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EDIX④中川先生との対談

EDIXで行った国語の公開授業については前に書きました。

この授業の後に中川一史先生と対談させていただいたのが、これが非常に勉強になりましたのでムービーを公開します。全編見ると30分かかるので、テキストも載せておきます。


原因と結果

中川:もしかすると皆さんが知っている国語は「ごんぎつね」のような物語教材というのはあると思います。(今日の授業は)「あ、これも国語の範疇に入るのか」と思われたかもしれません。昔は多分なかったかもしれないものなんですね。今日は光村という教科書会社の教科書を使っているのですが、関係のところを見ると例えば「筆者の考えや物の見方は直接書かれている部分以外にも次のようなところに現れることが多い」ということで事例とか理由とか、あるいは考え、そういうものを本文からピックアップして、その文章構成等を理解するというようなものなんですね。今日、「原因と結果」でした。これも書いてありまして「話したり書いたりする時には必要に応じて原因と結果の結びつきが分かるようにしましょう」と書いてある場所なんです。そこを今日は授業で鈴木先生がやられたわけですよね。こういうものがどうして入ってきたかというと、今の学習指導要領、教科書を作る元のようなものですけども、その中に「情報の扱い方に関する事項」というのが新しく入ってきました。

これ前はなかったものなんですね。これがあるがために今日のような題材が出てきたわけですで、そこには「情報と情報との関係」「情報の整理」というのがあって、今日関係するのは「情報と情報との関係」の5年生のところにこんなことが書いてあるからですね。「原因と結果など情報と情報の関係について理解すること」これが学習指導要領に書いてあるために教科書に何らかこういうものが入ってきて今日の授業が行われたということが背景になっています。さらに指導要領の中には「様々な情報の中から原因と結果の関係を見出し、結びつけて捉えることができるようにすることが重要」と書いてあるので、今日、鈴木先生は本文から引っ張ってきなさいとか自分で作ってみなさいとか生成AIに聞いてみなさいというようなことが学習活動として行われたということになります。さて、それでねこれ本時でやってみて今日どうだったのかという話をまず聞きましょうかね。

鈴木:はい、今日はあの教科書の本文のところしかやりませんでしたけれども、実はあの本文のところが終わった後に「情報」というページがあって、今、国語の教科書の中にいくつも出てくるんですけれども、その中に「関係を捉えよう 原因と結果」というのがあります。そこへの結びつきを考えて今日の授業はやりました。授業の中でも言っていましたが、「これが原因です」と書いてあるので、本文の中でそこを探すことはそんなに難しくないんです。けれども、やはり文章を構造的に読むことが本当に苦手という子もいるんですね。それを思うと今日ぐらい噛み砕いてやっていって、最後は自分で文章を作ってみる、「原因と結果」を表す文章を作ってみるっていうことはやっぱりやっておいた方がいいかな、という風に思ってやってみました。まあまあねらいどおりにいったのではないかなと、ふり返りのフォームがまだ全員分、集まっていませんし私も見てないのですが、ぐるぐる回って見た感じだと、ちゃんと「原因と結果」ってこういうものだよね、という捉えはあったかなと思いました。問題は、国語の授業ではいいのですけれども、これは使えないと仕方がないっていうところがあります。子供たちもやはり学校生活の中で、委員会活動でも何でもそうなんですけれど「こうこうこうだからこういう結果になっているんです」みたいなことを言って主張できるようになってもらわないと困ると。それができるようになって欲しいのです。つまり教科書を離れて使えるようになって欲しいのですが、やはりそれが難しい子もいるだろうと。その時に生成AIが助けにならないかな、というところがあって、今日のチャレンジにしてみました。

使えるようになるためには?

中川:今、言ってくれたものが一番下まで実は書いてあるんですが、本当にこれ使えないとしょうがないんですよね。それでね、私、なんとなく今日のような授業をやっていれば、鈴木先生が言われた委員会活動の時に「あ、それ結果と原因だよね」みたいなことを子供は言うんじゃないかなという感じがする。その辺はどうですか?

鈴木:逆に言うと今、子供たちの委員会活動の話し合いを見ているとそこを捉えられなくて議論がぐるぐるぐるぐる回ったりしていることが結構あるんですよ。ですから、やっぱりこういうのってちゃんと国語で教えて、でも「国語で終わるものではなくて、他でも使えるでしょ」というのを授業で見せていかないといけないじゃないかなと思いますね。

中川:これ、間に「国語では」と書いてあるのですが、例えば本時では今日やった。これが例えば 6年生になった時にどう国語科の中で繋がっていくのでしょう?

