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終演のギニョール・マギカ

 魔力が、疾走はしった。白金と賢者石で出来た疑似神経系が励起され、アクチュエータを経由して、全長九メートルの巨体を震わせる。
 魔導依代ギニョール・マギカと呼ばれる、それは兵器であった。帝国軍が世界に冠たる存在として、長きに渡りこの世界コンステレーションズに君臨出来た理由でもある。魔導師を動力源・操縦士として用いる魔導依代ギニョール・マギカをまともに運用できるのは、魔導発祥の地たる帝国を於いて他に存在し得なかった。
 固定アンカーを引き千切り、今まさに起動したこの依代は、『こう式』と呼ばれているタイプだ。魔導師が注ぎ込んだ魔力は機体内に無数ある抽象門へ入り、増幅され全身を巡る──即ち、第三種永久機関。全体のシルエットは、地獄の餓鬼にプレートメイルを押し着せたような姿だ。
 あらゆる感覚が増幅される。漆黒の機体表面を走る金色の超稠密な紋様──リヒテンベルク魔導図形が外界の様子を操縦士である私へと逐一転写する。頭部の拡張視界術式が点火し、『眼』から一瞬金色の炎を吹き上げた。
 私の網膜に直接投映された光景は、ここ半年程ですっかりお馴染みとなった物だった。
 地を、天を覆い尽くす『勇者』軍の無人機械ども。全方位からターゲティングレーザーが恒式をポイントする。電・磁・重・音・熱・光・魔・咒・想・念。あらゆる方式で奴らは『吠えて』いた。獲物を前にした肉食獣の如く、昂ぶっていた。命持たぬ機械の癖に、何故かそうだろうという確信が私にはあった。
 実際、奴らの所業は獣のそれだった。かつて『北の百合』と称され讃えられた帝都は、三週間前に勇者軍の飽和熱核爆撃により滅んだ。ドローンが村々を焼き払った。自爆妖精が赤子から家畜に至るまで爆ぜ殺した。
 私の愛する祖国は、ヴ・アル・シャト魔導帝国は、帝国以外の全ての国の連合軍により滅ぼされようとしていた。否、もう滅んだ、と言って良いだろう。唯一にして絶対なる皇帝陛下は『魔王』と蔑称され、核攻撃で出来た塩のクレーターの只中で『勇者』に討ち果たされた。
 私は、亡国の残党だ。
 だが、たかが一兵士を──魔導依代を持っているとはいえ──ここまでの大軍で包囲するほど、勇者軍も暇ではないし一枚岩でもないはずだ。客人セトラーが持ち込んだ異常なまでに発達した技術、過学シンエンスで以て帝国を打倒した彼らは既に戦後の利権を巡り対立しているとの噂も聞く。
 彼らが私を追っている理由。それはこの恒式の“第二”魔力炉と化している存在にあった。
「──姫様」
 私の呼びかけに、応えはない。皇帝陛下が身罷ったあの日以来、ヴ・アル・シャト魔導帝国の第二皇位継承権保持者、アルゲティ・ラ・アル・シャト殿下は深い昏睡状態にある。しかし生命反応と魔導反応は正常な物であり、魔導依代に接続している限り、生命維持には支障がない。
「──っ!」
 私のそれ以上の思惟は、勇者軍の一斉射撃により中断された。自動防護術式が働き、八十八星の加護を帯びた魔法陣が、無数の榴弾やレーザーを機体へ届く前に捻じ曲げ、粉砕する。だが飽和攻撃こそが勇者軍の最も得意とする戦法であり、防護術式の稼働率はあっという間に200%を突破した。
 私は魔導依代ギニョール・マギカの右腕を振る。手首から射出された棒がバシャッという音と共に展開し伸長する。勇者軍の歩兵が用いる狙撃銃にも似た其れは、魔法使いの杖アロン・クシュロンだ。
 呪倉から魔法が杖へと流れ込む。選択呪文は客星ノヴァ。戦略級広域殲滅魔導術式。
 アロン・クシュロンの先端が加熱し、黒体放射により地上に墜ちた星の如く眩く輝く。そして、発射。単体で発生させる熱量としては全魔法中最大。勇者軍の用いる核分裂兵器にすら匹敵する。物量で攻めてくる勇者軍相手に多用された魔法だが、周囲への甚大な余波と、発射後のクールダウンが長いのが玉に瑕だ。
 いつもならば客星ノヴァで撃ち漏らした敵を各個撃破して戦いは終わる。
 だが。
「あ、ああ……あああ!!」
 戦いの最中だというのに、思わず呻吟が漏れた。勇者軍は──無傷だった。
 理由は一目瞭然だ。最前面に並んでいる、奇妙な螺旋撥条状器官を満載したドローンの群れ。そいつらが展開する八十八星の加護を帯びた魔法陣・・・・・・・・・・・・・・
 魔導とは、我ら帝国人──勇者軍がいうところの魔族──の血筋の者しか扱えない、崇高で偉大なる御業であった。……今日、此の時までは。
 無人機どもが、意志持たぬ獣たちが勝鬨を上げている。吼え猛る砲声が殺到し、私と姫殿下を屑肉に変える。
 だがその瞬間は訪れなかった。
「な、何が……!?」
 勇者軍の攻撃は、その悉くが、斬り払われていた・・・・・・・・。砲弾は言うに及ばず、光線や熱線などの不可視で実体すらないはずの攻撃、その全てが切り刻まれ、打ち捨てられいた。
 私と勇者軍の間。死線。寸前まで何者も存在していなかったし、存在できるはずの無い場所。
 そこに、奇妙な風体の男が立っていた。
 ああ、と私は嘆息する。
 一目で分かった。「あれ』はそういう存在だ。
 包囲下の帝都からの脱出。殿下を守りながらの逃避行。私は勘違いをしていた。自分が、物語の主役になったと思い上がっていた。
 違うのだ。『主人公』という存在は。
 ただ其処に在るだけで他を圧し、他の全てを脇に追いやるものなのだ。

