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10年後の学校その時教師は!

 1学期も終わり、一息ついたかと思えば、毎日研修の嵐で先生方は本当に大変です。ここ南の風小中学校でも、canvaとFigjamの研修を行いました。
 自治体によっては、ロイロノートを使ったりミライシードを使ったり、スマイルネクストなどを使ったり、学習支援ソフトはまちまちで、自治体が変わるごとに研修をし直さないといけない、教材も作り直さないといけないっといった状態が毎年起こっています。
 でも、canvaとFigjamをマスターしておけば、どこの自治体に異動になっても困らないし、県外交流で派遣があったとしても困ることはありません。是非、先生方はこの2つをマスターしておいてほしいと思います。
 さて、今回は研修が終わった後の先生方との雑談の中で出てきた話題をいくつか紹介したいと思います。


雑談1(AIの利用)


未来の姿


 最近AIを使い始めているんだけど、情報の不確かさが多いのにちょっと不安だよねっていう話が出てきました。確かに、エクセルの関数とかスプレッドのGASとかといった分野では実際にやってみて、それがうまくいくかどうかは、実行してみればその情報が正しいことが確かめられるんだけど、ある地方の特産物を教えてといった内容などでは、いつからこれがうちの県の特産物になったのっていった誤情報をよく見つける。AIに指摘すると、確かに間違っていますね。ご指摘ありがとうございますなんて返事がくるんだけど、これでは使えないなっていう話題で盛り上がった。
 そこで気づいたのが、その情報が間違っているということが分かるのは、こちらに確かな情報を持っているからで、その情報を持っていないとAIが与えてくれた情報が正しいかどうかは判断できない。
 子どもがAIを利用する場合、今後数年はこのことが大きな問題になってくるのではないだろうか。
 そこで、防ぐ手段として、お金が絡んでくるので難しい面はあるが、デジタル百科事典など確かな情報の元で調べ学習などを行うなどの学習が必要で、確かな知識を基にした学習が今後ますます重要になってくるんじゃないだろうかということになった。
 知識などネットにあるんだからもう必要ないなんて言う人もたまにいるけど、AIの登場によって、より、ネット上の情報の信ぴょう性がさらに問われることになってきたように感じる。自治体によってはこのことに気が付いてデジタル百科事典を導入しているところもあるが、予算が厳しい自治体では難しい面もあるだろう。
 いつも思うことだが、こうしたものこそ、国が予算化して子どもたちの将来のためにデジタル百科事典を作成し、自由にアクセスして学習できる環境を作っていくことが大事ではないか。海外の支援もある意味大事だろうが、未来ある子どもたちにとって、誤情報氾濫する現在、正しい情報を得る環境を構築して学習させることが大事な国の仕事ではないかと思う。やはり、日本という国は教育にお金をかけていない。

雑談2(書籍買ってる?)


教材研究


 教材研究の話になって、年配の先生が若い先生になんで教材研究してるっって聞くと多くの先生がネットから情報を得ることがほとんどかなっていう返答がきた。確かにネット上には多くの情報があるので、わざわざお金出してまで買う必要はないのかもしれないが、先程のAI情報ではないけれど、その情報が本当に確かなものかは疑問が残る。教科によってはネット上でもいいのかもしれないが、社会科や理科などでは確かな情報の元で授業をしないと間違った内容で教えてしまう可能性もある。
 ネットのない時代、多くの先生方は自費で様々な書籍を買ったり、図書館に足を運んで教材研究を行った。社会科の教師は夏休みに歴史建造物を実際に見に行って写真やビデオをとって、それをもとに授業を行った。今の先生方にそれをいうのは酷かもしれないが、何か、すべてネット上で物事が終了してしまうのは怖いなと思うのは昭和世代の教師だからだろうかと危惧する声があった。

雑談3(10年後の学校はどうなってる)