鈴木:ごめんなさい、6年の国語というところまで今考えていなかったのですけれども、他教科で、例えば社会ではこれから色々やっていくわけですけれども、「こういう原因からこうなっている」ということって社会科の中だといっぱいありますよね。日本の地形がこうなっているから気候の違いがこうなっているんだ、みたいなことがあるわけじゃないですか。それを社会の場合にはデータとかから読み取っていくわけですけれども、では、それをちゃんと的確に表現できるかっていう時にはここで培った力が生きるといいなと思いますね。

中川:確かに指導要領では「情報と情報との関係」って、例えば3・4年生の時には「理由や事例全体と中心など情報と情報の関係について理解する」、そしてそれが5・6年生では「原因と結果」に繋がっている。1・2年生で言うと「違いと同じ」ですよね。こういうような段階があってこれを国語科の中でやりましょうと、それを色々と展開をし活用していくことが望まれるという風に読めるのですが、この流れについてはどうですかね。

鈴木:必要なこと、いや必要だなと思いますけれども正直、難しいなというか。低学年の時にどれぐらいきちんとやっているかっていうことが、やはり今、結構出てきちゃっているのだろうなっていう風には思いますね。今日、実はちょっと止めたんですけれども「原因と結果」というそれだけの関係に留めたかったのですが、原因と結果で、その結果がまた原因になって次の結果、みたいなこともありますよね。そういう複雑なところまで6年生だったらいきたいのですけれども、この授業でそこまで突っ込んでやるほどは育っていないなというところもありました。やはり下の学年の時にきちんとその文書の構造を読み取るみたいなことが積み重ねられていない場合には、5年の時にはちょっと我慢して簡単なところから入って、それこそ6年の時にはもうちょっと複雑にみたいなそんなことなのかなと思いながらやっています。

中川:これね、今日、国語科でしたけれども、私なりにこれを捉えると、これ思考の桁の問題じゃないかと思っているんですね。

それは何かと言うと、これは国語に限ったことじゃないんですが、「こういうことがある、こういうことがある、こういうことがある、以上のことからこういうことだな」と概念化するってよくやりますね、大人も。で、そういう風に理解したものが、「いやそうだとするとこういう時にもこうだよね」ってまた下に降りてくる。そうやって上に一度上げたものをまた下に下ろすということを繰り返しながら言葉って使えていくんじゃないかと思うんですね。今日ので言うと原因と結果はこういうものだというのが理解した。例えばこういうことがあると。今日、最後鈴木先生がさせた。で、またそれが上に上がってくるということを繰り返しながら使えるようになっていくのかなという風に感じたんですが、この辺について何かコメントありますか。

鈴木:先生が出してくださったこの図で言うと、例えば比較分類で考えてみようとか、そこから選択していこうみたいなことは授業の中でもやりやすいというか、割と方略として位置付けやすいんですけれども、統合していこうとか、あるいは逆に細分化していこうっていうところになると、子供のタイプによってもかなり違っていて、そこはそれこそ個別最適でいかないと難しいです。上の方は苦手だけれども下はできるとか逆に下ばっかりいっちゃうみたいな子とか色々いるので、そこをどう一つの授業の中でうまく個別最適を図りながら全体的に上げていくかっていうところはなかなか難しいなと思いながらやっています。

中川:だからそういう意味では今日Formsに書かせたものから、それぞれ個別に見て「あ、この子、こういうこだわりをしてるな」みたいなことをピックアップして次の授業にまた生かしていくっていう繰り返しになりますかね。

鈴木:そうですね。今日はフォーム読む時間までなかったので、手を上げた子の中から結果ですね、ああいった発言が出てきたわけですけれども、本来であれば授業が終わった後にFormsをやはり全部きちんと読み直して「あ、なるほどこういうところに引っかかってるんだな」というところをまた次の時間に取り上げていくみたいなことをやると子供たちとしてもより整理がされて深まるのだろうなと思います。

