で一緒にいたという事案で、児童が親元に帰るつもりがなくても、「連れ去り」に該当するとともに、「法律上の監督が及ばないようにし続けている」といえると判示している。

⑶ 各罪の整理

 ここまでの紹介に刑罰も加えて、各罪を表に整理すると以下のとおりである。

⒜ 保護利益の要件への反映
 立法過程において、84年法は親などの権利を保護する一方、拐取罪は被拐取者の自由を保護するという形で、保護利益が異なる、と指摘されていた²⁸。
 このような保護利益の相違は、要件にも反映されている。すなわち、被拐取者の自由を保護する拐取罪においては、被拐取者の同意が問題になる²⁹。一方、84年法上の罪においては、親などの同意権者の同意が問題とされ、保護される客体である児童の意思は犯罪の成否を左右しない。
⒝ 親による児童の連れ去り
 立法過程において、親による児童の連れ去りについて刑法は介入しないものの、イギリスの管轄が及ばなくなる場合には刑法の介入が必要、と説明されていた³⁰。84年法1条が、国外への連れ去りに親の処罰を限定しているのは、この立法趣旨を反映したものである。 これに対して、拐取罪については、親による児童の連れ去りがいかなる事案で処罰されるのか明らかではない。D事件貴族院判決において、悪質な事案についてのみ訴追すべきとの指針が示され、84年法5条により16歳未満の児童の拐取については検察局長の同意が訴追に必要と規定されるにとどまっている。

3.家族による児童の連れ去りの処罰に関する現在の状況

 ここでは、拐取罪と84年法上の罪の趣旨と要件の概観を踏まえ、家族による児童の連れ去りに焦点を合わせてイギリスの近時の議論状況を紹介する。 以下では、時系列で1984年以降の議論の展開を追った上で、2014年の法律委員会の提案、2016年に提示された84年法の量刑の一般指針を紹介する。さらに、イギリスで明示的に整理されていないものの、我が国からみて関心を惹く84年法による家族の処罰のあり方についても紹介を行う。