10年後の学校


 研修後の雑談の中で、だれかアップルのVisionPro買ってる先生の話聞いたことあるっていう話になって、誰も買った話ないね、まあ60万を出せる人はよほど興味ある人しかいないよねで終わったのだが。でも10年後にはこのVisionProが眼鏡型の軽い機器になっていて、今のタブレットの代わりに確実になってるよねっていうある先生の話から、10年後本当に学校はどうなっているんだろうねっていう話になって盛り上がった。
 その中で出てきたのが、まず今のような時間割で授業はしないんじゃないかっていう話になった。実技教科や全員が取り組む授業の時には全員が集まるんだろうけど、それ以外はそれぞれの子どもが自由に教科や授業時間を決めて学習するようになる。
 学習方法も個別で学習する子どももいれば、友だちどうして学習する子、先生に教わって学習する子、様々な学習スタイルが一般化するんじゃないだろうか。個別や友だちどうして学習する場合には、面と向かって学習する場合もあるし、眼鏡型の学習デバイスをかけて、バーチャル上で学習を行う。学習の進行もAIに聞きながら、自分の学習の理解度に応じて学習内容や学習方法をAIが提示してくれ学習する。当然学校間だけでなく他の学校との協働学習も普通になるだろうし、もしかしたら世界の子どもたちとテーマ学習しているかもしれない。将来的には、会話や文字もAIが自動通訳自動翻訳してくれるから問題ない。
 現在のように、時間が来たら全員が一緒の場所で同じ教科書を見ながら先生主導で授業するっていう光景はなくなるんじゃないかっていう先生もいた。
 じゃあ先生がする仕事って何だろうっていうことになって、今は基本授業するのが本来の教師の仕事とされているが、授業はもうAIの仕事、教師は学級経営や人間関係を構築するのが本業に代わってくるんじゃないかっていう話になった。
 世の中がどんなにAIで便利になろうとも、人間社会である以上、一番の問題は人間関係のトラブルだろう。それはAIでも解決できないだろうということになった。教師がやったところで簡単に解決する問題ではないが、AIよりはまだ人間の方が心を持っているだけ違うのではないか。まだ、AIは感情を持っていないからという話になった。しかし、AIが感情や心を持ちはじめたら、膨大な量の人間関係のトラブルからAIがその人の心に沿った最適な解決方法を導いてくれるかもしれない。お互いが最小のトラブルで収まるように。まだそれは10年後には実現してないだろうと。でも20年後にはそれもAIがするようになれば、本当に教師の仕事って何だろうっていうことになるかも。
 現実、40人の子どもがいて、全教科の日々の学習理解度を把握して、最適な学習内容や学習方法を提示できる先生なんて現実にはいない。それは教師のキャパを超えている。しかし、AI教師ならそれが可能である。子どもが飽きない限りAI教師は付きあってくれる。
 実際にスプレッドのシート作成を頼まれてGASを記述しなくてはいけなくなった時、リートンは何度でもこちらのしたいことを理解しながら最適なものを考えて提示してくれた。それは本当にこちらが恐縮するほどのやり取りだった。それも無報酬で。
 だからどう頑張っても教師はAI教師を超えることはできない。ただ実技教科に関してはまだ無理かなとも思う。しかし、動画を認識できるレベルになると、子どもが笛を吹く動画をAIがみて、もっとこんな風に吹いたらいいよという動画で返してくれるとかというのは可能であろう。でも、手取り足を取りの支援はAI教師には無理だろうから唯一残るのはそうした授業の部分と人間関係の構築の部分だろうか。そういう面では教師の教職課程や採用試験の内容もずいぶん変わってくるんではないだろうか。
 10年前の学校なら、10年後学校がどうなっているかはある程度読めた。今、タブレットを全員が持って授業しだすなんて10年前には考えられなかったという先生がいたが、早い学校ではすでに行われていたし、自分自身も小規模校の学校でだったので、10台のタブレットを自費で買って、パイオニアのバイシンクというシステムでタブレット授業を行っていたので、今の状況は全く違和感ない。というか10年前と変わらないなという印象さえ持つ。でも10年後は全然違う。まず誰一人、10年後の姿を今実践している人はいない。ある程度想像はできるが、それ以上に進んでいる可能性は十分ある。
 10年後の学校、どんな姿になっているかとても楽しみである。子どもたちがもっと生き生きして、そして教師ももっとやりがいをもって活躍できる場であって欲しいとは願うが。


 

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