ツールの使わせ方、選ばせ方

中川:次にICTというかツールの話をしたいのですが今日、鈴木先生の授業の途中段階で、考えをまとめる時のアプリとかツールを活用する場面が出てきました。多分、あれは「何を使いなさい」とは言っていなかったので子供たちが自由に選んで使えていたんだと思いますが、今日は内容柄この学習者用デジタル教科書で国語のマイ黒板という名前がついている本文抜き出し機能なんですね。本文から一部抜き出して自分で配置をして考える時の支えににすると。光村のページにはもう少し詳しく書いてあるのですが、教科書画面ら直接、本文、挿し絵、写真を簡単に抜き出して自分の考えをまとめることができる機能で、これを使っている子がすごく多かったんですが、多分ですね、色々なものを使いながらやっていくと思うのですが、この個別最適な活用がどうやってできるようになっていったのか、 その辺をちょっとお聞きしないと「今日はなんだかいろんなもの使ってるね」で終わっちゃうのでその辺の背景を教えていただけますか。

鈴木:やはり経験させるって大事なんだな、と思うのですが、まずは一通り教師が使っているのを見せると。その後、実際に子供たちにも触らせてみるとで今日はあんな感じでしたけれども、ある時には「今日はマイ黒板でやるよ」みたいに決めてやる時もあるんですよ。ただ、だんだん子供たちのスキルが上がってきたら「何でも好きにして」と選ばせています。ですから少数ですけれども、やはりノートに書きたがる子もいるんですよ。また、今日もぐるぐる回っていると、私がマイ黒板を使っていたのでマイ黒板を使ってる子は多かったのですが、私が色々言う前からデジタル教科書にどんどん本文に書き込んでいる子もいました。ですから、子供の方に経験が積み重なってスキルが高まってくれば自分で選べるようになってくるんじゃないのかなと思いました。

中川:今、先生が言ってくださった中ですごく大事だなと思うのは、私も委員をやっている中央教育審議会で個別最適な学びって言うんですよ。で、個別最適な学びが大事だっていう風な言葉が独り歩きすると、何か個別にやってればいいんだっていう風に誤解をされる。でも、私はこの言葉ですごく大事なのは「最適」の方だと思うのです。バラバラで選んでいたら、「本当にその子にとって最適かどうかを誰が判断するか」という話なのですよ。今の話を聞いていると、多分、色々な経験をすることが大事だと。ノートを使っている子もいる、マイ黒板を使っている子もいる。その最適さをどう高めていかれましたか。

鈴木:いや、まだやっている最中というところなので あまり偉そうなことは言えないのですけれども、ただやっぱり子供が自分で最適な学び方になるようにという調整ができないといけないわけです。個別最適な学びは、それが本当に難しい。「自分には一体どれが合っているのだろう」というのを判断 できない子もいるんです。教師から見ていると明らかに「それ君に合ってないよ」というやり方を選択してしまう子もいるので、その場合には早めに見つけてアドバイスしてあげるということも大事だと思いますし、私が紹介したものの中のだけでは最適なものがないという時に、自分で見つけてきた他の方法だっていいんだ よっていう自由を作っておくことも大事かなと思いました。

中川:鈴木先生が先ほど「経験をさせて」と言われましたけども、例えば選ぶ時に使い倒していないと選べないですよね。

鈴木:そうですね

中川:そういう経験をたくさんするっていうのはすごく大事だということですかね。そこ に時間をかけられているということがね。

授業で使う生成AI

鈴木: AIのことなのですが、今日使ったtomoLinksというのは基本的に授業支援アプリなので、私が授業を開始しないと使えないのです。子供たちが自由に使うというわけにいかない。大人だったらCopilotだとかChatGPTだとかどんどん使ってしまう。本当は私も授業の中で子供たちが勝手に使って、それこそ私が今日子供たちに指示したような文章を作って判定させて、みたいなことを自分でどんどんやってくようになってってくれたらいいなと思うのですが、13歳未満が使える素のAIは無いので、ああいったAPIを噛ませているものでないとできないのですけれども、そこをこれからどうしていこうかなというところは非常に悩みどころです。もしかすると、私が今やっているみたいに「授業でしか使えない」という風なAIの使い方を続けていったら、子供たちに「生成AIっていうのは先生に言われた時しか使えないものなんだ」という学習をさせてしまうのではないかなということもちょっと怖いです。そういったところをどうしていけばいいかなと悩みながらやっています。

中川:私はもう少し楽観的というか、今、国がガイドライン作るみたいなも話ありますけれども、これからもっともっと学校で使わなくても家で使うようになっていってしまうので、逆に言うとまた学校は外堀から埋められていくのではないかな、と思っているのですけれどもね。