⑴ 1984年以降の議論の展開

 裁判所は、1990年にいったん、親による児童の連れ去りに対する拐取罪の適用に消極的態度を示したものの、2011年に拐取罪の適用に対する消極的態度を否定すると共に、84年法による重罰を正当とする Kayani and Solliman [2011] EWCA Crim 2871(以下、Kayani 事件)が登場した。そこ で、この流れを紹介した上で、議論の時系列に沿った展開を表で確認する。 ⒜ 拐取罪の親への適用に対する消極的態度
 1984年のD貴族院判決において、悪質な事案について拐取罪を訴追してよいと判示されたものの、実際に、いかなる範囲で訴追すべきかは明らかでなかった³¹。
 その後、C [1991] 2 F. L. R. 252 は、父親が9歳の息子をアメリカに連れて行き、イギリスに戻らなかった行為について拐取罪と84年法1 条の両方で訴追されたという事案において、傍論で、被告人の行為は84年法1条によって包摂できるのであって専ら84年法1条が使用されるべきであると指摘し、今後、拐取罪による訴追をおよそ避けるべき、との一般論が展開された³²。この一般論を批判し、親による児童の連れ去りの重大性を論じたのが 2011年の Kayani 事件である。
⒝ Kayani 事件
【事案】
 Kayani 事件は2つの事件について併せて判断が下されたものである。
 1つ目の事件の被告人は Kayani である。父親である Kayani は、裁判所によって母親から2人の息子を移動させることが禁止され、面会交流中には自身のパスポートを母親に預けることが条件とされていた。それにもかかわらず、Kayani はパスポートの紛失を偽装して新たなパスポートを入手し、息子を2人ともパキスタンに2000年に連れ去った。連れ去りの期間は2009年まで続き、5歳と4歳の息子は15歳と13歳になっていた。その後、2人とも母親と会うことはなく、17歳・16歳になっているが母親との面会を拒絶しているという事件である。原審において Kayani は有罪答弁によって5年の実刑を言い渡されている。
 2つ目の事件の被告人は Solliman である。Solliman と妻の関係が悪化し、家庭裁判所による手続きが開始しており、3人の実子が国外に連れ出されることのないように種々の命令が出されていた。それにもかかわらず、Solliman は偽名でパスポートを入手し、3名の実子をエジプトに2002年に連れ去った。2010年に Solliman は逮捕され、原審において早期の有罪答弁が斟酌されて3年の実刑が言い渡されている。
 Kayani 事件の争点は Kayani と Solliman に対する量刑が重過ぎないかという問題であったが、 Judge 首席裁判官は、量刑を論じる前の一般論として、拐取罪による親の訴追に対する消極的態度を否定するとともに、84年法の法定刑の引き上げの提言を行った。その上で、Kayani に対する5年、Solliman に対する3年の実刑を正当とした。
【判示】
 (ⅰ)  一般論:親の拐取罪による訴追の消極態度の否定と 84 年法の法定刑の引き上げの提言
 Judge 首席裁判官は、児童の連れ去りについてハーグ条約の非加盟国に連れ去られた場合には児童の連れ戻しが困難であることを指摘する³³。そして、児童奪取の重大事案は拐取罪と類似するものの、拐取罪は無期刑まで可能であるのに対して、児童奪取罪の法定刑の上限が7年であって、大きな差異があるのは非論理的と思われる、と述べる³⁴。その上で、親子関係の断絶のおそれと、 強制結婚問題に鑑みると、親を拐取罪で訴追することを常に不当とみる理由はなく、C事件の判示は不当であって先例性はもはやない、と判示した³⁵。
 もっとも、Judge 首席裁判官は、拐取罪の要件が混乱気味であること、児童に対する実力又は欺罔という要件が充足されることはなさそうなこと、実力又は欺罔及び児童の不同意の立証には児童に対する尋問が必要という問題があることを挙げて、拐取罪の改正について提言を行うかは法律委員会に検討を委ねるとした³⁶。その上で、児童奪取罪の法定刑上限である7年を超える事案があるとして、法定刑の引き上げが行われるべき、との勧告を行った³⁷。
 (ⅱ) Kayani に対する5年・Solliman に対する3年の実刑の是認
 Judge 首席裁判官は、84年法の量刑に関する先例を列挙した上で、愛する片方の親によって犯された場合であっても重大犯罪であって、抑止が重要な要素であると指摘する³⁸。さらに、Kayani の弁護人が、量刑が児童に与える影響は家庭生活の尊重に対する権利を認めるヨーロッパ人権条約8条に違反すると主張し³⁹、Solliman の弁護人が、児童には父親による世話が必要であると主張した点⁴⁰に対して、Judge 首席裁判官は、一般的な量刑の局面において、児童の利益を考慮しても実刑選択は不適切ではないことを指摘する。そして、84年法上の犯罪を特別扱いする理由はないとし、児童が被害側の親との関係性を希望せず、行き場がなくなることは、拉致から生じるさらなる被害といえる、と述べる⁴¹。
 その上で、母親が受けた重大な感情的苦痛、児童は気づいていないとしても人生の基礎が奪われていること、長期にわたる拉致の期間、母親との関係性が修復不能であること、母親の被害は一生にわたることに鑑みると、父親を実刑に科すことで生じる児童への影響を考慮しても、児童福祉が害されるのは、父親の行動の直接的帰結であるとして、減軽は正当化されない、と論じる⁴²。
⒞ Kayani 事件後の議論状況の概観
 1984年以降の家族による児童の連れ去りの処罰に関する主な出来事について、Kayani 事件以降も含めて時系列に沿って図にすると、以下のとおりである。
【現在の議論状況に至る主な出来事】

 以下では、⑵において、2014年の法律委員会の報告書のうち、親による児童の連れ去りに関わる議論を紹介し、⑶において、84年法の量刑の一般的指針を提示した2016年の RH and LA [2016] EWCA Crim 1754(以下、RH事件)を紹介する。

