月で睡る
眠くて仕方がなかった。
秋分祭の最中は誰も寝てはいけない。〝極輝夜〟に眠れなくなってしまうから。
祭りの三日目は誰も彼もがへとへとで、片付けもせず正午になると皆家路を急ぐ。そして床に就くのだ。
弟の泣き声がした。母に抱かれて微睡んでしまい、父が叩き起こしたらしい。懐かしい。僕もやられたっけ。
「極輝夜に起きていると、月に連れ去られてしまうのよ」
母が泣く弟をあやしながら言った。僕は弟の頭を撫でてやった。
その夜、弟は消えた。
父は村で革職人をしていたが、それ以来仕事場に行かずに家で酒ばかり飲むようになった。そして母と僕を殴って、夜は怯えたように眠るのだ。
精神を病んだ母は次の年の極輝夜、眠ったまま外に出歩いて、夢見人になってしまった。
極輝夜の月光を見てはいけない。身体が連れ去られてしまうから。
極輝夜の月光を浴びてはいけない。心が連れ去られてしまうから。
秋分の祭りで皆がしつこく歌う祭囃子。どんな幼子でも知ってる怖い話。
でも、僕は確かめたかったんだ。
二年前の極輝夜、弟を起こしたのは、僕だ。
母を寝かしつけた。父はいない。ある日酒を買いに出かけ戻らなかった。
家中のカーテンを閉める。ちらりと窓から見えた村は静まり返っていて、どこの家も雨戸を下ろしていた。
今年も極輝夜はやってきた。
僕は鞄を背負い「いってきます」と声をかけて家を出た。返事はなかった。
がらんとした祭り会場に着いた。そして、夜を待った。
「お兄ちゃん」
弟の声で、目が覚めた。……そう、目が覚めた。眠ってしまっていた。慌てて見上げるとあの時の夜と同じ月が昇っていた。一年間光を溜め込んだ、ギラギラと輝く月は空を七色に染めていた。弟はいなかった。夢か。
月に連れ去られるなんて、嘘だ。僕は見た。弟は自ら向かって行った。
「おい坊主。こんな夜更けに何してやがる」
野太い声に振り返る。月の光に照らされて男が立っていた。どこか、父の面影を感じた。
【続く】
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