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家にテレビが来た

私の住んでいるアパートにはテレビがありませんでした。
昨日お引越しされる先輩が突然テレビをあげるよ、と。
今我が家にテレビが鎮座しています。
今年から入学した大学院が忙しく、家に帰ることも少なかったので特別必要ないと思っていたのですが、部屋に設置するとめちゃくちゃにテンションが上がります。

🔲←テレビ


学部生だった1年前まで寮生活で30人ぐらいで1つのテレビを見ていました。
もちろん好きなテレビは見られないし、電波もなかなかに悪く、ゲームもできません。(恋愛ドラマが非常に人気でした)
わりかしゲームは好きなのでテレビ番組は見ずとも、ディスプレイがないのはなあと思っていました。

昨日からついに1人でゲームができる、めざましテレビの占いも見ることができる、そんな満たされた環境になりました。

でも、どことなく寮で不満を垂れながら30人で1つのテレビを使っていた時の方が楽しいなあと思ったのです。
みんなでやれ菅田将暉がかっこいいだの、有村架純になりたいだの
テレビはメディアとして衰退傾向にあると言われていますが、テレビの良さってみんなで同じ時間に同じものを共有できるところなんですね

これ、俗に言う「ないものねだり」ってやつです。
よく私は「ないものねだり」します

こと就活においては、「ないものねだり」自動生成マシーンになっています
周りの友人が大変優秀なものですから、あの子のこういうスキルを私も身に付けたい、自分はこの業界がいいと思っていたけどあの子が行くなら、同じ勉強をした私も働けるスキルをがあるんじゃないか?など
とんでもなく傲慢で自分を過信しており、めちゃくちゃに「ないものねだり」してしまいます

そんな自分を戒めていたところ、テレビが来たことで
「ないものねだり」って別にしてもいいんじゃない?と思いました

華金にテレビを見ていると、今自分が何を求めているのかわかりました、なんとなく。
多分自分の意見を聞いて、質問をしてくれるお友達なんですね
私がいったことに対して「それはどういうこと?」「なんで?」とかね

就活中で自分が一方的にアピールしている虚しさ、自分の素をさらけ出せない苦しさを暗に感じているのではないでしょうか

「ないものねだり」してたら自分の本当に欲しいものが見つかってしまいました
不平不満を垂れる事がかなり厳しい目で見られる世の中ではありますが、「ないものねだり」して自分の心の中の穴をのぞいてみることも必要なのかもしれません

「ないものねだり」される状況に陥らないように、素直に自分を出して就活していきたいものです
多分、またテレビを見始めてしばらくしたら、新しい「ないものねだり」が始まるんだろうな

人とモノの関係って面白いなあと、意思を持たないものに人間は動かされてしまうときが多いですね

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