⑵ 2014年法律委員会報告書

⒜ 親の拐取罪による訴追
 Kayani 事件において拐取罪による訴追の消極性という問題が指摘されたことを受けて、親などによる16歳未満の児童の拐取の訴追について検察局長の同意を要求する84年法5条を削除すべきかが問題とされた⁴³。しかし、この条文は、刑事手続きではなく家族によって解決されるべき事件について私人訴追がなされることを防ぐための規定であって、有意義な規定であるため、削除すべきでないとされた⁴⁴。
 その上で、変更されるべきは実務上の訴追基準であり、Kayani 事件を受けて変化するであろうとの指摘がなされた⁴⁵。
 もっとも、現在のイギリス検察庁(Crown Prosecution Service)のガイダンスにおいて、拐取罪による親の訴追について明示で取り上げられておらず⁴⁶、親に対する拐取罪が訴追される範囲は不分明なままである。
⒝ 84年法改正の立法提案
 法律委員会は84年法について、①法定刑を7年から14年に引き上げること、②1条の罪について連れ去りだけでなく、留置も規定することを提案した。法律委員会の提案に対して、現在のところ政府は反応を見せていないものの、この 2 点の提案理由を紹介する。
 (ⅰ)  法定刑の引き上げ
 Kayani 事件を受けて、法律委員会は、児童奪取には、もう片方の親及び家族の感情に対する侵害、連れ去り及び留置による児童のトラウマ、確立された関係からの隔絶という害悪が存在する ことを理由として、法定刑を7年から14年に引き上げる立法提案を行っている⁴⁷。
 (ⅱ)  留置の犯罪化
 84年法の立法過程においては、いったん適法にイギリス国外に連れて行った後、外国に留置する行為について処罰対象外と説明されていた⁴⁸。84年法1条の解釈として、R (Nicolaou) v Redbridge Magistrates' Court [2012] EWHC 1647 (Admin)は同様の立場を採用している⁴⁹。
 これに対して、法律委員会は、家族生活についても深刻な害悪を防止するために必要であれば刑法を使用することに対して国会は1984年時点から積極的になっていることを指摘した上で⁵⁰、 連れ去りと同様、違法な留置は管轄外に児童を置くことで民事裁判所の手続きを妨害するとして⁵¹、国外における違法な留置きの犯罪化を提案している。

⑶ 84年法における量刑のあり方

⒜ RH事件における量刑指針の提示
 2016年にRH事件において、84年法1条及び2条の量刑の一般的指針が示されるに至った。そこで、以下では、RH事件の事案と判旨を紹介する。
【事案】
 RH事件は、2つの事件について併せて判断が下されたものである。
 1つ目は、海外への移住が裁判所によって禁止されているにもかかわらず、8歳の娘を連れてキプロスに向かった母親RHに84年法1条に基づいて実刑を言い渡すことが相当であるかが問題に なった事件である。
 2つ目は、父親の元にいる12歳のBをBの母親と共に車に乗せて連れ去った祖父LAについて84年法2条に基づいて言い渡された2年6月の実刑が重過ぎないかが問題になった事件である⁵²。
【判旨】
 (ⅰ)  刑期の目安
 Treacy 判事は、害悪及び非難の程度による重大性が量刑の基礎に置かれるとの基本理解を示すとともに、Kayani 事件で示されたように、抑止の観点も正当に考慮されると判示する⁵³。そして、重大事案については5~7年⁵⁴、軽微事案は家裁における侮辱手続きで扱われるが刑事裁判においては高度のコミュニティー命令から18月の間、中間事案については18月~5年との指針を提示する⁵⁵。
 (ⅱ)  重大性・軽微性を基礎づける諸事情
 Treacy 判事は、量刑の重大性、軽微性を基礎づける諸事情を列挙し、中間事案はその組み合わせによって判断される旨を判示している⁵⁶。その判示のうち、①重大性、②軽微性を基礎づける事情として挙げられているのは以下のものである。
①重大事案における重大な害悪は、連れ去りが長期間であること、児童への深刻な影響、親・兄 弟その他の関係者との愛情関係の切断に認められる。  重大な非難は、連れ去った場所の不開示の継続、洗練された計画性、裁判所の命令違反又は裁判所の手続きの無視、児童と関係者の関係性を切断する意図、犯罪目的による奪取(性的目的、女性器の割礼、強制結婚)に認められる。
②軽微事案における害悪の小ささは、連れ去りが短期間であること、児童への影響が最小限度であること、児童と愛情を有する者の関係への影響が最小限度である場合に認められる。
 非難の低さは、連れ去りが衝動的であること、当局による有効な措置が取れるように、連れ去った場所を直ちに開示する場合に認められる。
 (ⅲ) その他の量刑上の考慮事情
 Treacy 判事は、その他の加重事情として、被告人の従前の悪性格、児童に対して害悪を与える危険性、児童の脆弱性、複数名の関与、重大な実力行使、ハーグ条約の非加盟国への連れ去り、児童が従前関係性を持たない場所への連れ去りを挙げる。また、2条の適用事案については、イギ リス国外への連れ去りも加重事情とする⁵⁷。
 その他の軽減事情として、監護を奪われた成人との接触が迅速に行われたこと、裁判所の命令遵守、当局との協力を挙げている。
 さらに、連れ去られた児童の唯一の監護者が犯人である場合、量刑が児童に与える影響を考慮することが裁判所には可能である。これは児童の利益を考慮する必要性から生じる問題である⁵⁸。
⒝ 児童に与える悪影響を考慮した実刑回避の当否
 RH事件で挙げられた量刑上の考慮事情のうち、従前の判例との関係で目を惹くのが、量刑において唯一の監護者に実刑を科すことが児童に与える(悪)影響の考慮が裁判所に可能になっている点である。この点、従前の判例においては異なる方向性が見受けられる。
 前述したように、Kayani 事件においては、父親を実刑に科すことから児童に害悪が生じるとしても、量刑を軽減する理由にならないと判示されている⁵⁹。また、抑止の観点を実刑選択の基礎づけとし、祖母及び母親に実刑を科す判例も見受けられる⁶⁰。
 これに対して、Dryden-Hall [1997] 2 Cr. App. R. (S.) 235 は、うつ病に罹患した母親が2人の子どもを計画的にカナダに連れ去り、その期間は21ヶ月にわたったという事案において、母親の行動で傷つけられた子どもらは母親が刑務所にいることでさらに傷つけられる(damaged)ことを指摘し⁶¹、児童の利益と犯行重大性を強調する必要性のバランスから、9月の実刑を認めた原審判断を破棄して数日で出所可能な4月に量刑を改めている。
 84年法1条は、児童に与えられる悪影響を防止するという目的を有するにもかかわらず、親に実刑を科すことでさらに児童に悪影響が生じるという問題について、いかなる態度をとるかについてはイギリスにおいて一義的な解決がなされているわけではないようである。