鈴木:いや、そうなるといいなと思います、本当に。もう実際、使ってはいけないのですけれども「うちで使ってるよ、ChatGPT」みたいな子もいるわけです。その状況は一昔前の「学校のICT機器は猛烈に古いけれども家はすごくいいのが揃っている」みたいなことになってきてしまったなと思うので早く解決するといいなと思ってます。

中川:これってネタが違うけれど繰り返すようなものだと思うんですよ。だって検索エンジンが世の中に出てきた時に私、何度もなんて言われたかというと先輩の先生に「なぜお前のクラスは紙の辞書を使わないんだ」ってかなり言われました。技術室に呼ばれて。ま、呼ばれなくてもよかったと思いますけれども、今は割と両方使い、しかも検索エンジンの使い方もスキルとしてはつけなくてはいけない、そういう流れになってきている。何かそういうことを繰り返していて、今はせめぎ合いなんだろうなと思うのですけども、どうでしょうか。

鈴木:おっしゃる通りで、いつか見た景色みたいな感じはやっぱありますよね。ですから何とかそのサイクルを早く短くして、これが一般的に使えるようになるといいなと思います。

中川:一つ、聞きたいなと思ったのが、今日、授業の場面で使われて、どのように本時の課題の深掘りができたかということを、授業に戻ってこれだけは聞いておきたいなと思うのですが。

鈴木:tomoLinksの生成AI機能が学校向けなので、基本的なカスタマイズが既にされているようです。例えばNGワードが指定されていたりとか、色々な配慮があってなされているようなのですが、結果として私が普段ChatGPTやCopilotとかにプロンプトを打ち込む感覚でやるとうまくいかないことが多いです。その癖を掴むのがなかなか大変で、今日も子供が作った例文を入れたら何だかちょっとトンチンカンなのが出てきたじゃないですか。あれは、私が昨日まで必死に試した感覚から言うと、これぐらいだったらまともなことを返してくれるんじゃないかなと思ったのですが。ただ、生成AIが絶対ではないということは今までに随分言ってきているので、子供たちは「生成AIはもっともらしい答えを返してくるんだな」ということはなんとなく掴んでいるのです。その上で使って、では自分が作った例文に対してどんな答えが返ってくるだろう、というのを割と冷静に批判的に見られていたのではないかな、と思います。AIと対話を重ねながら、AIが書いた解説を読んでいくとやはり「原因と結果」ということについて子供たちかなり考えていたと思います。その時間 を確保できて、「原因と結果」に子供たちの思考を向かわせられたのは一つの成果ではないかなと思っています。

中川:私も、4年生のクラスだったり5年生のクラスだったり、鈴木先生のクラスを何年も 何度も見ていますが、この数年間の鈴木級って本当に生成AIに対して手厳しいというか、「こんなことないよ」っていうズレを何度も子供たちが考える機会があるということなのですかね。

鈴木:そうですね。実は生成AIのすごいところもいっぱい見せているのですが、すごいところは認めつつも「しょせん機械だろう」みたいなところが子供たちの中にだんだんと培われてきていて、割と冷静に「使うところは使って」というところですかね。実はこの前の時間に要約を作るのをやったのですが、子供たちにまず普通に要約を作らせた後に「では、この要約はどうか、生成AIに判定してもらおう」と言いました。要約文を書いて、その後に教科書の本文を入れて、この文の要約になっているかどうかを判定しろ、というプロンプトでやらせたんです。そうすると、すごくいい要約だと褒めてくれることもあるのですが、こうした方がいいみたいなアドバイスをくれるんですね。そのアドバイスが「やっぱりおかしい」という子もいるのですが、でも「おかしい」と思うということは「この要約はどうなんだろう」と深く考えているということになるので、別に生成AIが正しい答を出してきてくれなくても、授業としては十分いい結果が得られるなと思います。

中川:鈴木先生のクラスの子供たちの生成AIとの関わりを見ていて、何かズレをズレとして自覚すると言うのかな、どっちが正しいか分からないけれども、とりあえずズレなんだ、ということを自覚する場面ってすごく大事で、じゃあどっちがどうなんだろうかって何度も何度も考えることが、大人になった時にこの関わり方を熟成することになっていくのだろうな、とすごく思いますね。

鈴木:大学生が大学のレポートに生成AI使って、みたいな話がよくありますが、今の小学生たちは、もう小学生であるうちから生成AIとの付き合いが始まっているので、大学生とか大人になった時に本当に正しく使えてくれないと困るなと思うのです。そういう意味では、今どんな経験を積ませるかは本当に大事だと思うので、ある種冷静に自分を成長させるためにはどういう使い方がいいのだろというのは意識させながらやっていきたいなと思います。