 その時まで、彼に自我と呼べるものは存在しなかった。過学シンエンスによって『製造』された、生ける決戦兵器。『命あるものにしか殺せない』という魔王の神話防護術式を破るためだけに生み出された存在。
 空っぽの、勇者。
 生まれてすぐに魔王を倒し、後の生には何の意味も付与されていない亜人間。それが彼だった。
 勇者軍が彼を捕縛しなかったのは、核攻撃による汚染に魔導汚染まで発生した帝都に立ち入る事が不可能だったからだ。どちらにしろ命の長さ運用寿命は一年未満に設定されていたからでもある。『勇者は魔王との戦いで行方不明になった』。それが誰にとっても最も都合のいい終わりベストエンディングだったのだ。
 そのはずだった。
 彼は考え続けていた。戦闘以外の事を思考するという行為自体が仕様に反した行動だったが、彼がそれを気にすることはなかった。
 彼が生まれて初めて殺した相手、『魔王』の最後の言葉について、彼はずっと考え続けていたのだった。
 帝都を離れ、彷徨った。一見無目的な放浪はしかし、常に一点に向かっていた。魔王の残り香──帝国第二皇位継承権保持者、アルゲティ・ラ・アル・シャトの元へと。
 そして、今。
 まさに魔導依代ギニョール・マギカが打ち砕かれんとするその瞬間。
 彼は答えを得た。
『き、貴殿は一体……!?』
 黒い巨人から聞こえてきた声に対して、彼は初めて自分の意志で答えを返す。
「君たちを、護りに来た」
 彼はそう応えた瞬間驚いた。『自分』と『それ以外』だった世界が、急激に複雑さを増したから。今やあらゆる物が意味を持って其処にあり、世界を構成していた。
 彼は自分の姿も認識する。急性促進で無理やり性徴させられた身体。少年と言って差し支えないあどけない顔立ちと節くれだった手足はアンバランスだが、見る者によっては危うい美しさを感じるかもしれない。過学シンエンスによって造られた鈍色の強化スーツは彼の肉体をギチギチと締め上げており、彼は初めて苦痛に顔を顰めた。
 勇者軍は、戸惑っていた。無人機の思考回路にはもちろん『勇者』の姿は入力されていた。帝都突入時に最大限のサポートをするよう彼らの創造主は命令を下していたが、勇者がこちらに刃を向けた時の対処法まではさすがに入っていなかった。
 それが明暗を分けた。
 過学的特異点たる『勇者』に更に特異的な変化が起こる。彼の周囲に蛍火の様な燐光が舞う。リヒテンベルク魔導図形の四次元投映図。抽象門が開き、魔力を反応剤として具体が吐き出される。
 白銀の鎧。過魔依代グランギニョール・マギカ・『こう式』。魔力の過剰放出により一帯の物理法則は捻じ曲げられ、空は奇妙な虹色に染まる。
 機体の召喚は須臾の間に行われ、そこから連続する攻撃はさらにそれを上回る速度だった。
 手首から射出された棒が、分割、展開。『勇者の剣クラウ・ソラス』を形成。クラウ・ソラス閃滅モードへ移行。エネルギーライン全段直結。ランディングギア、アイゼン、ロック。魔導チャンバー内、正常加圧中。
 白き光のグレイヴClaidheamh Soluis──発射。
 客星ノヴァをも上回る光。そのエネルギーはしかし周囲に拡散することはなく、凝集し、凝結し、直径数十メートル、長さは測定不能の槍と化す。
 始原の光。物質を構成する最小の存在までをも解体する熱量は、あらゆる防護手段を無視し、勇者軍の無人機械たちを瞬時に殲滅した。
 破壊の光爆が咲き乱れ、周囲の森林地帯を全て焦土にせしめた。
 残ったのは、ガラス状に変化した大地だけだった。
 私は防護術式を展開する必要すらなかった。こう式の放出する魔力泡の圏内にいるだけで、あらゆる破壊の影響から逃れられたからだ。
『お姫様は、無事?』
 勇者が、声をかけてきた。

 これが私──ヴ・アル・シャト魔導帝国最後の将、ヴィンデミアトリクスと勇者との出会い。
 そして、世界が引き返しようのない混沌へと一歩目を踏み出した瞬間。
 勇者とは、魔王を打ち倒す者。
 勇者とは、お姫様を護る者。
 ならば姫が魔王だったら?・・・・・・・・・
 空の器に矛盾を詰め込んだ勇者と、殻となった精神に復讐心を詰め込んだ姫。そんな二人が出会ったら?

『助けて頂き、ありがとうございます、勇者様』
 私は背筋が凍る思いを味わった。それは私が護り抜いてきたアルゲティ皇女殿下の声で間違いがなかった。覚醒、したのか。だが。その声の調子は私が知るどんな人間の物とも思えないくらいに、激情を帯びていて。
『これから、よろしくお願いいたしますわ』
『ああ! よろしく!』
 姫の言葉に、勇者は先程まで存在すらしていなかった心で、喜んだ。

【続く】


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