⑷ 84年法による家族の処罰範囲

 イギリスにおいて明示的に整理されているわけではないものの、家族による児童の連れ去りに対する刑法の介入という観点から、84年法が問題になった判例の事案を通覧すると、以下の3点が目を惹く。
①84年法1条による両親の処罰
 84年法1条は、親同士による児童の奪い合いだけでなく、両親と地方当局が児童をめぐって争う事案にも適用されている⁶²。
 親に対する刑法の介入という観点からみると、親同士の争いと両親と地方当局間の争いに同一 の条文が適用されている点が目を惹くところである。
②84年法2条による親以外の家族の処罰
 84年法が1条で特別扱いするのは親や後見人などであり、親以外の家族については全くの第三者と同様の扱いがなされているため、国内における連れ去りでも処罰対象になる。例えば、RH事件においては、祖父が孫を国内で連れ去った行為について84年法2条を適用している。ただし、連れ去る先が国外でなかったことは量刑上の有利事情とされている⁶³。
 家族による児童の連れ去りという観点からみると、親と親以外の家族で取扱いが著しく異なる点が目を惹く。
③84年法2条に対する共犯者である親の処罰
 84年法の立法時点において、親以外の第三者による連れ去りの実行に2 条が成立する場合、親に2条の共犯が成立するとの指摘がなされていた⁶⁴。この指摘が妥当するのが、R v. JA [2001] EWCA Crim 1974 である。本件においては、地方当局が監護する児童について、祖母がアイルランドに連れ出し、その後スコットランドに戻って留置していた事案であり、祖母の留置に対する共犯として両親が処罰されている。
 親に対する刑法の介入の謙抑性という観点からみると、第三者による国内での留置に親が共犯的に関与している場合、2条の共犯として刑法が介入してよいのかについては検討の余地があるように思われる。

4.イギリス法のまとめ

 イギリスにおいては、親などの同意権者の権限を保護する84年法と、被拐取者の自由を保護する拐取罪が存在し、各罪の趣旨に合わせて要件が規定されている。
 さらに、84年法については、量刑の一般的な指針において、児童への影響・関係者との愛情関係の切断が重大性を基礎づける、との判示がなされている。この判示と84年法の保護対象として親などの権限が挙げられていることの関係について、イギリスにおいて明示的に論じられてはいない。しかし、理論的に考えると、親などの同意権限の保護は、児童への(悪)影響の防止と愛情関係の保護に結びつくもの、との理解も可能であろう。
 さらに、家族生活への刑法の介入を限定するという視点から、84年法1条は親による児童の連れ去りについては海外への連れ去りのみを処罰し、訴追には検察局長の同意が必要と規定されている。また、拐取罪については重大事案に訴追を限定すべきと解されており、84年法1条同様、訴追には検察局長の同意が必要と規定されている。
 以上をまとめると、保護法益に合わせて要件を設定するとともに、親の処罰については刑法の介入の限定という政策的配慮に基づいて処罰範囲を限定し、訴追についても検察局長の同意を求めるというのがイギリスの基本的枠組みといえる。近時の議論においては、親による児童の連れ去りについて処罰範囲・法定刑・量刑全般にわたって積極的な議論が現れているものの、この基本枠組み自体には変更はないといえる。

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