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どちらでもできるならデジタルでやってください

アナログでできる

「これはデジタルなんか使わなくてもアナログでできる」

ICTの活用を否定したり拒否したりする方で、こんな理由付けをする人に出会ったことはありませんか? ひどい人になると、完全な事実誤認をして、

「これはデジタルでは無理だ。アナログでなければ出来ない。」

と宣っていたりします。

今までそういう方に出会った時の対応は、「そうですね、アナログでもできますね。でもデジタルだとこんな便利なこともあるんですよ。」というような言い方で何とかICTを活用してもらえるように誘う、というものでした。

或いは「アナログと同じというわけにはいきませんが、デジタルでもこんな風にして同等のこと(実際には同等以上のこと)を実現することができますよ。」というような言い方で、その方のプライドを傷つけないようにしてICT活用陣営に引き込もうとすることもありました。

(この人とはもう会わないな、と思ったら「ああ、そうっすね。」で終わらせることもありましたが。)

北風よりは太陽

界隈には、そんな甘い言い方ではなく、もっと厳しい言い方をされる方もいらっしゃいますが、私はそういう言い方はしないようにしてきました。言い切ってしまえば、自分は気持ちいいかもしれない。けれど、相手を否定したり、プライドを傷つけるようなショックを与えても、こちら側には来てもらえないだろうと思っていたからです。

実際、ICTに対して否定的な態度を取る方の多くは、「ICTが無くてもいい授業ができる」という実力の持ち主です。「デジタルなんか使わなくてもアナログで出来る」という言葉は、これまでの成功体験に裏打ちされたものですから、それを真っ向から否定したって受け入れられないのは明らかです。

北風よりは太陽であらねばならない。これまでそう考えてきました。

デジタルでやってください

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でも、ちょっとスタイルを変えようかと思います。「これはデジタルなんか使わなくてもアナログで出来る」と言われたら、これからは次のように答えようと思います。

「デジタルでもアナログでもどちらでもできるならデジタルでやってください。」

我々にとってICTは『後から現れた技術』です。はじめの頃、ICTなんてまるで使い物になりませんでした。書類一つ書くのだって手書きの方が早かったり自由度が高かったりしました。パワポより模造紙の方がずっと便利でした。初期のデジカメの画像なんて、今、見たら冗談かと思うようなレベルです。

そんな時代からICTを使ってきた人間から言わせてもらうと、ICT活用は「いかにICTの限界の中で最高の結果を引き出すか」が勝負であったように思います。しかし、近年は性能が凄い勢いで上がっているので、限界ギリギリまで使うことはほぼ不可能になりました。いよいよ「ICT活用」という言葉が現実味を帯びてきたな、と感じています。

というような昔話や苦労話、今の子どもたちには関係ありませんよね? デジタルネイティブである今の子どもたちにとってICTは初めからあったもので、「ICTを活用する」なんて当たり前すぎてわざわざ「活用」などという言葉を使うのもばかばかしいくらいのものでしょう。デジタルネイティブは、この先、我々には思いもつかない活用法を考えてくれるはず。そこは子どもたちを信頼していいと思っています。

経験を積ませよう

でも、デジタルネイティブの可能性は認めますが、その可能性を花開かせるためには経験が必要でしょう。「こんな使い方もあるのか。」「そんな使い方もあるのか。」という経験をたくさん積めば積むほど「自分ならもっといい使い方ができる」「私ならこう使うんだけどな」という地点に到達してくれる。

そう、デジタルネイティブにもICTを活用した経験値が必要なのです。今はその経験値を積ませることが重要な時期。だから、デジタルでもアナログでも、どちらででもできるならデジタルでやるべきなのです。

「こんなつまらないことでわざわざICTを使うの?」なんて遠慮する必要はありません。今、我々が行っている全ての実践の全ては、いずれ「過去の遺物」になります。それで上等。今の時代に教師をしている者の責務は「子どもたちが乗り越えていく階段をたくさん作っておくこと」でしょう。

暴論? そうかもしれません。でも、福澤諭吉を引用するのも何ですが、「古来文明の進歩、その初は皆所謂異端妄説に起らざるものなし」という言葉もあります。異端妄説を堂々と述べていくのも悪くない。そう思うことにしませんか? だから、ICTに否定的な皆さん。

デジタルでもアナログでもどちらでもできるならデジタルでやってください。

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