生成AIの試行・活用・普及

中川:全国の自治体や学校で この生成AIを活用した授業が今、結構始まっているので見にいくと、いくつか段階があるなと思っていて、こんな感じでしょうかね。

私は試行・活用・普及と段階をつけているのですが、多くの地域で見られるのがこの試行なのです。「まず先生使ってみましょうよ」と。「使ってみないと話にならないですよね」から始めているのが結構あります。その後に何が来るかというと、「やるかやらないか分からないけど、まずアイデアを出し合ってみましょう」と。「4年の理科ではどんな生成AIの活用が考えられますか。例えばこういうのがあるよ、あるよ」と出し合っています。それが終わるといよいよこの活用で、当然、鈴木先生もここに今 入っているわけですけれど、その時にもいくつかあります。授業で使ってみるという時に「生成AIを学ぶ」という場面と「生成AIで学ぶ」というのがある。これはもちろん切っても切れないことではあるのですが、下に行けば行くほど「生成AIのメリットを上手に活用する力をつける」とか「価値ある問いを立てる力」とか。鈴木級の授業で私は何度も見ていますが、プロンプトの入れ方次第で吉と出るか凶と出るか色々なんだよ、ということを何度も経験するわけです。そのことによって生成AIが何でもしてくれるわけではなくて、人間側の問題なんだよということを子供なりに学ぶことができる。そしてもっとさらにいくと「情報の正否を判断する力」がつくと。「生成AIで 学ぶ」というのは、今はChatGPTが組み込まれているアプリがいっぱいあるので、きっと「いつの間にか使っている」というような状況になっていくのだろうと。もう一つは、先ほど鈴木先生が言われたことで言うと、家でもいつの前にか使ってるわけですね。生活場面で使う場を、ではこれを学校がこの後どう保障していくのか。この3つがスパイラルに高まって活用というのが起こるんだろうなという風に思うんですね。それで、さらにその上は何かというと「市内で普及する」とか「学園内で普及をする」とかいうことが組織的に行われていくようにならないと、全国に普及することはないだろうなというような流れを考えているのですが、何か鈴木先生この活用場面でコメントがあればと思うのですが。

鈴木:「生成AIで学ぶ」「生成AIを学ぶ」という話なのですけれども、私が嫌なのは、何か「生成AIを教えましょう」と言って、総合的な学習の時間に突っ込んで1時間2時間触らせて「はい、子供たちはこんな気づきがありました」みたいな。そういうのは違うだろうと思うのです。「そういう授業って年間の何時間やれるのですか」という話です。そうではなくて、国語でも社会でも何でもいいのですが、普通の授業の中で当たり前に生成AIが使われるという風にやってかないとダメだろうと。その中で自然に子供たちは生成AIを学んでくのだろうなと思います。ですから「生活で使う場を保障する」ということもすごく大事なのですが、やはり学校の授業の中でちゃんと使う、ちゃんと授業する、ということが実は大事なのかなと、そこの軸足がぶれないようにしないとと思っています。

中川:これ、全く質は違うのですけども、今日の「結果と原因」と同じだなと思っています。今日の1時間で「結果と原因」の関係が子供たちどっぷりと理解できるわけではなくて、多分何度も何度も使いながらそういうことを繰り返して理解をしていく。これは生成AIも同じことですよね。

鈴木:それは先生におっしゃっていただいて今気づきましたけれども本当にそうだなと思います。

中川:はいありがとうございました。今日、私からのまとめの言葉としては「情報活用能力」というのが文部科学省や中央教育審議会でこういうものだって書いてあるのですが、私はあえて言いたいのは、やはりその時代その時代で色々なものが出てくる。それで、色々なものが出てこようとも、適切な情報の扱いに対応できる力を子供たちにどうつけていくのか、というのがすごく大事なことだなと思っています。ずっと鈴木級に入っていて、実に手を変え品を変え子供たちにそういうことを身につけることを一貫してやってらっしゃるのが鈴木実践だなっていう風にいつも思っています。またこの先、今年も公開あるんですよね?

鈴木:はい11月と2月にあります。

中川:そちらの方にも是非足を運んでいただいて鈴木実践の本質をまたご覧いただければいいなという風に思っています

全編ムービー


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