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EDIX2024②公開授業

EDIX2024について書く記事の第二弾。東京ビッグサイトに到着してすぐに行った公開授業について書きます。


「言葉の意味が分かること」

教科は国語。単元は「言葉の意味が分かること」(光村図書)という説明文です。著者は今井むつみ先生なのですが、光村図書の方が今井先生に「今度、生成AIを使って『言葉の意味が分かること』を学ぶ公開授業があるんですよ」とお話ししてくださったために、この授業を撮影したムービーの編集が終わったら今井先生にそれを送らねばならないというとんでもない条件があらかじめ決められた上での公開授業でした。ここのところ、公開授業が何事もなく平穏にできたこと、ないんですよねぇ…。

まあ、それはともかく。この単元は、文章の要旨をとらえ、考えたことを伝え合うことをゴールとしていますが、文章の要旨をとらえる段階では「原因と結果」の関係を読み取ることが重視されます。また、この単元の終わりについている「情報」のページでは、原因と結果の関係が分かるように話したり書いたりすることができるようになることを求められています。

公開授業は、全7時間の中の3時間目。まず本文の中で「原因と結果」の関係になっているところを探させ、その後で「なぜ、そこが『原因と結果』の関係になっていると判断できたのか」を確認していきます。こういうときは本当にマイ黒板、最強です。

これによって児童の中には「こういう言葉でつなげられていれば原因と結果の関係になっているとわかる」といった知識が形成されると踏んでいました。次はこの知識を使って「『原因と結果』の関係になっている例文を作る」ことが課題になります。そして、その例文が「原因と結果」の関係になっているかどうかを生成AIに判定させました。

tomoLinks生成AI学習支援機能

今回、公開授業では初めて児童に生成AIを直接操作させました。使ったのはコニカミノルタ社のtomoLinks生成AI学習支援機能(以下tomoLinks)です。本当はChatGPTとかCopilotとか使わせたいところですが、APIをかませたものでないと年齢制限の壁をクリアすることができません。tomoLinksもAzure OpenAI Serviceを使っています。(同じMSの製品なのにCopilotは使えなくてAzure OpenAI ServiceのAPI使っているtomoLinksは使えるというこの状況が整理される日は来るのでしょうか…。)

tomoLinks、まだ使い込みが全然足りないのだと思っていますが、それにしてもその振る舞いはChatGPTとかCopilotとかとはずいぶん違います。設定は教師の方でもいじれますが、恐らくは教育機関向けにカスタマイズされているデフォルトの設定が結構効いているのでしょうね。この辺りは今度、コニカミノルタの方に聞いてみたいところです。

教師の方で変えられる設定(システムメッセージとされています)は「あなたは、人々が情報を探し出すお手伝いをするAIアシスタントです。小学校5年生でもわかるような言葉をつかって説明してください。」として授業に臨みました。

本来、tomoLinksは授業支援アプリなわけですが、この生成AI学習支援機能もそんなわけで教師がtomoLinksで授業を開始しないと児童は使うことができません。私としては、授業中に児童が勝手に生成AIを使って「先生、今のCopilotに聞いたらこう言ってきたんだけどホントかなぁ」みたいなことを言い出すようなのがいいのですが、そういうことはできません。

そういった辺りで何とも言えない居心地の悪さを感じはするのですが、そこはもう仕方ありません。割り切って授業で使うことにしました。

プロンプトは共通

ということで「原因と結果」です。児童には共通で、まず以下のようなプロンプトを入力させることにしました。

次の文を読んでください。
「エアコンのスイッチを入れたら、部屋がどんどん涼しくなってきた」
この文は「エアコンのスイッチを入れた」という原因によって「部屋がどんどん涼しくなってきた」という結果になったことがよくわかります。
このように原因と結果の関係がよくわかるような文を作ってみますので、「原因と結果の関係」がよくわかるかどうか判定してください。
もし私の作った文がまちがっていたら、正しい文に直すためのアドバイスをください。
できますか?

するとtomoLinksは概ね以下のような返答をしてきます。

もちろんです!あなたが作った文を見せていただければ、原因と結果の関係がよくわかるかどうか判断します。そして、もし必要があれば、どうすればもっとわかりやすくなるかアドバイスしますね。

この後、児童が自分の作った例文を入力するという流れです。時間があったら、「どんなプロンプトならAIはちゃんと判定してくれるかな?」と問いかけて児童にプロンプトを考えさせたいところですが、それをやると、それだけで授業、終わっちゃいますからね。公開授業なので泣く泣く断念です。まあ、いいんです。ちゃんと国語の学びになれば。

納得がいかない!

さて、児童とAIのやり取りですが、こんなことになります。

(児童)僕は今おなかが痛いです。なぜなら賞味期限切れの牛乳を飲んだからです。

(tomoLinks)あなたの文はとてもわかりやすいですよ。「僕は今おなかが痛いです。なぜなら賞味期限切れの牛乳を飲んだからです。」という文では、「賞味期限切れの牛乳を飲んだ」という原因によって「おなかが痛くなった」という結果になったことが伝わります。

このようなやり取りをしていくわけですが、授業の中で児童がtomoLinksに判定を依頼した入力が31件ありました。そのうち、児童がtomoLinksの回答に納得できたのが17件、納得できないのが11件、その他が3件でした。

児童が納得できなかったやり取りには、例えば以下のようなものがあります。

(児童)お兄ちゃんと遊びました。なぜなら、私もお兄ちゃんもひまだったからです。

(tomoLinks)「お兄ちゃんと遊びました。なぜなら、私もお兄ちゃんもひまだったからです。」という文は、原因と結果の関係を含んでいます。でも、もっとわかりやすくするために、原因(ひまだった)と結果(遊んだ)の順番を変えてみるとどうでしょう? 例えば、「私もお兄ちゃんもひまだったから、お兄ちゃんと遊びました。」というふうに書くと、原因と結果が直接つながっていて、もっとわかりやすくなりますよ。

この例のように「原因→結果」の順番で、一文にまとめることをアドバイスする例が何件かありましたが、児童にはそれが納得いかなかったのです。

「確かに『原因→結果』の順番で一文にまとめるのも書き方の一つだけど、それだと文が長くなってわかりにくくなってしまうこともある。」
「文を二つに分けた方がわかりやすい場合もあるはず。4年生のときにそう学習した。」
「結果→原因の順番の方が、結果がハッキリわかっていいと思うけどな。」

tomoLinksに例文を打ち込み、操作している児童の声をひろうとそういった意見がありました。国語的には、児童の感じた疑義はもっともです。「結果→原因」の順番で書いてもかまわないし、二文に分けた方がわかりやすくなる場合も確かにあります。

生成AIを使う意味

では、生成AIに児童の例文を判定させたのは失敗だったのか。授業者としては、そうは考えません。

まず、児童が授業中に書いた例文が31あったとして、授業時間内に教師がそれを全て読んで正誤を判定して児童にアドバイスをつけて返すことはできるでしょうか。まず不可能でしょう。少なくとも私はできません。「自分が書いた例文に対して即時フィードバックが得られる」という時点で、生成AIを活用する価値はあったと考えます。

では、必ずしも正しいとは限らないアドバイスを返してくることはどう考えられるでしょうか。これも国語の授業としては意味のあることであると捉えています。

通常の授業のとき、児童は教師から正誤を指摘されたりアドバイスをされたら、どうなるでしょうか。普通は、それに従うしかないでしょう。児童から見れば教師は「評価者」なわけですからね。上の例のようなやり取りをしても、相手が教師ならそれに対して「納得がいかない」という態度を示すことは難しいはずです。

しかし、相手が生成AIだと、児童は躊躇うことなく「納得がいかない」という態度を示すことができます。(何度も書いていますが、教師でも児童でもない第三の存在としての生成AIの価値がここに見て取れます。)

この児童の「納得がいかない」という想いをひろいあげることで「原因と結果の関係を明らかにする文とはどのようなものか」についての考えはより深まることになります。生成AIの技術的な問題としては改善を要するかもしれませんが、国語の授業としては十分に意味のある学習になったのだと私は思います。

国語における見方・考え方は「言葉による見方・考え方を働かせるとは,児童が学習の中で,対象と言葉,言葉と言葉との関係を,言葉の意味,働き,使い方等に着目して捉えたり問い直したりして,言葉への自覚を高めること」と指導要領の解説編で示されています。

例えば「確かに『原因→結果』の順番で一文にまとめるのも書き方の一つだけど、それだと文が長くなってわかりにくくなってしまうこともある。」という児童の疑義は、小学校5年生なりに、これまでの国語の授業などで学んできた「言葉と言葉との関係を,言葉の意味,働き,使い方等に着目して捉えたり問い直したりして」いることに他ならないし、それにより「言葉への自覚を高めること」につながっていると言えるのではないでしょうか。

そういう段階へ児童を引き上げるためのツールとしては、生成AIには大きな可能性があるだろうと私は思います。tomoLinksについて色々と言いたいことはあるのですが、その可能性は認めないわけにはいきません。

ただ、生成AIを使う前に、その授業でどんな見方・考え方をはたらかせたいのか、これまでに児童はその教科の見方・考え方をはたらかせられるようになっているか、といった辺りは考えおかねばならないですし、十分にその教科の見方・考え方をはたらかせることができるようになっていないのが学級の実態なら、そこをまず何とかしなければなりません。

だから、結局、「教科の授業をちゃんとやりましょう」ということなのです。ICTでもAIでも何でもいいのですが、その活用が教科の目的達成に効果をもたらすような授業の構想力は絶対に必要なのです。

なんだかこれって、いかにもICT批判派が言いそうなことに見えるかもしれませんが、言われても仕方がない隙をICT推進派が作っているという実態、ないでしょうか。などと書くと嫌われるかもしれませんが、まあいいんです。私は教育ICT界隈のヒール役で。

衝撃的な結末

ところで、この授業、衝撃的な終わりとなりました。私が「生成AIの回答に納得できない!と思った人、だれかいる?」と問うと、何人かが手をあげたのですが、中でも一番自信を持ってまっすぐ手をあげた児童を当てたらこんなことを言ったのです。

「僕はこう書いたんです。『30分に一本しかない、青梅始発奥多摩行P255編成の電車に乗り遅れてしまいました。なぜなら、立川始発青梅行青442編成の電車が牛浜駅にてホーム上安全確認を行った影響で遅れていたからです。』って。そうしたらAIが『これは原因と結果の関係をはっきり示している文といえます。』とは言ってくれたんですが、その後に『しかし、電車の名前が長すぎて少し複雑に感じるかもしれません。もっとシンプルに書くと、安全確認で電車が遅れたので、次の電車に乗り遅れてしまった、になります。これなら、小学5年生でもわかるでしょう。』って返してきたんです。でも電車の名前って鉄道ファンにとってはとても大切な情報なので、そこを削るなんて納得がいきません!」

かくしてこの授業は、授業者の「僕はちょっとAIの気持ちがわかるかな」というどうにもならない一言で終わったのでした。

次の文章を表す絵を描いてください。「30分に一本しかない、青梅始発奥多摩行P255編成の電車に乗り遅れてしまいました。なぜなら、立川始発青梅行青442編成の電車が牛浜駅にてホーム上安全確認を行った影響で遅れていたからです。」

※この授業、以下のメディアで記事にしていただきました。(他にも出るかもなので、増えたら追記します。)


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